ルネサンスとは何か?その答はウフィッツィの至宝、ボッティチェルリのヌード画にあった。

■□■□■   【ウフィッツィ美術館で、ルネサンスの名宝を見て歩く】  ■□■□■   

 

前回の「ヴィーナスの誕生」で「ボッティチェルリはヌード画の開祖である」、と僕は断じました。古代は別として、肉体に否定的な中世キリスト教社会では、婦人のヌード像はご法度の時代。唯一許された外は、旧約聖書のアダムとイブの、イブを描くときに限ってのみ。楽園追放の

教義を説くにあたって、まさか着衣のイブもないだろうから、裸もやむなし、となったのでしょう。

しかしながら、ボッティチェルリのように、正面切ってヌードを画想にしたのは、彼が初めてで

はないか。そう思って、念のため有名な裸婦像を思い浮かべ、制作年を調べてみました。

 

f:id:iwasarintaro:20140903195445j:plainティツィアーノ・ヴェチェリオ 「ウルビーノのヴィーナス」 1538年 119×165cm 油彩・画布 ウフィッツィ美術館(フィレンツェ

 ちなみに「ヴィーナスの誕生」(以下、「誕生」と略)は1483年。では有名なダ・ヴィンチの「レダ

と白鳥」のヌードはと言うと、今は模写が残るのみですが1508年。メムリンクの、「バテシバの

水浴」は1485年。上のティツィアーノもそうですが、殆どが16世紀の前半に集中。ボッ

ティチェルリより早い例は見つかりませんでした。

 

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さて下はボッティチェルリ最初のヌード画ともいうべき大傑作「春」です。まだ半裸

の群像ではありますが、「誕生」よりも45年早い制作。神話劇の役者を紹介すると、右から青いほっぺたを膨らませたのが、西風のゼフュロス。「誕生」では彼女を風で島へ送り届けた神。その彼が惚れて抱き寄せているのは、大地の精クロリス。二人の恋は成就したもようで、「誕生」ではしどけなく手足を絡めあって空を飛んでいましたね。                    

 

 

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サンドロ・ボッティチェルリ 「春」 1477-78   315 x 205 cm  テンペラ・板 ウフィツィ美術館 (フィレンツェ) 

 

お隣はフローラ。クロリスが転生した花の女神です。同一人物が同じ画面に、また登場しているんです。愛の女神、ヴィーナスは、中央に妊婦姿で立つその人。ここでは着衣です。左側で手を取り合って踊るのは3美神。左端は伝令神のメルクリウス。

 

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などと、人物中心の説明はできるが、それでは全体にこの絵は何を表しているかと言うと、どうも判然としませんね。図像学者たちは、寓意や象徴の多いこの絵を、天上と地上の愛の対比とか、人物はイタリアの各都市の代表であるとか、わけ知り風な説をまことしやかに語って、多くの美術鑑賞家を煙に巻いています。

しかし僕の次のような解釈をすれば、事態はとても明快です。即ち、「春」は愛欲と生殖の賛歌である!現代の性意識なら、ごく当たり前かもしれませんが、ローマ教会の、イエスの身ごもりさえ処女懐胎などと荒唐な教義を発明し、画僧を動員して教宣に努めてきた立場からすると、肉欲賛歌のこの絵はトンデモ、なわけです。逆側からすると肉欲は戒めるべし、としてきた長年の呪縛を今やっとぶち切った、ルネサンス即ち人間肯定の、記念碑的な作品と言うべきなのです。なのでボッティチェルリにとって、ヌードを描くのは思想的な必然です。

                     

 

ウフィッツィ美術館で、「誕生」と「春」を並んで同時に観れるのは、圧巻です。ルネサンスの栄華にじかに触れる眼福。こみ上げる喜びに、現地でしばし立ち尽くしました。

さて、次回はここに端を発した西洋絵画のヌード画が、近代に向かってどう流れていったのか、ちょっと横道にそれて、ヌードの絵画史を画像で語ってみたいと思っています。

 

 

ニューズレター配信  ものがたり創造研究所  美術評論家 岩佐 倫太郎  ri@monogatari-lab.jp