【大塚国際美術館の陶板による原寸名画の復元は凄い】
かねて念願のイタリア美術旅行に、ようやく出かけることになりました。ローマではヴァチカン、フィ レンツェはウフィツィ美術館を主に、ルネサンスを訪ねる旅です。それで最近時々通っているのが 鳴門の大塚国際美術館。というのは、ここでは世界中の名画、1000点余りが陶板に原寸大で 精緻に再現され、もちろんルネサンスを代表する名作もほとんどが網羅されているからです。
この美術館を「所詮、複製じゃないの?」などと不用意に侮る事なかれ。たとえば写真のヴァチカ ンのシスティナ礼拝堂の再現。良く知られる、教皇選挙「コンクラーベ」の会場。空間の大きさまで も原寸大で、ミケランジェロの大作をそのままに迫真の力で体感出来できる仕掛け。運営はオロ ナミンなどで知られるの大塚グループですが、「よくぞ作ったものだ」と、尊敬の念を禁じ得ません。
さて、そのシスティナ礼拝堂の祭壇画、「最後の審判」です。60歳を過ぎたミケランジェロが精魂込め た畢竟のフレスコ画。高さ15メートル、登場人物は400名以上。絵が語っているのは何かというと、 世界の終末にあたって呼び出された全ての死者に、再臨したイエス・キリストが裁きを下すという聖書 の場面。中央にキリストと青衣のマリア、そして十二使徒が左右にいます。その下、向かって左は生前 の行いの徳によって天国へ昇る者たち、右には欲をむさぼった罪で地獄へ堕とされる者たちで、なか なか怖い図ではあります。
(部分) 冥府行きのボートの船頭「カロン」 ダンテ「神曲」がもと
こうした脅しと教訓は、我が国の仏画などでもおなじみですが、ミケランジェロが描くと世界は何と晴れ やかなことか!キリストは髭もなく、若いスポーツマンか古代ギリシャの彫像のよう。画家の天才ぶり は、人体把握の立体感の素晴らしさと構成力にも存分に伺えます。たぶん彼はモデルをアタマの中で 自由に回転させて、どの角度からでも描けたのでしょう。彼の本業は彫刻家ですから。またキリストの 特徴的な右腕は、逆遠近法とでもいうべきか、見上げられることを意識して、わざと太く逞しく描かれて いる。個々の指の表情なども実にうまいです。
もうこれ以上ない立派な絵ではありますが、もし異端審問の目で見ると、こんな男性ヌードの氾濫やギリ シャ神話的な異教の絵柄は、カトリックにとって明らかに不敬にして涜神的ではないか。私見ではルネサ ンスは本質的に背神的です!このミケランジェロだって教義に基く宗教画を描くふりをして、自らのギリシ ャ憧憬を塗り込め、同性愛傾向と才能を誇示し、歴史に永遠にわが名を刻もうと試みたのではないのか。
この絵からは、中世の暗く長いトンネルを抜け出て、教会と神の呪縛を解き、自立してものを考えるよ うになった人間の喜びを読み取ることもできます。「文芸復興」などとの訳語を真に受けると、本質が見 えませんが、ルネサンスは「神からひとへ」、人類の思想史が大きく重心を移した分水嶺。デカルトもニ ーチェもフランス革命も、水源は皆ここにある!僕がルネサンスに惹かれてやまないのは、その流れ出 しの風景を、美の体験を通じてこの目で確認したいと強く感じるからです。