岩佐倫太郎ニューズレター【京都大学時計台講演~浮世絵と印象派~ジャポニスム◆WEB講座①】No173.1706

ジャポニスムは、始め異国趣味として受け入れられるが、次第に技法と思想でヨーロッパ人を圧倒する。

 

■■【京都大学時計台講演~浮世絵と印象派ジャポニスムWEB講座①】■■     

 

フランスにおけるジャポニスムの始まりについては、面白いエピソードがある。パリ

にブラックモンと言う版画家がいて、19世紀の後半の事だが、ある時、友人より日

本から送られてきた焼き物の包装や緩衝材に使われた紙を渡される。そこにはま

だ見たこともない、いとも珍しい異国的な絵模様が刷られていたのである。驚嘆し

た彼は直ちに、マネやドガなどの仲間に知らせたばかりか、みずからも焼き物に応

用して見せる。それが下の画像だ。元の浮世絵は広重の「魚づくし」かと思われる。

 

 f:id:iwasarintaro:20170628135731j:plainf:id:iwasarintaro:20170628135827j:plain

フェリックス・ブラックモン《赤魚に雀図皿》1867年 広重《魚づくし――赤魚》1863年 左右反転

確かにジャポニスムは始め、ちょっとした異国情緒、ブルジョワのエキゾティズムと

して受け入れられたかもしれない。しかしながら、1858年(安政5年)の日本の開

国やヨーロッパ各地での万国博への出展によって、日本の工芸・美術品の超絶技

巧や色彩・デザインは大いに知られるところとなり、たちまちにして熱狂的な賛美者を生み出したのである。文明度の高い国が250年も鎖国して、他国の影響を受けずガラf:id:iwasarintaro:20170511125108j:plain

ラパゴス的に発展したらどうなるのか。結果生まれた奇蹟的な美の楽園は、西欧人の

思う美術の進化とは隔絶していて、驚愕と憧憬の対象となった。のちに印象派の巨匠となるモネなども、熱心な浮世絵コレクターで、自身でも着物姿の妻の、扇を持った肖像画を描いている。また、ゴッホのケースも取り上げない訳にはいかないだろう。彼は広重に心酔した。有名な模写も、何点か残している。ところで、右の絵の漢字の部分を仔細に見て頂きたい。ゴッホは漢字を知らないのに、模様としてけなげにも漢字を一生懸命、引き写しているのだ。また雨を線で表現するなどと言うことも、当時の西洋画の作法としてはあり得ないのだが、構わず彼は模倣した。ぞっこんぶりが見て取れる。

f:id:iwasarintaro:20161129134422j:plain

 広重《大はしあたけの夕立》1863年  ゴッホ《日本趣味;雨の大橋》 1887年

 

僕が想像するにゴッホは、熱いマグマのような宗教的才能を生来的に持っていた。

若い頃宣教師をしたのも、その情熱のなせるわざだろう。しかしその情熱はどうも

不器用で、スマートに一神教的な教義を受け入れることはできず、むしろアニミズ

ム的と言える多神的な宇宙と、感覚を開放して交感していた人のように思われる。

「被覆しないむき出しの電線」みたいで大変危険ではあるが・・。そんな彼だから、

パリに出て浮世絵に遭遇したとき、これぞ自分の求める究極の楽園だと、感電し

たように痺れて、狂喜したのではないか。それどころか、技法も世界観も、根本的

なところで揺すぶられて、自分の描画法の大きな変換を果たしたのだろう。

試しに比較して頂きたいのだが、下のオランダ時代の絵の暗さはどうだろう。それ

に引き換えパリでの、浮世絵を引用しまくりの絵の鮮やかで吹っ切れのいいこと!

一皮もふた皮もむけている。もうこれはゴッホ流の宗教画ともみなせるだろう。

右の絵を見るとゴッホゴーギャンと並んで、卓抜したカラリスト(色彩家)であ

る事も見てとれる。その色彩感覚は何処から来たのか?浮世絵は版の数が限られて

いるから、写実的でない色遣いをする。色による平面的な画面分割も必然だ。ゴッ

ホの色はそこから来たと考えたい。(WEB講座次回はセザンヌ)。

f:id:iwasarintaro:20170628141523j:plainf:id:iwasarintaro:20170511125340j:plain

ゴッホ馬鈴薯を食べる人々》1885年 ゴッホ美術館 《タンギー爺さん》1887年 ロダン美術館

 

さて、7月8日(土)の京大講演会の本番では、浮世絵の明白な印象派への影響を、

マネ、モネ、ゴッホなど作家ごとに、作品を浮世絵と対比させながら、森耕治先生と

一緒に多くの画像を用いて、わかりやすく話をさせて頂きます。

お問合せ、申し込みは iwasarintaro@gmail.comまたはこのメールにそのままご返信ください。

講演;14時から16時(4千円)、懇談会17時から19時(6千円、同じ時計台のラ・トゥ―ル)。

90名を超えるご予約をいただき、残席わずかになりました。まもなく締め切らせていただきます。

岩佐 倫太郎  美術評論家/美術ソムリエ    

 

 

【アレクサンダー大王の東方遠征が、ヘレニズムを生んだ】 NO.172ー1705

アレクサンダー大王は、ギリシャ美で世界を征服した。21世紀の我々も、まだその虜囚である。

 

□■□【ギリシャ・シリーズ最終回。アレクサンダー大王の東方遠征が、ヘレニズムを生んだ 】□■      

 

講演会などを多忙の口実に、しばらくギリシャ美術について書くのを怠っていたら、その間に神

戸の「古代ギリシャ」展は終了してしまった。まあ、何ともおまぬけな話ではあるが、アレクサンダ

ーの事だけは書いておかないと、僕としてはギリシャ美の話が完結しない。今回が最終回です。

                            ●

アレクサンダー大王(紀元前356332)の話はもう有名なのでここでは大概略を記すだけにと

どめておく。ギリシャの北にあるマケドニアの王家に生まれた不世出の英雄と言っていいだろう。

若い頃、哲学者アリストテレスを家庭教師とし、当時最高の知性から直接、哲学や地誌、帝王学

などを学ぶ。20歳の時、父王がテロリストの凶刃に倒れるや、若いながら即、王位を継承する。

cid:image001.jpg@01D2D6F3.BA9E01C0https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c3/Battle_of_Issus_mosaic_-_Museo_Archeologico_Nazionale_-_Naples_BW.jpg/1920px-Battle_of_Issus_mosaic_-_Museo_Archeologico_Nazionale_-_Naples_BW.jpg

イッソスの戦い》(BC333)のモザイク画。愛馬に乗るアレクサンダーと中央、戦車のペルシャ王ダリウス。

 

リシャ諸都市を統一し、エジプトを制圧してファラオとなったのは弱冠24歳の時。ついでペル

シャ王ダリウスを追ってメソポタミアの地に大軍を率いて東征し、諸都市を支配下に組み入れな

がら、ついには王を放逐し、ペルシャ王国の解体に成功する。                        

ここでやめておく手もあっただろうが、天才の野望は大軍をさらに東に向かわせ、終にインダス

川に達し、インド王さえも服従させる。しかしさすがに兵站は持ちこたえられず、ついにはバビロ

ンに引き返し、その地で得た病によって、戦いに明け暮れた33年の生涯を閉じることになる。

まことに太く短い英雄物語りなのであるが、その版図の大きさは眼をむくほどのものだ。北はド

ナウ川、南はアフリカ北岸、東はインドまで、わずか十数年で一大帝国を築いたのである。シー

ザーやナポレオンが彼を崇拝し、わが身になぞらえたくなるのも判るではないか。

                            ●

ところで彼の遠征の性質は、奪って焼き尽くすだけの「戦争」とは相当趣が違っている

ので注意が必要だ。アジアにギリシャ人を植民しながら進む民族の大移動であり、学者

を伴う学術踏査であり、橋や港湾などのインフラ整備を行い、アレクサンドリアと言う

我が名をつけた都市まで多く建設している。また、ペルシャ人とマケドニア人らの1万

人の合同結婚式まで執り行った史実も残っている。こうした10年以上にわたる何十万人

もの人間の1万キロメートルにも及ぶ進軍が、そのままギリシャ式のライフスタイルと

美学を運搬し、交流を促進し、それこそ混血による「ヘレニズム」を生んだのである。

                   ●

ヘレニズムはアレクサンダーの文化遺産のようなもので、彼の武力による世界統一の夢

こそは紀元前323年バビロンに潰えたが、ギリシャ文化はアジアにもヨーロッパにも広

大な版図の美の帝国をその後も築く。ミロのヴィーナスもラオコーンもその代表作品だ。

ギリシャ人はイデアを形にする才能に恵まれているのだが、ちなみにインドのガンダー

ラで仏像を初めて彫刻に刻んだのも彼らだ。そうなると日本の我々もまたアレクサンダ

ーの伝搬したギリシャ美の様式の継承者と言えなくもない。と言うのは例えばインドの

グプタ王朝様式とされる薬師寺の国宝の日光・月光菩薩などを見ても、腰をひねり片足

体重の踊るような姿態は、源流は明らかにコントラポストと呼ばれるギリシャ美の規範

なのだ。インドの向こうにギリシャが色濃く透けて見える――、これは誰も否認する訳

にはいかないだろう。

cid:image006.jpg@01D2D6F3.BA9E01C0

ガンダーラで仏像が彫られ始めたのは紀元1世紀。ドラクロアの《自由の女神》もギリシャ式の風貌だ。

 

ギリシャの発明品である8頭身や高い鼻梁、筋肉質なやせた頬の造形などは、西洋の近

代にまで影響を与え、我々の美人像をも規定している。我々は旅先の美術館などでそれ

を発見することも多いではないか。ギリシャ美の確立から2千年以上後の今も、世界は

ギリシャ美の捕囚である。そう考えると2千年の昔なんて、そんなに遠い過去ではない

ギリシャ美の項、全7回完)。バックナンバーは http://iwasarintaro.hatenablog.com/ 

 

岩佐 倫太郎 美術評論家 美術ソムリエ   

 

 

なぜアレクサンダー大王はかくも連戦連勝を重ねられたのか。武勇伝は別にして、全くの僕の仮説ではあるが、

「鉄」の技術の差があったのではないか。鉄の王国=ヒッタイトが紀元前⒓世紀に滅びたあと、安くて大量に作

る精度のいい「鋳鉄」の技術をマケドニアが開発し、槍・刀などの武具や食糧増産の農耕具を圧倒的な格差にま

で発達させた。その鉄文明の差で戦争を支配し、終には美の世界水準をも作り上げたと見るが、どうでしょうか。

 

■7月8日の京大時計台講演会は、講演・立食懇談会ともに満席に近づいています。お申込は iwasarintaro@gmail.com

 

薬師寺 国宝・日光月光菩薩HP  www.nara-yakushiji.com/guide/hotoke/hotoke_kondo.html

 

 

 

京都大学◆時計台講演~浮世絵と印象派~ジャポニスムのご案内

まずはこの2つの絵を見比べて頂きましょう。共通するものは何か?確かに「ヌード」ではある。それ以外には?実はこの2点の絵、どちらも同じ1863年に描かれたものなのです。左はカバネルと言う画家の《ヴィーナスの誕生》。皇帝、ナポレオン3世のお買い上げの栄誉を受ける。一方、マネのそれに対しては、ブーイングの嵐。

f:id:iwasarintaro:20170511123551j:plainf:id:iwasarintaro:20170511123721j:plain

カバネル《ヴィーナスの誕生》1863年        マネ《オランピア》1863年

もう21世紀の住人である我々の美術の常識では、もちろんマネが名画でカバネルは退屈(名前も知らない)、と言うことになってしまうのだが、当時は真逆。カバネルはアカデミーの超エリートで、ヴィーナスの造形はギリシャそのものの完璧さ。滑らかな筆のタッチは今日の写真のようにゾクっとするリアルさを備えている。

しかも天使を飛ばせて、これは神話ですからね、と言い張って明らかにポルノグラフィとしての嗜好も満たしている。一方、マネのはチンチクリンな、さしてモデルにふさわしいとも思えない女性が、奥行きもない平面の世界に寝転がっている。大小比も変だ(この二つの絵はどちらも、現在はオルセー美術館で見ることができる)。

以前に僕は、「マネは静かにルネサンスの首を切り落とした」と表現した。それはマネの絵が、400年以上続いたルネサンスが自負するところの遠近感や写実性をあっさり捨てているからだ。また、ここの説明は難かしいのだが、絵はある瞬間のある物語を表現しなければならない、と言った旧来の大原則も無視されている。色と形と意味がかろうじて具象の形を借りながらつながっているものの、実はもう古典的な絵画の文法や時

間空間はなく、限りなく後年の抽象画の精神に近いところへ突入してしまっている。マネはほかの印象派の画家と比べても、ひときわドラスティックで先鋭的だ。そこが後世に大きく高く評価されるゆえんなのだが・・・。

                    

さあ、それでは一体、なぜマネがこんな巨大な歩みを進めることができたのか。「うっそー」と言われるかもしれないが日本の浮世絵の影響が大きい。幕末、鎖国体制が解かれると、浮世絵をはじめとした日本の美術品がどっと欧州に流れ込み、ジャポニスムと呼ばれる日本趣味が彼の地で形成され、画家たちが熱狂する。

 

f:id:iwasarintaro:20170511125108j:plainf:id:iwasarintaro:20170511125244j:plainf:id:iwasarintaro:20170511125340j:plain

モネ《ラ・ジャポネーズ》1863年  広重《亀戸梅屋敷》とゴッホ《梅の花》、《ダンギ―爺さん》  

モネやゴッホなどは広重をはじめとする風景画にも多大なインスピレーションを得て、自分の画風を確立した。マネの場合も、浮世絵の平面感覚や色彩に影響を受けただろうし、なかでも僕の自説であるが、春画の影響は多大だったろう。輸出された浮世絵の5分の一が春画キリスト教倫理に縛られたヨーロッパにあって、春画が果たした性意識の開放は、当時の西洋人にとって文化と思想の大衝撃だったに違いない。ドガもクールベらもこぞって、あからさまに春画の影響を受けた作品を残している。アンドレ・マルローが言うように、「浮世絵が印象派を作った」というのが、美術史の真実なのだ。

さて、今度の講演会では浮世絵の明白な印象派への影響を、マネ、ゴッホ、モネなどの画家ごとに、作品を浮世絵と対比させながら、森耕治先生と一緒に検証していく予定です。ご参加をお待ちしています。 

f:id:iwasarintaro:20170511130024j:plain

すでにお申し込みが60名を超えました。申し込みは iwasarintaro@gmail.com

 後日振込などについてご案内します。◆講演14時から16時◆パーティ17時から19時

(同じ時計台の中のラ・トゥ―ル)

 岩佐 倫太郎 美術評論家 美術ソムリエ         

 

 

 

岩佐倫太郎+森耕治 美術リレー対談@京都大学(毎日新聞社後援)ジャポニスムとは何か~「印象派と浮世絵」

岩佐倫太郎+森耕治
■美術リレー対談@京都大学■(毎日新聞社後援 牧野出版協賛)

f:id:iwasarintaro:20170415140554j:plain

    
 
気鋭の美術評論家、美術史家が対話形式で語る、日本と西洋美術の驚くべき交流史。グローバルに仕事をする日本人のための講座です。日本の浮世絵(春画を含む)が西洋の近代美術史に大きな影響を与え、モネ、ゴッホなど「印象派」とそれ以降の美術の流れを作った事実を画像で実証。西洋文化を一方的に輸入してばかりと思いがちな日本が、実は西洋美術に大きく貢献していたことを語り、文化的なアイデンティティと誇りを再発見する。...
日時;7月8日(土)14時から16時まで
会場;京都大学百周年時計台記念館2階国際交流ホール
講演会の詳細は4月以降にお知らせします。
なお17時より19時まで同じく時計台下のフレンチ・レストラン「ラ・トゥール」で限定メンバーによる立食懇談会を予定。
会費;講演会のみの方4000円 懇談会と共通で10,000円。いずれも消費税込み。
申込;銀行への振り込みをもって、先着順で参加を確定する方式に致します。改めて振込口座など詳細を後日お伝えします。
 
 

古代オリンピックがギリシャ美を生んだ、と僕は主張してますが、ご納得いただけるだろうか。

■□■特別展【古代ギリシャー時空を超えた旅ー】(神戸市立博物館) その□■      

 

ギリシャ美を語ってもう6回目。おまけにプラトン哲学まで引っ張り出したものだから、

読者諸賢からは「ちょっとしつこいんじゃないの!」と閉口されているかもしれない。

僕も早く本題の古代オリンピックギリシャ美の話に進みたいのだが、もう少しだけ哲

学のことを語るのをお許しいただきたい

 

ギリシャと周辺の植民地に紀元前5世紀前後、哲学者が一斉に現れ始めたのだが、

目をもう少し東方に転ずると、同時期にインドでは釈迦中国では孔子老子現れ、

しかもみな遊行して教えを説くのである。人類にとって、またわれわれ日本人にも、多

大な影響を与えた思想はほとんどこの時期生まれているいったいこの符合は何か。

 

ドイツの哲学者、カール・ヤスパース1883-1969)は、この時代の特異性を「枢軸の

時代」と名付けている。枢軸とは分かりにくいが、地域が呼応しあうということか。とこ

ろが彼は、なぜこんな現象が起きたのかは、謎で不思議だ、としている。

                         ●

僕が思うにこれは不思議でも何でもなく、ユーラシア大陸広汎に青銅から鉄へと

イノベーションが起こり、量産が効いて安価で強い鉄の農具が行き渡り、食料生産革

命が起こったからだと想像する。そのため都市が各地に誕生し、食糧生産に直接か

かわらない思想家をギリギリえるレベルに達したのだと思う。要約すれば「哲学は

鉄から生まれた」、のである。それでは鉄の文明の源流は、と言うと僕は小アジア(ト

ルコ)の鉄の帝国ヒッタイトだと推測するが、この話は長くなので別の機会に

                         ●

さて、ようやくオリンピックの話をするところまで来た。2020東京オリンピックは、一体

何回目かご存じだろうか。わずか32回目だ。近代オリンピックはまだ百年ほどの歴史

しかない。ところが古代オリンピックは、ギリシャの都市でなんと1200年の長きにわた

って、つまり300回以上開かれた。

f:id:iwasarintaro:20170318125155j:plainf:id:iwasarintaro:20170318125507j:plain

 《ディスコボロス》ミュロン 紀元前450-440年を紀元2世紀に摸刻 大英博物館(参照画像)赤像式パテナイア小型アンフォラボクシング》前500年ころ アテネ国立考古学博物館蔵 cThe Hellenic Ministry of Culture And Sports-Archaeological Receipts Fund

見功者(みこうじゃ)と言う言葉がある。歌舞伎やアイススケートなどのファンの方はお

分かりだと思うが、人の目はすぐ肥えるのである。それが300回も続いた時の蓄積た

るや・・・。このことを人は想像できるだろうか。

 

ギリシャ人は強さだけでなく形態の美しさも比べ、鑑賞し、ついには絶対美の法則を抽

出して最も理想のモデリングを作ろうと努める。古代オリンピックの代表競技は、ボクシ

ング、レスリングなどだが、上の有名な《ディスコボロス》(今展には来ていないので注意

あたりを見れば、言わんとすることはお分かり頂けるだろう。

 

片足に体重をかけ体をひねる、ギリシャ彫刻独特の美の様式の原型が、もうここにある。

「コントラポスト」と言われるが、動を孕んだ静止美、ストップモーションのような緊張感の

ある凝縮した美意識だ。コントラポストは初め男像を刻むのに用いられ、次いでヴィーナ

ス像にも応用され、終には近現代の美の規範となって、今も美の世界に君臨している。

 

                        ●

 

思えば今から2500年前の昔、ユーラシア大陸は青銅器と神話の時代から、鉄による

食料生産革命を経て、哲学やスポーツや芸術が花開く都市文化の時代に移る。のちの

ルネサンスも含めて、現代の原風景はすべてここにある。それゆえに僕はギリシャのこ

の時代を強く憧憬する。さて次回はアレクサンダー大王とヘレニズムについて(続く)。

  

岩佐 倫太郎 美術評論家 美術ソムリエ    

 

NHK文化センター西宮ガーデンズ教室で特別講座を開きます。416日(日)1330

 京都国立博物館「海北友松」展(411日~521日)にちなみ、

「海北友松~龍で読み解く東西美術史」。詳細とお申し込みは NHK文化センター  

電話0798-69-3450 または https://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_1119201.html

 

 

岩佐倫太郎ニューズレター【NHK文化センター特別講義(4月16日)のごあんない】

この春関西でいち番の美術展は、コレ!開館120周年を迎える京都国立博物館の龍が目玉だ。

 

■□■   【海北友松展にちなんで~龍で読み解く東西美術史~】 □■□       

この春、関西の美術ファンに注目して頂きたい企画展は、京都国立博物館で開催される「海北友松」

(かいほう ゆうしょう)展でしょう。友松はを描かせれば桃山画壇随一。狩野永徳や長谷川

等伯と並ぶ実力絵師でした。戦国を生き抜いた武家の出身でしたが、それゆえか元は建仁寺ふすま

に描いたこの龍も、吹っ切れがよく、飄逸味がたっぷり。まさに京都最古の禅寺にふさわしい画格かと。

f:id:iwasarintaro:20170309151744j:plain

海北友松 雲竜図 1599年 建仁寺京都国立博物館寄託)

実は数年前から、建仁寺の座禅会に楽しみで時々通っていて、座禅する僕の眼前に広が

るこのダイナミックな龍(高精細なレプリカ、本物は京都国立博物館に寄託)にすっか

り魅入られてしまいました。想像上の怪獣がこんなに人に親しい存在なのも不思議です。

去年に続くNHKでの特別講義ですが今回はこの展覧会にちなんで、友松の絵をどう

見ればいいのか、どこが凄いのかなど、見どころをズバリ伝授したいと思います。

f:id:iwasarintaro:20170309151823j:plain

 《聖ゲオルギウスと龍》ラファエロ 1504-06 ワシントン・ナショナル・ギャラリー

また、ルネサンスの巨匠ラファエロらの西洋の龍の絵などと友松の龍を比較してみると、西洋の龍

(ドラゴン)はたいてい無惨にも征伐される対象なのがよく判る。一体この違いは何ゆえか。疑問を

解いていくうちに、大げさに言えば、僕は龍を通じて東西文化の成り立ちの根本に突き当たりました。

先に見てから聞くか、聞いてから見るか。一挙に世界が広がり、美術が面白くて止められない―――

そんな講義にしたいと思っています。ご参加をお待ちしています。

講演会の詳細とお申し込みは 

電話0798-69-3450 または

https://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_1119201.html  

 

岩佐 倫太郎 美術評論家 美術ソムリエ         

 

京都国立博物館開館120周年記念特別展覧会「海北友松」会期:411日(火)~521日(日)

 

 

 

ギリシャ美を生み出したのは、プラトン哲学と古代オリンピックだったと僕が断定したその訳は?

  • 特別展【古代ギリシャー時空を超えた旅ー】(神戸市立博物館) その⑤ ■

 

我々の美意識の源流は、一体どこまで遡ればいいのか?まさか、優に1億年以上も昔のアルタミ

ラの洞窟画ではないだろう。旧石器時代のことだもの。我々との連続性は感じることはまず無い。

それなら紀元前2、3千年位の古代エジプトはどうか。彼らの死生観を表す絵や平面的な様式など

は、確かにエスニックで珍重はするのだが、これも何ら近親の血が騒ぐようには思えない。

f:id:iwasarintaro:20170301125421j:plainf:id:iwasarintaro:20170301125555j:plain

 《ク―ロス像》前520年ころ  《アルテミス像》前100年ごろ(紀元前4

                                                        世紀のオリジナルを翻案したもの)

ともにアテネ国立考古学博物館蔵 cThe Hellenic Ministry of Culture And

Sports-Archaeological Receipts Fund

 

やはり我々の美意識は、およそ紀元前5世紀ころに始まったギリシャ美が、地続きと言う意味に

おいて、今日の直接の始源だろう。つまり今から2500年くらい前に我々の美の原型が出来上がり、

今もなおその規範に従っているーーそう考えておくのが健全に思われる。まあ、無くてもいいがそう

いう教養があるだけで、ルネサンスなど西洋美術の流れを俯瞰すれば、絵画や彫刻の楽しみは

遥かに深くなり、快美の念をいや増してくれるに違いないことを断言して置こう。

                  

ところで紀元前5世紀の頃と言うと、僕にはギリシャ哲学の事が思われてならない。美術と同様に、

現代哲学もやはり同時期にギリシャ及びその植民都市で始まっているのだ。ギリシャ人は、ホメロ

スの《オデュッセイア》に代表される長い長い神話的な物語世界の時代からその頃ようやく抜け出

し、人間の精神史で初めて、世界を科学的ともいうべき理性による思考法で捉えようとした最初の

民族だった。

例えば哲学者の元祖とされるターレスは、万物の根源は「水」であると主張した。世界の根源は

「火」であるなどと唱えた哲学者もいた。その当否は別にして、神学でなく、世界を現象の奥にあ

る統一的な原理で解釈しようとしたことは画期的に新しいことだった。有名なソクラテスの弟子プ

ラトンは、この統一的原理を「イデア」と呼び、彼の哲学的根拠としたことは皆さんもご存じだろう。

f:id:iwasarintaro:20170301125931j:plain

アテナイの学堂》ラファエロ 1509-1510バチカン宮殿 中央向かっ

て左が天上を指す理想主義のプラトン

顔はダヴィンチで表現、右はアリストテレス  ※このフレスコ画は展

覧会では見れません、ご注意ください。

 

今でいえば、一種のモデリング思考であるが、目に見えない理想的な絶対原理を求める思考の特

性は、科学や数学を生み出すもととなる。近代知の始まりだ。またこれが美学に応用されると、完

璧な人体の理想美を求めてやまない芸術表現となる。神は人間を、自分たちの似姿としてつくられ

た。ならば、ギリシャ美術における人間もしくは神々は、完璧な比例美をはじめとして、理想の規範

を内包しているべきだ。当時のギリシャの芸術家はプラトンらのイデアの哲学を敷衍して、そう考え

たのではあるまいか。哲学と美術は、同じテーブルで語られることは少なく、僕もまだ、そのような

ギリシャ哲学と美学を関連付ける論考は見たことがないが、両者は関係している、と言うか通婚し

ている。ギリシャ哲学とギリシャ美は夫婦のように一体である。ーー僕はそう断定する。

f:id:iwasarintaro:20170301130149j:plain

赤像式パテナイア小型アンフォラ ボクシング》前500年ころ

アテネ国立考古学博物館cThe Hellenic Ministry of Culture And

Sports-Archaeological Receipts Fund

 さて、プラトン哲学と並んで、ギリシャ美を成立させたもう一つの要因は古代オリンピックであると、

僕は最初の見出しで仮説を提起した。そろそろ古代オリンピックについても語らねばならないが、

紙幅が尽きてしまった。ボクシングをする拳闘士の図柄の焼き物だけ掲げ、オリンピックの話は次

回にさせて頂く(つづく)。

 

■展覧会の会期は、2017年4月2日(日)まで、神戸市立博物館にて。

美術評論家 美術ソムリエ 岩佐倫太郎

 ■後記

わがニューズレターは、1200字を超えないようにしています。ネットだから長くてもいいようなものですが、

やはりコンテンツのてんこ盛りは嫌われる。無料メルマガと言えど、それなりに気を使ってるんです(笑)。