【日伊国交流樹立150周年記念 カラヴァッジョ展】その③国立西洋美術館■
「ところでカラヴァッジョさんにとって、ミケランジェロとは?」
「またしても出来合いの質問だな。アンチョコすぎないか、紋切りで」
「はい、すみません」
「俺と同名のミケランジェロのことだな?ピエタやダビデで有名な」
「そうです」
「俺はダヴィンチからは思想を盗み、ミケランジェロからは技法を盗んだんだ。奴
の本分は彫刻家だ。後年いかにシスティナ礼拝堂に絵を描こうともだ。
彫刻家と言うものは絵描きと違って、寸分の誤魔化しも効かない。なぜなら彫像
は前後左右上下、どこからも見られる。嘘がつけないんだ。嘘をついたら立体は
できない。わかるな」
「たしかに」
「奴の場合、だからその技量はハンパじゃない。いくら大理石を切り出す村に育
ったと言っても、奴っこさんの3次元の空間把握は絶対的なんだ。石の中にす
でに彫像が見えてる。これは習ってできるものでもない。言いたかないが、天才
と言うしかないものがある。何しろ自分が造物主に成り代わって天地創造してい
るつもりで居やがるんだ。鑿をふるってな」
「たまには人をほめるんですね(笑)」
「フン!ところで、奴っこさんの新しさはどこにあったのか、分かるな?今じゃ皆、
当たり前のようにダビデやピエタを見てるがな。ここが大事なんだが、奴はギリ
シャの理想的な肢体美の上に聖書の顔を乗っけやがったんだ。露骨な表現で
悪いな。聖書をギリシャ美で再構成した。これがルネサンスなんだ。ギリシャと
キリスト教の融合。これは最強の組み合わせなんだ。それ以前はジョットがイコ
ンに物語と人間性を盛り込んで、聖像を動かす絵を描き始めたところだった。例
えば《ユダの接吻》などのように」
「パドヴァのスクロベーニ礼拝堂の絵ですね」
「そう、彼の表現でも当時、十分に革新的だっただろうと思う。それがミケランジェ
ロは2千年も昔の、見事なギリシャ美の肉体と写実をもって聖人を復活させた。」
「完璧とはああいうものですかね」
「そうさな。奴がルネサンスの規範で奴がルネサンスを作ったんだ」
「では、カラヴァッジョさんはどこを学んで、どう乗り越えようと・・」
「まず学んだのは人体だ。ひねりや骨格のうまさはもう盗むしかない。今回の《ナ
ルキッソス》なんか、その成果だが、まあ、まだ追いつけてない。奴は人体解剖も
経験してスキがないんだ。正面突破は難しい野郎なんだ。憎たらしいがな」
「それで迂回して、極端な明暗法などを生み出したんですね?」
「付け入る隙を探したね。奴はあまりに完成していて、全方位なんだ。他が
皆、マネしたくなるようなお手本なところを身に着けてる。でも、考えたね。奴も所
詮は教皇の看板屋じゃないのかってね。権力をヨイショしてるんだろう。そう考え
ると俺もちょっとは楽になってきた。まあ、時代があとだからそんなことも言えるん
だが、その弱点を俺は突いたのさ。マネキンのディスプレイでなく、瞬間の真実を
描けばいい、聖書の物語の解釈を新しくして、そこに焦点を当てたんだ。そこは絵
描きの特権なんだよ。彫刻家は全方位だから光の省略ができない。我々はある
角度から絞った瞬間が描ける。なおかつ、貧しい信者の立場を絵に反映できれば、
ちょっと勝負できるかもしれない。そう思ったな」
「《ロレートの聖母》もそうですね。」
「ウム、いい絵だろ」
「それでカラヴァッジョさんの明暗法は、ベラスケスやオランダのレンブラント、さら
にはフェルメールにも受け継がれる」
「ルネサンスを毀して、新しい絵画の流れが始まったんだ。最後の弟子は、印象
派のマネだよ。俺が壊しにかかったルネサンスだが、なにしろシブといんだ。新
古典だなんだと看板を架け替えて生き延びてやがった。その息の根を止めたの
がマネなんだ」
「なるほど。そうなんですね。次回、カラヴァッジョさんの最期のことを聞いていい
ですか。あなたは若くしてローマの郊外で客死しましたよね」(つづく)。
ニューズレター配信
岩佐倫太郎 美術評論家
■お知らせ
僕が企画にかかわった大阪市立東洋陶磁美術館と(社)ナレッジキャピタルの「超学校」シリーズ。
今日5月7日(土)は現地で、ちょうど開催中の「宮川香山」を皆で解説付きの鑑賞会。そのあとは、5月10日
ほか、グランフロントにふたたび戻って、学芸員の方の話を聞いたり、館長と僕の対談を行ったりします。
http://kc-i.jp/activity/chogakko/moco/vol01/