ギリシャの美はどのように生成し変遷したのか、3千年にわたる時のドラマを俯瞰しつつ旅しよう。

 

  • 特別展【古代ギリシャー時空を超えた旅ー】(神戸市立博物館) その④ ■

 

現代に生きる我々はいまだに美意識においては、ギリシャ美の虜囚である。完璧すぎる立体感、

これ以上の理想は見出せそうに思えない有無を言わさぬプロポーション。時として解剖的なまで

に美しい動態モデリング・・。白い大理石に刻まれた彫像に我らはいまだにぞっこんなんである。

それではそのようなギリシャ式の整形美はどこから始まるのか。さしずめ下の真ん中の②《ク―ロス像》あたりを始原と見るのは健全かつ妥当だろう。

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①スペドス型女性像    ②ク―ロス像     ③アルテミス像

 

これは紀元前6世紀のもの。それが次第に③の《アルテミス像》のように繊細な処女美に移り、

ついには、下にあるような過熟ともいえるひねりの効いた演劇的リアリズムに到達する。この《青

年像》は、奇跡的にエーゲ海の海底から引き揚げられたもので、損傷は激しいものの土や砂に

うずもれていたおかげで重要な部分が幸運にもよく保全されている。ギリシャ美が頂点を極め、

さらにとうたけて世界中に広まったヘレニズム時代の美の規範を現代によみがえらせてくれる貴

重な作品だろう。②のク―ロスから④の青年像に至るまでせいぜい300年の出来事ではあった。

              

まあ、ギリシャ美の祖型は紀元前5,6世紀に生まれ、紀元前後には

f:id:iwasarintaro:20170210113541j:plain④ 青年像

もう頂点を極め、過熟して熱波のように世界に広がるーー。それをロ

ーマ人が継承して、ルネサンスで再び脚光を浴び、19世紀の新古典

派の時代に三たび浮上した。ギリシャ美の概観はそのような理解で

十分だろう。                   

しかし、僕は一方で紀元前2500年くらにいは平気で遡る、①の《スペ

ドス型女性像》を、東海道五十三次日本橋起点のように置いて、い

つも現在位置を参照するのに使いたい誘惑に駆られてならないのだ。

学術的には何のつながりも証明できないだろうけど、プリミティブな

造形の中に早くも潜む造形欲求というか、整形美への志向を、このピ

カソやジャコメッティなどに霊感を与えた豊穣の女神に見出すからだ。

もし読者の諸賢兄姉がぼくの妄想に笑ってお付き合いして頂けるなら、

その時ギリシャ美の系譜、壮大な時空を超えた妖艶な絵巻物に姿

を変えるのだが。

 

さて、上の青銅の青年像に話を戻すと、《ミロのヴィーナス》や《サモト

ラケの二ケ》と時代を同じくするヘレニズム期に属するが、一体全体、

このように人体表現を立体的かつ動態的に、唯一ギリシャ人が高め

 

完成させ得たのは、何故なのか。次回その辺のまだ誰も語らない僕の説を開陳させて頂く(つづく)。

 

①《スぺスドス型女性像》前2800年~2300年 キュクラデス博物館蔵

©Nicholas and Dolly Goulandris Foundation-Museum of Cycladic Art, Athens, Greece

②《ク―ロス像》前520年頃 アテネ国立考古学博物館

©The Hellenic Ministry of Culture And Sports-Archaeological Receipts Fund

③《アルテミス像》前100年ごろ アテネ国立考古学博物館

©The Hellenic Ministry of Culture And Sports-Archaeological Receipts Fund

   ※紀元前4世紀のオリジナルを前100年ごろに翻案したもの

④《青年像》前4世紀~3世紀 アテネ水中考古学監督局蔵

©The Hellenic Ministry of Culture And Sports-Archaeological Receipts Fund

 

■展覧会の会期は、2017年4月2日(日)まで、神戸市立博物館にて。

                      

美術評論家 美術ソムリエ 岩佐倫太郎

 

 

この古代ギリシャの青年像は神殿に奉納されていたが、さて、彫刻としてはどう見ればいいのか?

  • 特別展【古代ギリシャー時空を超えた旅ー】(神戸市立博物館) その③ ■

 

この大理石に刻まれた高さ160センチの青年像は、ギリシャアポロン神域から発掘された。日

本でも神社にお札を納めると言った風習があるが、紀元前の古代ギリシャ人は神殿に、美しい

若者の彫刻像を奉納したのだ。このような若い男性像を「ク―ロス」と呼ぶ。これは、人間の姿は

神から授かったもので、美しい人間の姿を神はことのほか喜ばれる、との考えである。

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今回、展覧会に足を運んだ人は、2階の会場内でひときわ目立つこのク―ロスに、何らかの美的

な引力を感じるに違いない。それは一体なぜなのか。また、このような彫刻に向き合ったとき、美

術としてどう鑑賞したらいいのだろう。以下、僕の見方の手順とポイントである。

                              ●

まず離れてザックリと見たときに誰しも気づくのは、人体を3次元でリアルに再現できている事だ

ろう。プロポーションの良い体躯は決して筋肉ムキムキではないが、腹筋もちゃんと割れ、太腿も

半端でなく厚みがあり、たぶん古代オリンピックの勝者をモデルにしたのではないかと僕は想像

する。次に少し近づいて見ると、やはり容貌が端正で若々しいことも認めない訳にはいかない。

もし、長く伸ばして編んだ髪がなければ、そのまま今日の若者にも見えるだろう。ポロシャツなど

着たところを想像してもらえばいいのだけれど。

 

顔つきはオリエントが混じっているのか、ある種の精桿さが見て取れる。そしてさらに見ていくと、

ここが一番のポイントだが、彼の唇に浮かぶ「笑み」に気づかれるだろう。唇の両端を持ち上げて、

様式的なほほえみをたたえているのだ。これを古代の笑み=アルカイック・スマイルと呼ぶ。アル

カイックとはギリシャ語で始原とか太古を意味する「アルケ―」に由来する。

 

この辺を押さえておくと、この彫刻の美術史的な価値を推し量る決め手になる。と言うのは、これ

から以降、ギリシャの彫刻は祭祀性を離れて、芸術としての美しさや独自性を追求するようになり、

もはや意味のない笑いを漏らしたりはしなくなるからだ。日本で言えば大黒様の笑いのような、時

代的には古い精神に属する祭祀的な笑いを残している点が特徴だ。ちなみに紀元前6世紀の

この時代を、ギリシャ彫刻ではアルカイック期と呼ぶ。

 

さて、もういちど体の話に戻ると、体の造像は立体感としては十分表現がなされているけれど、

まだどこか正面を向いた謹直なポーズを取っている。したがって骨盤も水平だ。ここには紀元前2

世紀の《ミロのヴィーナス》に見られるような、ろうたけた体のひねりや表現的な誇張はまだない。

ギリシャはこの後、理想主義的な様式を確立するクラシック期という黄金時代を迎える。このクー

ロスはちょうどその前夜にいる。体はもうクラシックに限りなく近づいているものの容貌はまだ古代

的な笑みをたたえ、両者が一身の中で共存している。なので人類の美術の歴史の中で、祭祀と

芸術が枝分かれする、そのちょうど分水嶺を目撃する思いがするのだ。芸術が芸術の自意識に

目覚める前夜の、記念碑的な作品とも言える。ク―ロスの持つ美的引力と美術史上の重要性は

そこにある。

 

《ク―ロス像》前520年頃 アテネ国立考古学博物館

©The Hellenic Ministry of Culture And Sports-Archaeological Receipts Fund

 

 

展覧会の会期は、201742日(日)まで、神戸市立博物館にて。

                      

美術評論家 美術ソムリエ 岩佐倫太郎

 

 

ギリシャ美って結局、ミロのヴィーナスのことでしょ、と言うのは間違いではないが、源流はこれ?

 

■特別展【古代ギリシャー時空を超えた旅ー】(神戸市立博物館) その② ■

 

我々はいまだにギリシャの美意識に支配されている。たとえば、8頭身美人。こんなプロポーショ

ンの規範もギリシャ人が作ったものだ。おかげで東洋の我々はいささか迷惑しているのだけれど。

でも誰も例えば天平時代の中国型のぽっちゃり美人が世界に通ずる美のスタンダードだとは、言

ってくれない。それどころか、世界の大勢は、やや男性ホルモンが多いマニッシュで筋肉質な女

性像になびいているし、ハリウッドが生み出すスター像だって、そうだ。

そのせいか、《ミロのヴィーナス》や《サモトラケの二ケ》などギリシャ発の彫像が、美の女王として

ずっと玉座に君臨してきたのではある。彼女たちが作られたのは何と紀元前2世紀、3世紀。ヘレ

ニズムと言うギリシャの美意識が到達した、最後でかつ最も成熟した美意識の時代の産物だ。

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《スぺドス型女性像》前2800年~2300年 キュクラ

デス博物館蔵©Nicholas and Dolly Goulandris Foundation-Museum of Cycladic Art, Athens, Greece

 

ところで一体ミロのヴィーナスが生まれる以前、その遥か昔はギリシャ人はどんな美意識を持っ

てていたのか。その答えは、写真の《スペドスの女性像》を見るとわかる。画像を見て、あっけに

とられた人もいたのではないか。と言うのは、今から言うともう5千年近く前のものなのに、何だ

かモダンではないか!間違うとジャコメッティやアルプなどの現代彫刻と思ってしまうかもねえ。

ところがよく見て頂くと股間には、明確に女陰が刻まれている。それで我々も、ああそうかこれは

世界に広く存在する古代の地母神崇拝の偶像か、と理解する。地母神崇拝とは、女性の子供を

産む力と大地の生産力を重ね合わせ、自然の生命力を讃える信仰である。この彫像は、高さが

約74センチ、キュクラデス群島と言うギリシャエーゲ海の南西部、クレタ島の北側に点在する

島で発見された1点。

さて、僕が惹かれるのは、《スペドスの女性像》がオリエントなど他の地域に出土する地母

神礼賛の素朴でプリミティブな土偶的なデザインとは、明らかにかけ離れた造形への意思を持っ

ているように見受けられる点だ。モダンデザインを超えて、ポストモダンともいうべき簡潔な省略や

モデリング志向を感じる。何かイデアと言うものを表現しようという意思を孕んでいるように僕には

思えるのだ。

この造形性が、《ミロのヴィーナス》につながった、などとの暴論は控えておこう。たとえ《ミロのヴィ

ーナス》が発見されたメロス(ミロ)島が、この像と同じキュクラデス群島の島であるとしても。両者

には2500年の時間の隔たりがあるし、空間把握は平板で3Dの表現にも当然まだ至っていない。

人種もたぶん、変遷して入れ替わったとみる方が普通だろう。それにもかかわらず、《ミロのヴィー

ナス》にちょっといやらしいくらい見て取れる、架空の理想像を求めてやまないモデリング欲求が、

もうすでに潜んでいると思わないだろうか。もしそうなら両者は時を超え人種を超え、文化のDNA

として連綿と流れ続け、呼び交わしあっていると言うことになる。う~む、どうだろう、妄想かな。

 

■展覧会の会期は、2017年4月2日(日)まで、神戸市立博物館にて。

                      

美術評論家 美術ソムリエ 岩佐倫太郎

今も美の世界ではギリシャ美が不動の基準だ。一体それはどのように生まれ、なぜそうなったのか。

特別展【古代ギリシャー時空を超えた旅ー】(神戸市立博物館)にちなんで

 

 

現在のギリシャ政府は財政破綻の危機に瀕し、債務の減免を求めざるを得ない誠にはかばかしくない経済状況ではある。しかしながら、美の世界においては、ギリシャは世界を制覇し、2500 年に及ぶ長い歴史の中で、文字通り人類の美意識のスタンダードであることを誇ってきた。いわば不動不滅の4番打者なのである。

 

ギリシャは今日の美の源流であり、ビザンチン美術もルネサンスも、そして近代絵画に至るまで、ずっとギリシャは美の基軸であり続けた。まあ、ギリシャを理解しないことには美術の話は始まらないのであるが、尊敬されて止まないギリシャ美の規範は、一体いつどのようにして生まれたのか?

まさか生まれた時からこうでした、という訳ではあるまい。美の様式や規範の成立には、それなりのプロセスや発展段階が生命体のようにあって、それを経て今日につながったになった違いない。

                            

また、ギリシャ美の絶対的な規範が生まれたとして、どうしてそれが世界に広がり皆が受け入れ、今日まで高い評価を与えて来たのか。その理由は何だったのか。などと、ギリシャについては色んなことを考えさせられる。

                            

いま神戸市立博物館で開催中の特別展【古代ギリシャー時空を超えた旅ー】は、そんなわけで僕にとって格好の考察の現場である。この展覧会、去年夏には上野の東京国立博物館で開催されたので、そちらで既にご覧になった方もあるかと。じつは僕もわざわざ見に出かけた一人であるが。

いずれにしても、ギリシャ美の歴史を考古学にまでさかのぼって解き明そうという野心的かつ周到な美術展となっている。物量的にもかなりなモノだろう。

                            

さて神戸の元町に近い市立博物館。石造りの洋館に入って、最初に観覧者が目にするのは

この《アルテミス像》だ。紀元前100年頃、とあるから、美術史的にはギリシャ美が最も成熟

したヘレニズム期の作品と言うことになる。大理石で、高さは140センチの彫刻――。

 

f:id:iwasarintaro:20170118193311j:plain《アルテミス像》前100年ごろ アテネ国立考古学博物館©The Hellenic Ministry of Culture And Sports-Archaeological Receipts Fund

アルテミスと言えば、ギリシャ神話での狩りと月の女神だが、この作品は髪型も姿態も処女的

なまでに初々しい。完全な3D感覚も含め、今の時代の者が見て何ら違和感を感じさせない。

僕には薬師寺の日光月光菩薩を思わせる衣文の格調と流麗。また脚を見れば動態を秘め

たストップモーションの凝縮感も見どころ。まだ7頭身以下だし、腰のひねりなども、同じヘ

レニズムの時代の、あまりに有名なルーブル《ミロのヴィーナス》や《サモトラケの二ケ》などの﨟(ろう)たけた表現には至っていないけれど。ギリシャ美が「コントラポスト」と言われる体の肉感的なひねりを持って、左右の足の体重を掛け違える手法を発明するまでもう一歩のところまで来ているではないか!まだ謹直だったころのギリシャの美の規範が、官能的なまでの成熟美に至るちょうど間にある作品。実に珍重すべき出展品と思える。さて回はこれよりも古い起源の、ミロのヴィーナスなどを生むまだまだ以前の、古代ギリシャの彫刻をさかのぼってご紹介する(つづく)。

 

 

ジャポニスムとは何か、どのように始まったのか、浮世絵はどう影響したのか、最終回。4-4

ではマネが多大な影響を受けるほどに、直接、大量に春画を見ていたのか。本人がそのようなメモや日記を残したわけでも

ないし、彼の死後、遺品から大量の春画が見つかったというような記録もありません。しかし、ブラックモンに教えられた北斎

漫画をきっかけに、マネだけでなく、モネ、ドガらパリの若い画家たちがこぞって、浮世絵に急速に接近し、コレクションを始め

たのは紛れもない事実です。集めた絵の中には当然、春画がないわけがありません。5分の一は春画なんですから、画商も

当然抱き合わせで売ったに違いない。買う方も、エロビデオを下の方に隠して何本か借りる今日の若者と変わりません()

                                        ●

ここからは学者でなく小説家的な想像ですが、モネの中でジャポニスムが、アーティストとしての根本的な部分を刺激した。つ

まり本物のアーティストは、歴史を否定し打ち壊し、自分ならではの独自の表現を見つけないことには気が済まない人種です。

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ジャポニスムの始まり。版画家ブラックモンが《北斎漫画》をヒントに、食器をデザイン。

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マネ《エミール・ゾラの肖像》

 

マネのこのような方向性をいち早く認め擁護の論陣を張ったのが、小説家で評論家のエミール・ゾラです。この絵はその感謝

の気持ちでマネが贈った肖像画ですが、背景に日本の浮世絵やマネ自身のオランピアなど描かれて、洋の東西がぶつかり

合い、摂取しあって、新しい文化の流れができたことを示す、凄い証拠品のような絵です。写実派のクールベもやはり春画

い影響を受けて、例によって、負けるものかと《世界の起源》と題する作品を残しています。真面目だけどあまりにモロなリアリ

ズムって表現に面白みがなく、惜しいかな退屈だなと思ってしまいますね。

 ●

僕の考えでは、西洋の美術史は意外と簡単で骨太く、大事件は2つだけです。ひとつはルネサンスの誕生です。ビザンチン

キリスト教美術を打ち破り、ギリシャ古代ローマの人間味に溢れた肉体的表現が復活します。もう一つの山は、今回の

浮世絵の影響を受けて生まれた印象派です。

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僕は中でも春画の影響が大きかったと主張しています。まあ、美術と言うもの

は、他の文明と交わることによって初めて、新しい子供を産んでいく、異種交配が宿命づけられているのかと思います。                                     

 

 

それをわかりやすく表すと、このような山脈の図でもって理解して頂くことができます。あるのはたった2つのピークです。偉

大なる最初のピーク、頂きは先ほども言ったように15世紀のルネサンスです。その前のデカン高原のようなのは何かとい

うと、千年続いたビザンチンです。ビザンチンはイエスなど聖人のイコン、つまりアイコンばかり描いていた時代ですね。、神

の子をいじっちゃならない、ポーズを取らせたりするのは恐れ多い、不敬である、ということになっていました。じつに千年続

いたんです。それがルネサンスになると、キリスト教文化や教会権威からの人間の解放を目指そうとします。その時、力にな

ったのが、ギリシャ及び古代ローマの美の様式です。こちらは宗教的にもキリスト教と違って、一神教ではありませんでして、

多神教です。ギリシャを再発見することで、教会に抑圧されていたルネサンスの人々は自由になることができた。その結果、

ようやくビザンチン様式の古い衣を脱ぎ捨て、新しいよりヒューマンな人間中心の表現様式を獲得して行った訳です。

                                        ●                                      

2番目のピークはその約400年後にやってきます。ルネサンスで神からテイクオフしたとはいえ、厳然としたキリスト教倫理

の縛りの中で、まだまだ不自由だった美術表現。それが今までご説明したように春画を含む浮世絵と出会うことで、印象派

が生まれ、ルネサンスで新しくなったはずの西洋絵画はまた古い殻を破り捨てた。マネがその最初の画家でしたね。

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ゴッホ 《ダンギ―爺さん》 マティス 《帽子の女》 

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クリムト 《接吻》  みな浮世絵の申し子である

 そこからモネ、ドガなど印象派が生まれ、ポスト印象派ナビ派クリムトピカソと言うように、西洋美術の新しい潮流が流

れ出していきます。みんな浮世絵に多大な感化を受けた画家たちです。もう一度この図を覚えて、頭にしまい込んでおいて

欲しいのですが、西洋美術のピーク、二大巨峰は、ルネサンス印象派です。その印象派について、ド・ゴール時代のフラン

スの文化相、アンドレ・マルローは次のように述べています。――「印象派が浮世絵を発見したのではない。そうでなく、若

い画家たちが浮世絵に出会って、印象派が生まれたのだ」。この点を忘れないようにしてくださいね。

それでは今日のお話の最後、第4章、森さんによる印象派以降の西洋絵画の流れを、僕も一緒になって聞かせてもらいた

いと思います(岩佐の講演記録、完)

 

ニューズレター配信 岩佐倫太郎

 

長い講演録に最後までおつきあい頂き、ありがとうございました。さて、明日から北イタリアの美術旅行に出かけます。

ビザンチンのイコンのモザイク画、初期ルネサンスのフレスコ画、好きなヴェネツィア派絵画など見て歩く予定です。

 

 

 

ジャポニスムとは何か、どのように始まったのか、浮世絵はどう影響したのか、講演録。4-3

さあ、それでは今日僕が一番話したかった、話の肝に移ります。それは春画であります。春画は浮世絵の一部で、春画を描

かない絵師はいません。わずかに写楽の春画が見つかっていないくらいです。卓抜な風景画家の広重だって描いています。

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歌麿 線描のうまさにも注目    

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 北斎《蛸と海女》この絵は早い時期にヨーロッパに渡っている 

 

まあ当時、浮世絵の絵師が、春画を描くのは当然だったんです。全部の浮世絵の約5分の1が、春画だと言われています。

今日僕はここで、「春画こそが印象派を生んだ」という大胆極まりない説を公開致します。僕はルネサンスボッティチェルリ

の《ヴィーナスの誕生》いらいの西洋絵画のヌードをずっと調べていて、ヌード画こそが絵画の本質だと思うようになりました。

一番難しく一番きわどいジャンルなんです。画家の思想と技がモロに現れるのがヌードです。間違うとキリスト教会の倫理に

も抵触し、画家としての生命を絶たれます。それ故、長らく西洋画のヌードは、羽の生えた天使がまわりに飛んでいるような、

女神像として描かれました。それなら許された。逆に、神様のヌード以外は認められなかったわけです。

                                      ●

ところがヌード画にとんでもない事件が起こる。神様ではない人間のヌードが登場するんです。作者はマネです。マネは何故、

突然変異のように、400年以上守られて来たタブーを大胆に破って人間のヌードを描くに至ったのか。その変化がぼくには

とても不思議で、なおかつ理解不能なんです。あまりにドラスティックすぎる。

 

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ボッティチェルリ 《ヴィーナスの誕生》 1483年            

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ティチアーノ 《ウルビーノのヴィーナス》 1538

もう一度《ヴィーナスの誕生》に戻りますと、これはギリシャの女神です。教会の権威から離脱したかったメディチ家など当時

の新興の富裕階級は、理想の神々をキリスト教ではなく、ギリシャ神話に求めました。その考えを代表しているのでこの絵は

素晴らしいんです。もちろんボッティチェルリのタッチが斬新でファッショナブルで時代の先を言っていたこともありますが。

次の世紀に入っても、ティチアーノの時代でもやはりヌードは女神でなくてはなりませんでした。おまけに、入浴の後で下女が

タンスからお召し物をいまお持ちしようと探してますよ・・なんていうエクスキューズまでつけています。そこから時代が下って、

高校の教科書で有名なアングルなんかも、ギリシャ彫刻を絵にして、目玉を本物の人間のようにしただけの気持ち悪い絵を

描いてます。恥毛もないでしょう。ギリシャ彫刻では恥毛は表現しないことになっているので、それに倣っているのです。でも

こんなのが当時つまり19世紀のアカデミズムの代表なんです。美術学校に行くとこういう画法を教えられる。

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カバネル 《ヴィーナスの誕生》 1863年      

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マネ 《オランピア》 1863年    

 

このカバネルの天使が飛び回る《ヴィーナスの誕生》。1863年のものです。ルネサンスいらいの、ヌードの掟を守った画法です。

この絵はナポレオン3世の買い上げの栄誉に浴します。ところがそれと同じ年に、マネはこんな絵を描いてるんです。どっちが

うまいですか?普通ならカバネルでしょう?それに引き換え、マネのこのヌードの女性、女神さまではないことは分かりますが、

それにしても何だかチンチクリンですね。扁平だし。それに奥行き感、立体感もないですね。今から150年前、この絵の新しさ

を見抜くのは大変な才能を要したと思います。

                                        ●

でもこの絵が、僕の言葉で言えば、ルネサンスの首を切り落とし、近代を開いた絵なんです。ついでに言うとこのモデルの女性

は、娼婦とされています。美しい女神様ならヌードでもいい、でもこれは人間のしかも娼婦。いままでのキリスト教文化、表向き

の建前では絶対にありえなかった絵画が飛び出してしまったんです。「狼藉者め!」体制側の人間はあからさまな挑発に憤っ

て、これを排除にかかります。性倫理の厳しい社会の中で、人目を盗んでひそかに娼婦のもとに通っていた男などは、自分の

日頃の行状をバラされた気がしたかもしれません。それで逆上して、わざと大声で蔑みの笑いをもって対応した。人間って真実

を突かれると逆上するものですね()。むろんその辺はマネの方も確信犯です。前作の、皆さんもよくご存じの《草上の昼食》も

含めて、戦略的に体制に思い切り楯ついています。まだこの絵のモデルが豊満な美人で、もし奥行き感たっぷりに描かれてい

たら、また別の反応があったかもしれませんけどね。ところが、この絵にはルネサンスいらい、西洋絵画が大事にしてきた奥行

はないし、モデルの体も扁平で、影もなく、殴り描きのような筆遣い。色もまた、伝統的な滑らかなグラデーションなどほど遠い

版画的な画面分割。身もフタもない、言い逃れをはじめから拒否した挑発的な絵です。

                                        ●

そしてここがポイントなんですが、結局この絵の性的に放縦なところも、立体感の無い平面的なところも、色の滑らかでないとこ

ろも、これってみな浮世絵の、それも春画そのものではないでしょうか。モネの《オランピア》は、油絵の具によって描かれた、春

画である、ともいえると思います。春画こそがマネに倫理的な性の解放を仕掛け、遠近法の否定や享楽的な色彩術を教えた張

本人。そう理解する方が、マネのヌード画の、とんでもない跳躍の高さを納得できるのではないでしょうか。少なくとも僕はそうで

す(つづく)。

 

ニューズレター配信  岩佐倫太郎  美術評論家

 

ジャポニスムとは何か、どのように始まったのか、浮世絵はどう影響したのか、講演録。4-2

 

いま、森先生から、ヨーロッパが受け止めたジャポニスムの衝撃と言うものをご説明頂きました。それでは文人も画家もこぞ

って、まるで流行病のようにジャポニスムの軍門に下った真の原因はなんであったか、技術と思想の面から順にご説明させ

て頂きます。

まず技術的に彼らが圧倒されたのは構図です。この画像、広重ですけど、こんな斜め上空からのアングルと言うのは西洋絵

画にはありませんでした。まるでカメラを搭載したドローンで見たような景色。しかも、北斎の「神奈川沖」にしても、富士山と

言う大事なものが遠くにあって、まるで望遠鏡を反対に見たときのように、ちょっと気が遠くなりそうな凄い空間の広がりと奥

行きを感じます

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歌川広重 東都名所 高輪の名月

逆遠近法とも言われています。それに比べて見ますと、ルネサンスの遠近法は、実は大変生真面目なモノでしてね、平らな

カンヴァスの中に人物なりが彫刻のように立ち上がり、3Dとして見えないといけないものでした。ダ・ヴィンチモナリザにし

ても一生懸命そのための技法を発明して使っている。遠くのものは青くぼんやりと見えるという原理の空気遠近法とかですね。

 

そしてさらに注目して頂きたいのは、縦横の比率のデフォルメです。縦のレートを3倍ほどにしていると言われます。彼ら西洋

のリアリズムから言うと、こんなふうに縦横の比率を勝手に変えちゃ困るんです。今のコンピュータ画像の時代ならこうしたこと

が素人にも簡単にできますけれど、この時代、頭の中でまず自在に視点を変え、その上デフォルメも加えるとは何とも凄いこと

でした。

 

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葛飾北斎 神奈川沖浪裏

 

多分ヨーロッパの画家は、この一点だけでも「参った!」となったと思います。プライドの高いクールベなんかも北斎を一生懸命

真似るんです。でもやっぱりリアルなだけ。波が画題になるなんて事はこの時代とても斬新ではありますが、写実の限界があり

ます。やはりデフォルメするということに、この時はまだ思いが及ばないんですね。

さて構図の話に次いで、色遣いのことを申し上げます。豊国の遊郭の花魁図ですが、なかなか享楽的ですよねえ!エロい、色

遣いと言ってもいいと思います。さっきの森さんのゴッホの解説にもあったように、こうした色遣いを見てゴッホは弾ける訳です。

一皮もふた皮もむける。暗いオランダから出て来て、自分の中のリミッターみたいなものをブチ切って脱皮して、色爛漫な新しい

ゴッホに生まれ変わる。天才ゴッホも浮世絵無くしては誕生しなかったんです。

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(上)三代豊国(国貞) 美人 牡丹                     (下)三代国貞 花川戸助六 市川団十郎

 

次の3代目国貞かな、この役者絵のグラフィックな色使いも凄いでしょう?モダンで、現代のグラフィックアート、例えば田中一

光を見ているような気もしますね。もう、影などなくても、輪郭線や色遣いで我々は十分に頭の中にリアル極まりない世界を再生

することができるんだ、そういうことをヨーロッパは学んだわけです。

浮世絵の技法の優れたところは、構図、線描、色遣いです。これはどの学者も異論のないところだと思います。皆さまもそう理解

して頂いて全く間違いはない。しかし僕が思いますに、実はその技の奥にあるものこそが、当時のヨーロッパの人間を圧倒したの

ではないか。

それは何かというと、日本人の思想であり人生観なんです。生活レベルの高さ、と言っていいかもしれません。日本人の生活を

エンジョイするエネルギーや、花鳥風月の自然を友とし、四季を愛でるライフスタイル、それに平等で自由で平和に見える社会の

ありよう・・。逆にパリなんかはフランス革命の後、内戦も含めて戦争に明け暮れていた。それが、こうした浮世絵の世界を知ると、

パリの画家たちも西洋の人たちのキリスト教倫理に縛られた息苦しい階級社会に、希望を見出し、理想境として憧れたんではな

いか。命を取ったり取られたりギロチンにあったなどと言う物騒なこともなさそうだし、人々はのどかに旅を楽しんでいる、おまけに

政府公認の遊郭まであるらしいね!とまあ、そんな情報が浮世絵を通じて流れ込んできて、そんな楽園があったのかと驚愕した

わけですね(つづく)。

 

ニューズレター配信 岩佐倫太郎  美術評論家