【ワーグナー/ニーベルングの指環@びわ湖ホール その②】

ワーグナーは台本も自分で書く。作曲ほどには天分が無いのか、台詞は時に冗長でドイツ的な回りくどさもある。でも、その時は音楽が巧みにカバーして客を退屈させないんですね。

 

ワーグナー/ニーベルングの指環びわ湖ホール その


翌日は朝からワークショップが予定されていた。演出家と美術の人のトークを聞いた後、バックステージ・ツアーを全員で行う。公演の半券があれば参加無料というのも気が利いている。僕も琵琶湖に一泊して再びホールに向かい、多くの人の列に並んだ。どうやら人気企画として定着しているようで、耳に入ってくるのは熱心なファンの声ばかり。「東京から3年連続で通ってます」とか、「大阪でワグナーの会を毎月開催してます」などなど。「昨日の公演は良かった、わかり易かった」とこもごも褒め合う声も。ひょっとして、びわ湖ホールワグネリアンの聖地になっているのかも知れないなあ!

f:id:iwasarintaro:20190317203737j:plainさて、上の巨岩の画像は前夜の終わりの場面をそのまま残しておいて、ワークショップの背景としたもの。この岩の上で主人公の英雄ジークフリートと、彼によって劫罰の永い眠りから目覚めた花嫁ブリュンヒルデが永遠の愛の歌をかわしあう。あのクライマックスの感動の余韻が、まだ残っているかのようだ。ドイツ語のオペラが美しいと、僕が気づいたのはこの1年くらいだ。言葉は分からないが、フランス・オペラ(カルメンなど)と違って、単語に身が隅々までギチっと詰まっていて、精巧かつグラマーな構造美を感じる。

f:id:iwasarintaro:20190317203938j:plainちなみにバックステージ・ツアーでは、宝剣「ノートゥング」や大きな指環を間近に見ることができ、実に興味深い。また裏方を担う若い人たちが懇切に説明してくれるのも、とてもありがたい。びわ湖ホールは世界的に通用する典型的な四面舞台なので、主舞台以外の舞台のスペースの大きさ、高さにも大いに目を見張り感嘆したものだった(つづく)。

岩佐倫太郎 美術評論家

 

岩佐倫太郎の東京・美術講演会のご案内

前回大好評いただいたジャポニスムの第2弾です。浮世絵の影響が印象派を生み、さらにゴッホゴーギャンにつながり、ついにはマティスピカソにまで思想も技法も流れ込んでいることを解明します。

 

マティスピカソの中に北斎を見た」~ここが西洋美術を理解する勘どころ~

 

615日(土)15:00~17:00 於;東京駅前/新丸ビル10F 京都大学・東京オフィス

お申し込み方法 iwasarintaro@gmail.com にお名前と人数をご返信ください。

費用 4000円(税込み) ■三菱UFJ銀行 玉川支店 1499165 イワサ リンタロウまでお振り込みください。(ご予約はお振込みを持って自動的に確定致します)

 

 

 

 

【ワーグナー/ニーベルングの指環@びわ湖ホール その①】

オペラの音楽は、京都市交響楽団と指揮の沼尻竜典(りゅうすけ)。両者は息も良く合って、腕も確か。僕はどちらも初めてだったけれど、大変好意を持った。

 

ワーグナー/ニーベルングの指環びわ湖ホール その①】
びわ湖リング」も今年で3年目。ハイライトともいうべき、第3話「ジークフリート」の観覧が32日、ようやく叶った。2時に始まり、途中、休憩が2回あるものの、全部が終わったのは夜の7時半!長丁場ではあったが、それも気にならない素晴らしい出来栄えだった。オーケストラは京都市交響楽団、指揮は同ホールの芸術監督を務める沼尻竜典。オケはもう沼尻の手兵と化しているのか、よく息が合って時に楽し気に、舞台と歌手をサポートしているようだ。f:id:iwasarintaro:20190314212950j:plain物語りは、中世ドイツの叙事詩の英雄「ジークフリート」が主人公。孤児ではあるが、父の形見の宝剣「ノートゥング」を鍛えなおし、森の大蛇を倒し、小鳥に導かれて、炎に包まれて眠る美女を目覚めさせ、2人は結ばれる。なにか聞いたような、おとぎ話的な展開だが、あれ!これって「眠れる森の美女」とかと似てないか。そうなんです。「指輪」の台本も書いたワグナーは、童話のグリム兄弟などからもアイデアを取り入れている。

僕のワーグナーの「指環」のイメージは、映画「地獄の黙示録」に使われた「ワルキューレの騎行」などと重なって、勇壮でまがまがしいまでに暴力性を持ったものだった。それがこの第3話では見事に裏切られて、この日は子供向けのファンタジー・オペラを見ているような気にさせられたものだ。右上の内装写真は翌日のワークショップに参加して、撮影出来たもの。オケピットと指揮者の譜面台も写っています(つづく)。

岩佐倫太郎 美術評論家

 

 

 

■岩佐倫太郎の東京・美術講演会 6月15日(土)15:00~のご案内

マティスピカソの中に北斎を見た」~ここが西洋美術を理解する勘どころ~

 

  昨年11月、東京での小生の美術講演会には、定員を超える皆さまのご参加を頂いて、おかげさまで盛況かつ好評裡に終えることができました。ご来場いただいた方には厚くお礼申し上げます。参加名簿を改めて拝見いたしますと、各界の著名な方々やビジネス・リーダーの方が大勢名を連ねておられ、熱心にご聴講頂いただけでなく、後日にもお礼や励ましのメールを数多くお寄せ頂きました。最近、多くのリーダー層の方が美術に高い関心をお持ちいただいているのが感じられ、僕としても大変心強く、熱い手ごたえを感じています。

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 さて、前回は日本の浮世絵と西洋美術が出会い、奇跡的ともいうべき結婚に至り、「印象派」を生んだことをお話ししました。今回はジャポニスムの第2弾。北斎らの浮世絵の影響が、印象派どころか、セザンヌや野獣派のマティスキュビスムピカソにまでおよび、長い時間軸で深い影響を与えている事実を、画像をご覧いただきながら皆さまと共有したいと存じます。

 近代美術を理解し楽しむためには、この辺の美術史の理解が一番キモです。ここさえしっかりグリップしておくと、西洋美術の見方に骨格が出来て、国内の企画展に出かけても海外旅行で美術館に行っても、美術をわがものとして深くラクに楽しめるようになります。

 

               🌸🌸🌸

 

◆6月15日(土)15:00~17:00 於;東京駅前新丸ビル10F 京都大学・東京オフィス時 東京駅前・新丸ビル10℉京都大学東 京オフィス 参加費4,000円

◆定員50名 満席が予想されます。お早めにお申込ください。学生招待枠を用意しています。

 

◆費用 4000円(税込み) お申し込み頂いたのち、■口座;三菱UFJ銀行 玉川支店 1499165 イワサ リンタロウまでお振り込みください。(ご予約はお振込みを持って自動的に確定致します)

 ◆お申し込み方法 iwasarintaro@gmail.comにお名前と人数をご返信ください。学生の方はその旨お書きください。

 

 美術評論家/美術ソムリエ 岩佐倫太郎

 

 

【フェニーチェ堺での音響測定会③】

満席から4割ほどの人が退場すると、こんなにも違って聞こえるものなのか。今後ホールでは、実験をもとにさらに吸音材を出し入れしたり、反射板を調整したりして最終仕上げをするらしい。楽しみだ。

 

【フェニーチェ堺での音響測定会

 

下の画像は、当日、客が入り始めてすぐのときの内部。ひも状にぶら下がっているのは舞台の音を拾う実験用マイク(これが何ヶ所かにある)。舞台の三脚に乗ったのは、球形のスピーカー。これがのちに奇矯なモニタリング音を出す。 

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さて、測定会はいよいよ最後のプログラムに進んだ。短時間コースに応募した800人が退場。1,200人の長時間コースの人だけが残る。いったいどういう席の人が退席するようにしたのか。確かに最前列左右の端やバルコニー席に空席が目立つが。これを後で市の担当の方に聞いてみたら、「満席にならずに切符が売れ残った時に、空席になりがちな席を想定して、その席を短時間コースの方の席とした」とのことでした。なかなかの好判断。最高状態にスペックを合わせずに、日常的によく出来する事態に備えようとの考えですかね。 


オーケストラは地元の堺市に本拠を置く大阪交響楽団。この日は実験とあってメンバーは正装でなくラフな普段着姿でステージに並んだのも新鮮。そこに外人の指揮者(僕は知らない名前)が登場し、ドヴォルザークの「新世界より」の第4楽章が再度始まる。


この交響曲9番はドヴォルザークが、アメリカ・ニューヨークの音楽院に院長として招かれて滞在していたときに作曲したことで知られる。それゆえか全体にスラブ的な郷愁に満ちたメロディラインがちりばめられ実に美しい。テンプレート的な建築的作曲法に頼らず、ここまでオリジナルでメロディを書ける作曲家は稀有だろう。第4楽章が始まるとほどなく、ホルンやトランペットが咆哮してティンパニの連打とともに、おなじみの有名な第1主題が繰り返される。それまで故郷恋しさにすすり泣いていた筈の乙女が一変して、その時はまるで神話の巨人か雷神となってチェコの大地を大股に渡って行くようだ。ヒロイックで情熱的で逞しい。この振幅こそがドヴォルザークなのだ。4つの楽章を通じて、シンバルがたった1回きり、第4楽章で小さく鳴らされるのも有名だが、CDなら聞き落とすかもしれないところをさすがにこの日はナマなので、よく見えたことも付け加えておかなければならない。

さて、全体に人数が減って聞こえ方はどう違ったか。僕はセンターラインの中央よりやや後方だったが、先ず音圧(ボリューム)が違った。あとの方が断然大きいのである。人間と言う吸音体が減ったので当然だろう。また楽器ひとつひとつの音が、より分離されて鮮明に聞こえる気もする。これ以上、分離するとバラバラと言う寸前までに達していたかもしれない。恐らく前方の人は音にまとまりを欠いたと感じるし、2階の人は存外いい音を楽しめたかもしれない。僕の席では全体に音はきれいな粒立ちをしてクリア。ここのホールの音の設計は、残響2.0 秒といった呪縛を越えて、よりクリエーティブにホールの多くの客にいい音を届けようと努力の方向を定めているようにも感じた。
 もしそうならば今後、演奏家や指揮者にデータを公開することで、他のホールにない音のマネージメントが可能な世界まで見えてくる。今後を楽しみにしたい(了)。

 

岩佐倫太郎 美術評論家

 

■岩佐倫太郎の東京・美術講演会のご案内■

(前回大好評いただいたジャポニスムの第2弾です。)

マティスピカソの中に北斎を見た」~ここが西洋美術を理解する勘どころ~

 

615日(土)15:00~17:00 於;東京駅前/新丸ビル10F 京都大学・東京オフィス

費用 4000円(税込み) ■口座;三菱UFJ銀行 玉川支店 1499165 イワサ リンタロウまでお振り込みください。(ご予約はお振込みを持って自動的に確定致します)

お申し込み方法 iwasarintaro@gmail.com にお名前と人数をご返信ください。

 

 

【フェニーチェ堺の音響測定会②】

残響2.0秒というのは神話ではないのか。ホールの特定地点の理想状態の時の部分値だろう

このホールは、「2.0秒神話」の呪縛を越えようとしているようにも思える。

 

 【フェニーチェ堺での音響測定会

 

ちょうど1週間前の日曜(注;2019210日)。今秋オープン予定の堺市の音楽ホール「フェニーチェ堺」。中に入ると眼を圧倒するような容積のある、つまり天井の高い空間が広がっていた。しかもウッディなナチュラル・テイストで抑制の効いたカラリングにも好感を覚える。そんな第一印象の中で音響測定実験が始まった。

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一般に「ホールの残響、2.0秒」などと言われ出したのは、1980年代、大阪にシンフォニー・ホール、東京にサントリーホールが相次いで出来たころからではないか。僕はシンフォニーには年に30回以上通ったこともあって、カラヤンが世界一と認めたこのホールの音が好きだし、僕の耳の基準になっている。最近の日本の新設ホールのばあい、そうしないとコンペに通らないのか、審査員もそれに呪縛されているのか、見事なまでに残響2.0秒に統一され、2.0が神話化されてしまっている。ヨーロッパの有名オペラ劇場でもそれ以下のところは結構あるのだが。
ところで残響時間を官能で測るのは困難なので、われわれ音楽ファンにはもっと簡便なホールの性能の見方がある。天井が高いかどうかなのである。つまるところ残響とは山のコダマと同じだ。「ヤッホー」と叫ぶと、いくつかのコダマが返ってくる。早いのも遅いのもあるが。同様にホールにおいても、器楽の音や歌声は、直接届くほか、壁や天井にぶつかって反射して、遅れて時間差があるものが一緒になって耳に入ってくる。遠くの山とおんなじで、天井が高いとコダマが返ってくるのは遅い。この時、2.0秒前後の残響だと、音に奥行きも輪郭も感じられ、人の耳に生理的に心地よいと言うことなのだろう。
天井の高さの判定は、客席の横幅と壁の高さを比べて、ほぼ1:1かそれに近くなっていればいいホール。床をパタっと立てたとしたら、天井に届くかどうかだ。そんなアバウトなのはイヤだ!と言う人はスペックをもらって、空間の容量の立米数を客席数で割ってみると良い。10前後の数値が出る、つまり客席数の10倍程度の空間容量を確保しているホールは、残響も大体2.0を達成していることが分かるはずだ。6倍とか7倍とかのホールは実際に音質上やはり問題を感じる。まだこんな説は誰も言ってない、僕のオリジナル。
それにしてもああ、またしても長くなりすぎた。フェニーチェ堺の最後の大実験、ドボルザーク2000人と800人で聞き比べた話は次回にさせて頂こう。

 

岩佐倫太郎 美術評論家

 



 

 

音楽ホール「フェニーチェ堺」の音響測定会①

こんにちは。今回は音楽ネタです。3日連続のシリーズ。すでにFACEBOOKの友人にはご覧いただいたものですが、興味深く素晴らしい体験だったので、再録してお届けします。 

 

【フェニーチェ堺での音響測定会①】

 

フェニーチェ堺は、堺市民芸術文化ホールの愛称。ほぼ音楽専用ホールだ。今秋のオープンを前に、満席の2,000席の時と1,200席の時ではどれくらい音の伝わり方や残響が違うものなのか、実際に人を入れてみた実証実験が計画され、僕も参加させてもらった。プログラムの始めは、12個のスピーカーを持った球形のスピーカーを舞台中央に置き、昔の豆腐屋のラッパのようなパプパプした奇妙な合成音を大きく出して、会場内各所のマイクで拾う実験。何しろ人間は、生きた音の吸収剤である。まして今の冬場のように、ウール系の服を着る人が多いときは、てきめんに原音は吸収され、あっという間に減衰させられるのだろう。 6,7回同じ実験を繰り返したが、進行役のNHK関連の音響担当の人からは静粛を求められる。実験の目的からすると、我々は人間でなく単なる吸音材なのだ。吸音材が勝手に咳をしたりすることは厳重に戒められる。絶対静寂が求められ肩が凝ったが、それでもゲーム感覚で楽しんで第一種目をクリア。

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次いで皆が待望の、ソプラノ歌手の並河寿美が登場。僕は初めての人だったが、プッチーニ蝶々夫人などで多くの受賞をしている実力者のようだ。なかなか歌の作りが大きくて、舞台映えする歌い方なのだ。この人は国際的にも通用するだろう。大いに好感を持った。 このあと登場したのは、僕のお気に入りのピアノの反田恭平。MBS発のTV番組「情熱大陸」で取り上げられたと思ったら、あれよあれよという間に人気ピアニストになった。今一番切符が売れる若手ピアニストではないか。個人的にはリストの曲をやってほしかったが、ショパンを2曲。彼自身も自分で自分の音を確かめるかのように限界までマックスに弾いたりしていた。こうした声楽やクラシックのピアノソロはそれぞれデータが取られ、今後の微調整にも生かされるのだろう。 さあ、最後のプログラムは地元オーケストラの登場だ。ドボルザークの「新世界」。第2、第4楽章を満席で演奏したのち、あらかじめ予定された800人が退場し、改めて1,200人で今度は第4楽章だけを聞く。ティムパニが打ち鳴らされ、金管楽器が咆哮する、華々しいスピード感あふれる終章。先のと後でどのように違うのか聞き比べ、データも残そうと言うのである。実にエキサイティングな試み。その時、会場で我々はどんな音の変化を体験することになったのか。自分でも興味深かった内容は、さすがに長い文章になるので明日に書かせて頂こう。

 

岩佐倫太郎 美術評論家

 

誰も言わない琳派美術史その⑦。なぜ尾形宗伯と茶屋四郎次郎が光悦の対面に住むのか

去る2019年1月、梅原猛先生が93歳で亡くなられた。哲学者にして歴史家、劇作家で、専門の垣根を越えて雄渾な想像力と思索を展開した、真の自由人で知の巨人でした。ブームになった「隠された十字架 法隆寺論」や「柿本人麿論」にしても、乾燥しきったような既知の文献から、温かい人の血の通った物語を読み解き、新説を展開する方法論は大変魅力的で斬新。僕がいまも私淑する人です。

 

ここで僕が展開している「琳派の謎」なども、先生のそうした影響下にあると思っています。この先の論考は学問ではなく、小説家的な想像の世界です。ただ、文献がなければ何も語らない、何も考えないと言う学者の態度は、職業としては安全かもしれませんが、それだけではどうでしょうか。一片の陶器のかけらから元の壺の姿を想像するように、我々はもっと自由に、権力やお金への欲望、恨みや復讐などという小説的文脈を駆使して、新しい認識に到達することもできるはずですから。

 

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 さあ、それではなぜ尾形宗伯と茶屋四郎次郎が図のように光悦の対面に住むのか。まず、光悦家の家業は代々、刀剣のぬぐい、研ぎ、鑑定などで、家康からは手厚い信頼を得ていたと僕は見ています(根拠を後述するつもりですが、ともかく家康・光悦不仲説は全くの憶説です)。刀剣だけでなく、光悦は「寛永の三筆」と言われるほどの能書家。空海をほうふつさせる筆の遣い手です。茶碗をひねればプロだし、漆芸なども今では国宝になっているように、見事なデザインを支給して斬新な作品をプロデュースしています。光悦はルネサンス期のイタリアの天才同様、マルチプルな才能に恵まれた芸術家でした。しかしながら徳川家の信頼厚い彼にも、ひとつ弱点があった。それは着物なんです。女性の好みの流行やデザインは、女性だけにしかわからないところがある。光悦は金工、木工、漆芸などはよく解っても、着物や寝具などはさすがに苦手意識があったのではないかと推測します。

 

そうした時に、徳川和子の母お江(秀忠の継室)と昵懇な浅井藩出身の呉服商、尾形宗伯ほど頼れる存在はまたと無かったのではないか。お江が前夫と京都の聚楽第に住んでいた時代から贔屓にされて、発注主の親子の趣味をよく心得ています。しかも、宗伯の妻は光悦の姉ですから親戚。失敗が絶対に許されないプロジェクトにおいて、光悦が宗伯と組むことほどテッパンな選択は無いでしょう。 それで光悦は宗伯をサブ・プロデューサーに遇して、向かいに住まわせた。ただし、宗伯にも弱点があって、宗伯の雁金屋は一品制作の高級ブティックなので、こうした大型プロジェクトの経験がない。物量に対する対応力に欠けるんです。そこで登場するのが、代々徳川家に入り込み、商社機能で稼いできた茶屋四郎次郎です。原反の買い付けや支払い代行などは、すべて茶屋が隣にオフィスを構えてバックアップしたんではないでしょうか。あまりによくできた仕組みなので、これは光悦の発想と言うより徳川家直々の指名か、その意向を忖度した京都所司代あたりの差配かもしれません。

 

ともかく琳派発生の源流は徳川家。分けても和子の入内やその後の着物道楽で作った特需経済にあります。その奇異な生い立ちが、実は琳派芸術のキャラクターをしっかり規定しています。その点を次回に(つづく)。

 

岩佐倫太郎 美術評論家  

 

■6月15日(土)東京駅前の新丸ビル京都大学東京オフィス」での第2回講演会。

マティスピカソの中に北斎を見た」~ここが、西洋美術を理解する勘どころ~

一般公募を間もなく開始する予定です。限定50名です。

 

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で、「フェニーチェ堺」の音響測定実験の小生の連載記事をお読み頂けます。