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ジャポニスムとは何か、どのように始まったのか、浮世絵はどう影響したのか、講演録。4-3

さあ、それでは今日僕が一番話したかった、話の肝に移ります。それは春画であります。春画は浮世絵の一部で、春画を描

かない絵師はいません。わずかに写楽の春画が見つかっていないくらいです。卓抜な風景画家の広重だって描いています。

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歌麿 線描のうまさにも注目    

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 北斎《蛸と海女》この絵は早い時期にヨーロッパに渡っている 

 

まあ当時、浮世絵の絵師が、春画を描くのは当然だったんです。全部の浮世絵の約5分の1が、春画だと言われています。

今日僕はここで、「春画こそが印象派を生んだ」という大胆極まりない説を公開致します。僕はルネサンスボッティチェルリ

の《ヴィーナスの誕生》いらいの西洋絵画のヌードをずっと調べていて、ヌード画こそが絵画の本質だと思うようになりました。

一番難しく一番きわどいジャンルなんです。画家の思想と技がモロに現れるのがヌードです。間違うとキリスト教会の倫理に

も抵触し、画家としての生命を絶たれます。それ故、長らく西洋画のヌードは、羽の生えた天使がまわりに飛んでいるような、

女神像として描かれました。それなら許された。逆に、神様のヌード以外は認められなかったわけです。

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ところがヌード画にとんでもない事件が起こる。神様ではない人間のヌードが登場するんです。作者はマネです。マネは何故、

突然変異のように、400年以上守られて来たタブーを大胆に破って人間のヌードを描くに至ったのか。その変化がぼくには

とても不思議で、なおかつ理解不能なんです。あまりにドラスティックすぎる。

 

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ボッティチェルリ 《ヴィーナスの誕生》 1483年            

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ティチアーノ 《ウルビーノのヴィーナス》 1538

もう一度《ヴィーナスの誕生》に戻りますと、これはギリシャの女神です。教会の権威から離脱したかったメディチ家など当時

の新興の富裕階級は、理想の神々をキリスト教ではなく、ギリシャ神話に求めました。その考えを代表しているのでこの絵は

素晴らしいんです。もちろんボッティチェルリのタッチが斬新でファッショナブルで時代の先を言っていたこともありますが。

次の世紀に入っても、ティチアーノの時代でもやはりヌードは女神でなくてはなりませんでした。おまけに、入浴の後で下女が

タンスからお召し物をいまお持ちしようと探してますよ・・なんていうエクスキューズまでつけています。そこから時代が下って、

高校の教科書で有名なアングルなんかも、ギリシャ彫刻を絵にして、目玉を本物の人間のようにしただけの気持ち悪い絵を

描いてます。恥毛もないでしょう。ギリシャ彫刻では恥毛は表現しないことになっているので、それに倣っているのです。でも

こんなのが当時つまり19世紀のアカデミズムの代表なんです。美術学校に行くとこういう画法を教えられる。

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カバネル 《ヴィーナスの誕生》 1863年      

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マネ 《オランピア》 1863年    

 

このカバネルの天使が飛び回る《ヴィーナスの誕生》。1863年のものです。ルネサンスいらいの、ヌードの掟を守った画法です。

この絵はナポレオン3世の買い上げの栄誉に浴します。ところがそれと同じ年に、マネはこんな絵を描いてるんです。どっちが

うまいですか?普通ならカバネルでしょう?それに引き換え、マネのこのヌードの女性、女神さまではないことは分かりますが、

それにしても何だかチンチクリンですね。扁平だし。それに奥行き感、立体感もないですね。今から150年前、この絵の新しさ

を見抜くのは大変な才能を要したと思います。

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でもこの絵が、僕の言葉で言えば、ルネサンスの首を切り落とし、近代を開いた絵なんです。ついでに言うとこのモデルの女性

は、娼婦とされています。美しい女神様ならヌードでもいい、でもこれは人間のしかも娼婦。いままでのキリスト教文化、表向き

の建前では絶対にありえなかった絵画が飛び出してしまったんです。「狼藉者め!」体制側の人間はあからさまな挑発に憤っ

て、これを排除にかかります。性倫理の厳しい社会の中で、人目を盗んでひそかに娼婦のもとに通っていた男などは、自分の

日頃の行状をバラされた気がしたかもしれません。それで逆上して、わざと大声で蔑みの笑いをもって対応した。人間って真実

を突かれると逆上するものですね()。むろんその辺はマネの方も確信犯です。前作の、皆さんもよくご存じの《草上の昼食》も

含めて、戦略的に体制に思い切り楯ついています。まだこの絵のモデルが豊満な美人で、もし奥行き感たっぷりに描かれてい

たら、また別の反応があったかもしれませんけどね。ところが、この絵にはルネサンスいらい、西洋絵画が大事にしてきた奥行

はないし、モデルの体も扁平で、影もなく、殴り描きのような筆遣い。色もまた、伝統的な滑らかなグラデーションなどほど遠い

版画的な画面分割。身もフタもない、言い逃れをはじめから拒否した挑発的な絵です。

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そしてここがポイントなんですが、結局この絵の性的に放縦なところも、立体感の無い平面的なところも、色の滑らかでないとこ

ろも、これってみな浮世絵の、それも春画そのものではないでしょうか。モネの《オランピア》は、油絵の具によって描かれた、春

画である、ともいえると思います。春画こそがマネに倫理的な性の解放を仕掛け、遠近法の否定や享楽的な色彩術を教えた張

本人。そう理解する方が、マネのヌード画の、とんでもない跳躍の高さを納得できるのではないでしょうか。少なくとも僕はそうで

す(つづく)。

 

ニューズレター配信  岩佐倫太郎  美術評論家