カラヴァッジョとの対話;あなたは一体、ルネサンスのどこを新しくしたのか?

■【日伊国交流樹立150周年記念 カラヴァッジョ展その①】国立西洋美術館

 

東京の国立西洋美術館。モネをはじめとする印象派絵画の聖地としても知られるが、今回は

カラヴァッジョの企画展を見たくて、伊丹から朝早い飛行機でやって来ました。緑が眩しい上野

の森を眺めながら、おなじみのコルビュジェ設計の建物に入ります。

上手な美術展のまわり方のコツについて言うと、順番にまじめに見ていくのはあまり感心しません。

よく入口では主催者あいさつなどをしっかり読んで渋滞している人たちがいますが、こう言うところ

はなるだけパス。最初は作品もそれほどなものが無いことがほとんどです。まあ本命にたどり着くま

でに疲れてしまうのももったいないので、おいしいものを体力のあるうちに食べておこうという考え。

なに、見落としが気になったら、後でもう一回、回ればいいんですから。

 

 

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さて、僕の今回の本命は、上の作品。《エマオの晩餐》。新約聖書に基づく場面です。物語はエル

サレム近郊のエマオの町の弟子が、旅人を夕食に招く。しかしながら客人が復活したキリストだとは

気づかない。まさか、死んだはずの人間がよみがえるなんて思いもしてないのでしょう。ところが、客

人がパンを祝福して裂いた瞬間、その人は誰であったのか、彼らは電に撃たれたように悟るわけです。

そんな驚きに満ちた奇蹟の瞬間を、徹底したリアリズムと演劇性、庶民性をもってカラヴァッジョは描

きだします。プロテスタントに対抗するカトリックの自己改革の機運に沿って、復活と言う最重要な

教義を、明快に再解釈して絵に定着させた手腕は大変なものです。   

カラヴァッジョはこうした「真実の瞬間」を描くのに際立った才能があり、ローマのサン・ルイジ・ディ・フラ

ンチェージ聖堂にある、出世作にして最大傑作のひとつ《聖マタイの召命》もまたその好例です。小銭

を数えていた税収吏マタイが、イエスに声をかけられ翻然としてそれまでの人生を捨てて布教の困難

な旅に出る、そのドラマの瞬間を描いたものでした。                                      

ところで《エマオの晩餐》を見て、同じくミラノにあるダ・ヴィンチの有名な《最後の晩餐》を思い出す人

もいるかもしれませんね。イエスを中心に複数の人物のゆるぎない構成、ひとりひとりが物語を語って

いる点では、百年の差がある二つの絵が、まるで親子か兄弟のようにつながっています。それに加えて

カラヴァッジョのばあい、黒い背景の中に光源を絞って人物のエッジをシャープに浮かび上がらせ、まる

で今日の映画の名場面を見ているような映像美を構成しています。カラヴァッジョの絵のかっこよさは、

このように高精細でリアルでありながら、一方で光による省略がなされて快美感がある点です。ルネサ

ンスには無かった新しいリアリティの登場です。

僕は改めて感心して、展示室の後方のフラットなベンチに座って、絵をもう一度見直していました。

                            

その時です。ぼうっと半ば放心して絵を眺めていた僕の横に、ドスンと座り肩をぶつけて来た男がいる。

無礼な奴だな!そう思って横目でにらむと・・・(つづく)。

ニューズレター配信

岩佐倫太郎 美術評論家

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