いま、森先生から、ヨーロッパが受け止めたジャポニスムの衝撃と言うものをご説明頂きました。それでは文人も画家もこぞ
って、まるで流行病のようにジャポニスムの軍門に下った真の原因はなんであったか、技術と思想の面から順にご説明させ
て頂きます。
まず技術的に彼らが圧倒されたのは構図です。この画像、広重ですけど、こんな斜め上空からのアングルと言うのは西洋絵
画にはありませんでした。まるでカメラを搭載したドローンで見たような景色。しかも、北斎の「神奈川沖」にしても、富士山と
言う大事なものが遠くにあって、まるで望遠鏡を反対に見たときのように、ちょっと気が遠くなりそうな凄い空間の広がりと奥
行きを感じます。
歌川広重 東都名所 高輪の名月
逆遠近法とも言われています。それに比べて見ますと、ルネサンスの遠近法は、実は大変生真面目なモノでしてね、平らな
カンヴァスの中に人物なりが彫刻のように立ち上がり、3Dとして見えないといけないものでした。ダ・ヴィンチのモナリザにし
ても一生懸命そのための技法を発明して使っている。遠くのものは青くぼんやりと見えるという原理の空気遠近法とかですね。
そしてさらに注目して頂きたいのは、縦横の比率のデフォルメです。縦のレートを3倍ほどにしていると言われます。彼ら西洋
のリアリズムから言うと、こんなふうに縦横の比率を勝手に変えちゃ困るんです。今のコンピュータ画像の時代ならこうしたこと
が素人にも簡単にできますけれど、この時代、頭の中でまず自在に視点を変え、その上デフォルメも加えるとは何とも凄いこと
でした。
葛飾北斎 神奈川沖浪裏
多分ヨーロッパの画家は、この一点だけでも「参った!」となったと思います。プライドの高いクールベなんかも北斎を一生懸命
真似るんです。でもやっぱりリアルなだけ。波が画題になるなんて事はこの時代とても斬新ではありますが、写実の限界があり
ます。やはりデフォルメするということに、この時はまだ思いが及ばないんですね。
さて構図の話に次いで、色遣いのことを申し上げます。豊国の遊郭の花魁図ですが、なかなか享楽的ですよねえ!エロい、色
遣いと言ってもいいと思います。さっきの森さんのゴッホの解説にもあったように、こうした色遣いを見てゴッホは弾ける訳です。
一皮もふた皮もむける。暗いオランダから出て来て、自分の中のリミッターみたいなものをブチ切って脱皮して、色爛漫な新しい
ゴッホに生まれ変わる。天才ゴッホも浮世絵無くしては誕生しなかったんです。
(上)三代豊国(国貞) 美人 牡丹 (下)三代国貞 花川戸助六 市川団十郎
次の3代目国貞かな、この役者絵のグラフィックな色使いも凄いでしょう?モダンで、現代のグラフィックアート、例えば田中一
光を見ているような気もしますね。もう、影などなくても、輪郭線や色遣いで我々は十分に頭の中にリアル極まりない世界を再生
することができるんだ、そういうことをヨーロッパは学んだわけです。
浮世絵の技法の優れたところは、構図、線描、色遣いです。これはどの学者も異論のないところだと思います。皆さまもそう理解
して頂いて全く間違いはない。しかし僕が思いますに、実はその技の奥にあるものこそが、当時のヨーロッパの人間を圧倒したの
ではないか。
それは何かというと、日本人の思想であり人生観なんです。生活レベルの高さ、と言っていいかもしれません。日本人の生活を
エンジョイするエネルギーや、花鳥風月の自然を友とし、四季を愛でるライフスタイル、それに平等で自由で平和に見える社会の
ありよう・・。逆にパリなんかはフランス革命の後、内戦も含めて戦争に明け暮れていた。それが、こうした浮世絵の世界を知ると、
パリの画家たちも西洋の人たちのキリスト教倫理に縛られた息苦しい階級社会に、希望を見出し、理想境として憧れたんではな
いか。命を取ったり取られたりギロチンにあったなどと言う物騒なこともなさそうだし、人々はのどかに旅を楽しんでいる、おまけに
政府公認の遊郭まであるらしいね!とまあ、そんな情報が浮世絵を通じて流れ込んできて、そんな楽園があったのかと驚愕した
わけですね(つづく)。
ニューズレター配信 岩佐倫太郎 美術評論家