ゴッホは浮世絵に出会って変革し、自分の才能を作り上げた。起点はこの梅の花

平成30年の節分の日、京大系のシンクタンク「21世紀日本フォーラム」の講演会に呼ばれ、スピーカーの一人としてしゃべってきました。この団体は、歴代の政権に外交や金融政策などを提言してきた伝統ある言論人の集まりですが、この日は新年会と言うこともあり、テーマは「人生90年時代」と柔らか目。そのせいか、京大名誉教授や芥川賞作家、高野山の宗務総長、関学の副学長など、次々登壇して含蓄ある話を展開され、その後の大パーティも含めて終始笑い声の絶えない和やかな半日になりました。

さて、小生がテーマで語ったのは、「江戸の花と旅文化」。花と旅にまつわる浮世絵をスライドで見て頂きながら江戸人のライフスタイルを話し、「審美眼を養い、旅を良くすればおのずから元気が出て長生きできる」」といささか我田引水な(笑)論旨を展開しました。まあ、皆さまから寛大な評価を頂戴しましたが、それは浮世絵の一部に春画を混ぜておいたせいだったかもしれません(笑)。

 

それはさておき、文化文政期からあとの江戸人の花に対する思い入れは、ちょっと尋常じゃない。現代なら花見と言えば、「桜」でしかないのが、彼らは「梅に始まり菊に終わる」花見歳時記を持っている。こうした様子を幕末に日本に来た外国人が日記に残しています。例えばトロイアの発掘で有名なシュリーマンも、トルコで発掘を始める前に、清朝末期の中国経由で日本にやってきて、「この国民は清潔を愛し、花を愛でることに於いて、きわめてすぐれている」と手放しで称賛しているのです。

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さて、その梅の花見ですが、広重の絵の話をしながら、いよいよ本題のゴッホの絵の話に入って参ります。まずは、下の2点の《亀戸梅屋敷》をご覧いただきましょうか。亭々たる梅の幹のシルエットが画面を横切り、人物は遠景に添えられるだけ。3次元的な立体感は省略され、色は妖しいまでにぼってりと、官能的と言うか、法悦世界と言うか、非日常の色遣いです。これは西洋絵画の伝統、特に19世紀後半のパリのアカデミズムの写実的かつ立体性を尊ぶ画法から見るとトンデモな絵な訳です。しかも物語的な人物も登場しない。ところがこの絵にゴッホはぞっこん参って心酔した。そしてついには模写までやってしまっているのです。それが右の絵です。周りの漢字は、ゴッホは読めませんがデザインとして一生懸命なぞっています。ゴッホがパリで浮世絵に出会ったことは、彼の画風を激変させる大事件でした。それまでは貧しい人々の生活を、暗い暗い色彩で描いていたのですから。そのまま行くと社会主義リアリズムの画家で終わったかもしれません。

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 歌川広重 名所江戸百景《 亀戸梅屋敷》 1857年 ゴッホ 《日本趣味 : 梅の花》ファン・ゴッホ美術館1887年

しかしながらゴッホはパリに出て浮世絵に出会ったおかげで自己変革した。自分の源泉を発見したと言っていいでしょう。日本のイメージを求めて、2年後に南仏のアルルに旅立つのは、もう自然の成り行きのようなものです。さて次回(近日中)、ゴッホは上の梅の木とミレーをどのように再構成して、ゴッホ版《種まく人》を作り上げたか。浮世絵摂取の進化の秘密を解明し、レポートします。

 

岩佐 倫太郎 美術評論家 美術ソムリエ   

 ■予告 今年もベルギー在住の美術史家、森耕治先生と共同で、京大時計台ホールで7月15日(日)に講演会と立食懇談会を開催します。

 

 

 

あけましておめでとうございます。 平成三十年元旦

読者の皆さま、すがすがしい新年をお迎えのことと、お喜び申し上げます。

この1年が戦争など起こらない平和な年になることを、切に願っています。

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家の近くの清荒神清澄寺。久しぶりにサインペンを使わず鉛筆で人物を描きました。

 

小生去年は、美術の世界ではジャポニスムをテーマに京都大学や朝日

カルチャーセンターなどで講演させて頂きました。「浮世絵が印象派を生

みだした」と言う、世界の美術史上の大事件を語りました。

ちなみに今年も再び京大時計台ホールで、浮世絵を起点に、ポスト印象

派、フォービスム、ピカソにつながる流れを、森耕治先生と7月15日(日)

に講演させて頂く予定です。また東京駅前にある京都大学東京オフィス

でも同趣旨の講演会を9月に開催します。

わがニューズレターもお陰さまで創刊10年、200号に近づきつつありま

す。この機会に再編集して1冊の本にまとめて刊行する心づもりです。

これからの1年も、美術ソムリエとしてアートと美術ファンの間に立って、

僕なりの視点で美の楽しみを皆さまにご案内して行きたいと思っています。                         

さて今年の美術の企画展の近々のおすすめと、秋の大型企画をいくつか

ご案内しておきましょう(番号はランキングではありません)。

 

関西の方には

  1. ゴッホ展――巡りゆく日本の夢」

1月20日から京都国立近代美術館で。力のこもった企画展で、ジャポ

ニスムを通じたゴッホ像とその日本への再受容が良くまとまっています。

 

関東の方には

  1. プラド美術館展――ベラスケスと絵画の栄光」

  2月24日から国立西洋美術館で。6月には兵庫県立美術館に巡回。

今年の大型企画の目玉です。

  1. 「至上の印象派展――ビュールレ・コレクション」

 2月14日から六本木の国立新美術館で。マネ、ゴッホ、モネなど

 の数々の優品がそろい、そのうち約30点が日本初公開。

 

そのほか秋の注目は

  1. フェルメール展」が上野の森美術館で。《牛乳を注ぐ女》が初来日。

日本では過去最大の規模。

  1. ムンク大回顧展」(仮)が東京都立美術館でやはり10月から。有名

な《叫び》もやってきます。

 

 

ニューズレター配信  岩佐倫太郎  美術評論家/美術ソムリエ

 

21世紀日本フォーラム・講演のお知らせ京大系の民間シンクタ

ンクが主催するフォーラムの新春講演会に、スピーカーの一人として呼

んで頂きました。小生のテーマは、「浮世絵に見る江戸文化」。京大名誉

教授、芥川賞作家、高野山宗務総長、関学副学長、関西棋院理事長を

はじめとする各界の著名な名士が参加し、また登壇されます。

2月3日(土)、大阪・天満橋の「大阪キャッスルホテル」で13時15分より。

詳細のお問合せ、ご参加のお申込みは 06-6624-1020 

e-mail   jf21@muf.biglobe.ne.jp 21世紀日本フォーラム事務局まで。

 

興福寺中金堂再建記念特別展   運慶  東京国立博物館②

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左;国宝《無著菩薩立像》 右;国宝《世親菩薩立像》 奈良・興福寺蔵 写真はともに六田知弘

 

素晴らしさの一端は、誰しも思うこの2体のリアルさ加減だろう。あたかも今の時代に生きている人物のようだ。それは目に水晶を使った「玉眼」(ぎょくがん)の効果も大きい。それ以上に存在の確かさを与えるのは、姿態の造形が我々が見ても解剖学的に正しいと感じさせる点だ。背骨から首の付き方や角度など誠に説得力に富んでいて近代彫刻と何ら遜色がない。我々もロダンドガの彫刻を見るのと同じ目で見ることができる。つまりもう精神が現代と地続きなのである。人間のありのままの姿を、何の虚飾もなくフラットに見つめる眼!ルネサンスが誇ったヒューマニズムや科学精神を、それに先んずる事300年も早く実現している。

平安の仏像の様式美などとは全く違った時代精神で、造形美を創造している点で運慶は実に革新的だ。展覧会は有り難いことに、普段見れないうしろ姿なども仔細に見れる。立体表現に定評のある運慶を味わうには、なかなか得難い環境ではある。省略のきいた背中の衣文の下に窺える分厚い肉体表現や手や顔に浮き出る血管なども見どころ。

リアリズムとは決して現実の引き写しではなく、省略と強調による対象の再創造だと言うことがここでもよく判るのである。

 

会期は1126日(日)まで  公式サイト⇒ http://unkei2017.jp/

※そんな方はいないと思うけど、ダヴィデが上野に来てるわけではありません。誤解なきよう、念のため(笑)。

 

ニューズレター配信  岩佐倫太郎  美術評論家/美術ソムリエ

 ◆白鷹美術講座のごあんない◆西宮の蔵元「白鷹」が主催する「白鷹禄水苑文化アカデミー」で、絵の見方、美術館のまわり方をテーマに月例で小生のクラスをこの10月から開講中です。

次回の第2回は11月14日(火)。印象派絵画と浮世絵(春画を含む)の話。途中からのご参加も大丈夫です。お問合せ、お申込は https://hakutaka-shop.jp/academy/

 

     

北斎の江戸日本橋とセザンヌの林檎は同じ絵だ;講義録その②

マティスピカソも多くを北斎に負っている。北斎が分かれば近代絵画は分る。  

 

朝日カルチャーセンターでの公開講座1014日。講義の後半は浮世絵が

印象派を生んだという話をさせて頂いた。初めての人にとっては奇異に感じる

かもしれない。いったい、浮世絵のどこが印象派絵画のどこに影響したのか。

いつもの講演会で語っているように、いくつかの重要なポイントが揚げられる。

                   

まず、風景そのものを画題にした(広重→モネ)。ヌード像は女神に限っていた

のが、タブーを破って娼婦さえもモデルにした(春画→マネのオランピア)。色彩

が爆発した(錦絵→ゴッホ)などなど、思想的にも技法的にも、浮世絵(春画

含む)は西洋絵画に多大な影響を与えた。この辺のことは、大体ご存知だろう。

はじめは、「ジャポニスム」と名付けられた異国趣味の流行だったかもしれない。

だが、気づいて見れば、浮世絵は原理の中に、それまでの西洋美術を理論を

根底から覆す猛毒のような危険を内包していた。危険な猛毒とは何かというと、

ひとことで言えば、「視点の合成」と言えるだろう。浮世絵はルネサンス以来の

一転消失の遠近法などにこだわることなく、《神奈川沖波裏》に見る如く自由な

遠近術で風景を伸び縮みさせ、しかも《江戸日本橋》のように複数の眼の位置

で見たことを、平然と一枚の平面に表現していのだ。その毒の危険性をいち番

深刻に受け止めた画家は、西洋絵画の父と呼ばれることになるセザンヌだった。                 

 

江戸日本橋 北斎 に対する画像結果   

富嶽三十六景 江戸日本橋》 北斎1830-1833ころ 《籠のある風景》セザンヌ1888-1890ころ

             

僕の結論は、セザンヌの林檎は、北斎富嶽三十六景と同じだ、と言う事だが、

徐々に説明させて頂こう。ここを理解して通過できれば、美術の見方はウンと

広くなってラクになり、マティスピカソまで見渡せる地点に立つことができる。

                        ●

まず左上の《日本橋》。おなじみ《富嶽三十六景》の中の一点である。手前は

や車の往来でにぎわう世俗的な日本橋の風景。やや見下ろすように描かれ

ていることにも注意をとどめておいて頂きたい。そして中景に、これぞ

政治権力の象徴、江戸城が鎮座する。その奥には富嶽=富士山が、聖なる

イコンのように控えている。聖、権力、俗が3点セットで揃っているが

何だか珍妙な紙芝居の絵のような不自然さを感じる。それに加えて、川端

にずらっと並ぶ倉庫群を見て読者諸賢は何か不自然さを感じないだろうか。

我らが見慣れた西洋絵画の遠近法=一点消失法とは微妙に違うのだ。               

交点を結ばない奥行きの描き方

 

セザンヌは、言葉には決して残しはしなかったが、この東洋の絵画の中に犯しが

たい真理が含まれ、自分たちの進むべき未来が既に用意されている事に気づき、

密かに換骨奪胎を図ったと推測される。それがセザンヌの一連の卓上の果物の

絵だ。右上の絵でも、壺や籠、果物がてんでな視点から描かれ合成されている。

ルネサンス金科玉条のごとくした一点透視による遠近法は、あっさりと崩れさり、

複数の視点が同時に存在する作画法が生まれたのだ。実際にこうしたことが始ま

ってみると、「これでいいのだ!」と脳内のリアリティを反映したこちらの方がむしろ

自然で心地よいことも認めざるを得なかった筈だ。もう元に戻れない地点にまでに

浮世絵は近代絵画を推し進めてしまった。最後にセザンヌの絵画上の子孫た

ちの画風がどんなにセザンヌに負っているか、つまりは北斎に負っているか事例

2点挙げておこう。近代西洋美術の源流には北斎が居るのである(北斎、完)。 

《金魚》 マティス1912 プーシキン美術館  《ドラ・マ―ルの肖像》 ピカソ 1937 ピカソ美術館(パリ)

↑異なる視点が同一平面上に、当たり前のごとく描かれている。

 

岩佐 倫太郎  美術評論家/美術ソムリエ 

 

北斎展にちなむ、朝日カルチャーセンター公開講座の講義録

北斎は波や滝など「水」を通じて地球の精妙と永遠に迫った、江戸最大の天才浮世絵師だ。

開催中のあべのハルカス美術館北斎―富士を超えてー」。一昨日、小生も

それにちなんだ公開講座を兵庫の川西の朝日カルチャーセンターで開催させ

てもらった。おかげで会は補助イスを出すくらいの盛況ぶり。ご参加の皆様に

は改めて御礼申し上げます。

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端午の節句》文政7~9年(1824~1826)頃ライデン国立民族学博物館 《下野黒髪山きりふりの滝》天保4年(1833)頃 前北斎為一筆 大判錦   絵/西村屋与八37.0×24.5 東洋文庫

 

講座の前半はおもに北斎の年譜に沿って話を進めたのだが、面白いことに北斎

は60歳になるまでは大した仕事をしていない。腕はいいが頼まれ仕事をこなす

職人のレベルだったのではないか。上の左は60歳代半ばに入って、オランダ商

館の医師、 シーボルトの依頼で日本の風俗習慣を描いたもの。達者で西洋画の

遠近法もきっちり身に着けているものの、後年の削いで研ぎ澄ましたような天然

美への憧憬はまだ見られない。

北斎がようやく己の天分に目覚めるのは、驚くばかりだが70歳を過ぎての事だ。

《神奈川沖浪裏》などであまりに著名な「富嶽三十六景」も、《霧降の滝》に見るよ

うな「諸国瀧廻り」も、すべて70歳代前半の業績だ。版元の西村屋与八と組んだ

事も大きかったと思われる。また浮世絵の複製技術による安価な美術品の流通

体制も整備が進んだ。当時のかけそば1杯の値段、大判の絵でもかけそば2

杯と言うからと、庶民にも手の届く今日の雑誌のような存在になっていたのだろう。

加えて、「ベロ藍」と呼ばれた舶来の、蛍光的なまでに鮮やかな青色染料の流入

北斎が江戸画壇の人気絵師になるのに、強い追い風だったに違いない。

今回改めて北斎作品を仔細に見なおして彼はSENSE OF WONDERの人だと

思った。理屈や絵の技術以前に、北斎はこの世界の成り立ちが不思議でならない。

わが地球を崇敬の念で眺め、驚きをもって感応している。その感動を表したくて波

や富士や滝を描く。感動こそが彼の創作のエネルギー源で、売りだけを考えたもの

ではない。そしてついには対象に没入し、永遠とも思える一体感を表現んしている

のだ。はじめ形態の面白みやデザインから入ったかもしれないが、一連の富士の

ような主観的なデフォルメに進み、最晩年にはイリュージョンと現実が混然一体と

なった画境に達する。満88歳で亡くなったが、本人はあと5年あれば神域に至る

ことができると語るほど、年齢とともに技量は冴え進化を止めない人だった。

北斎の没年である1849年に描いた作品が何点か、展覧会でも見ることができる。

虎と龍の2作品を挙げておくが、いずれも死を前にしながら晴朗で陽気なエネルギ

ーに溢れている。北斎の年の取り方、世の去り方に大いに憧れる。

 

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《雪中虎図》嘉永2年(1849)正月 個人蔵、ニューヨーク 《富士越龍図》 嘉永2年(1849)正月11日または23日 北斎

 

岩佐 倫太郎  美術評論家/美術ソムリエ 

 

北斎展の公式サイト  http://hokusai2017.com

 

 

 

端午の節句著作権©Collection National Museum van Wereldculturen. RV-1-4482h   

◆会期中、展示の入れ替えがある作品もあります。事前にご確認ください。

◆後記◆ 

出席された年配の方からメールを頂いたら、「定年後

20年、内外の美術を見て歩いているが、岩佐さんの話をもっと先に聞いておきたかった」とありました。僕も励まされます。