□■□ 【ナショナル・ギャラリーほか】 ターナーと歌麿が印象派を作った 1/2 ■□■
東京上野の国立西洋美術館は、松方コレクションを母体として戦後まもなく作られ、西洋絵画の
中でもとくに印象派の宝庫として知られています。実際、現地に足を運んでみると、たとえばモネ
には一室が丸ごと割り当てられ、いずれ劣らぬ彼の優品が十数点も常設展示されているのです。
もちろん、有名な「睡蓮」の大作もあります。それだけでも十分凄いんですが、この館のさらに素
晴しいのは印象派の前夜とも言うべき写実派のクールベやバルビゾン派のミレーやコローなど
にも心を配り、印象派の発生を体系づけている点です。クールベの波だけを描いた超写実的な
作品などは、大仰な神話や戦争・歴史などの主題が無くても絵画が成り立つことを示しました。
ギュスターブ・クールベ 《波》 1870年ごろ 国立西洋美術館(東京)
実は長い間、僕も印象派は写実主義やバルビゾン派から生まれたと、ずっと思ってきた。ところ
が、です。そう理解していたのが近年、兵庫県立美術館のターナー展などを見ているうちに、ちょ
っと待てよ、という気になってきた。モネの、身の回りの自然の風景をテーマにした絵画は、たし
かに写実主義やバルビゾン派を引き継ぎ、外形的にもいかにも似ている。オーソドックスな理解
としても間違いない。しかしながら、ターナーを知ってしまうと、どうも印象派の源流は、深い本質
を言えば、むしろ50年も前のターナーに遡るのではないか、直感的にそう思い始めたわけです。
ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナー 《ノラム城、日の出》 1845年頃
油彩 テイト・ブリテン (ロンドン)
モネは1870年の普仏戦争を避けてロンドンに疎開し、ターナーの作品に出会っています。モネ
はターナーの作品群の中に、太陽や水、霧など自然そのものが画題になっているのを見つけた
とき、「わが意を得たり!」と大いに力づけられ、喜んだのではないか。自分が迷いつつも目指そ
うとしている方向を、50年も前に確信を持って実現している先達がいたのですから。
上の《ノラム城、日の出》はモネが感銘を受けて、《印象、日の出》を描くもととなったといわれる
作品です。後年に印象派を大成する巨匠も、この時点でまだ30歳。理解者は少なく、経済的に
は苦しく、前途に不安をいっぱい抱えていた時期です。
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そう推理すると、この夏、僕のロンドンの美術館めぐりは勢い、自分がモネの目となって、彼に影
響を与えたに違いないターナーの作品を訪ね歩くことになってしまいました。その視点で言うと、
たとえば《ノラム城》など、モネ的なターナーの最たるものでしょう(逆かな?)。官立の美術学校が
教えるような構図法はどこにも無く、偉大な物語も無く、脱構築と言ったらいいのか、朧な風景が
特徴ある黄色と青の配色で水墨画のように描かれています。下は、印象派のデビュー作とも言う
べき、モネ《印象 日の出》です。両者は父子のように、明らかに精神的DNAを共有しています。
クロード・モネ 《印象、日の出》1873年 油彩 マルモッタン美術館 (パリ)
なお、モネの含蓄に富んだ歴史的なこの絵は、今秋、21年ぶりに日本にやって来て、東京都美術
館をはじめ、来夏にかけて福岡、京都、新潟を巡回する予定と聞いています。
さて、今や僕は印象派の父はターナーだと見て取りました。では母はいったい誰なのか?
ギョっとするかもしれませんが、歌麿など浮世絵の、それも春画です。次回はその辺を。
■ニューズレター配信 美術評論家 岩佐 倫太郎
近著 「東京の名画散歩」――印象派と琳派が分かれば絵画が分かる(舵社)