- 特別展【古代ギリシャー時空を超えた旅ー】(神戸市立博物館) その③ ■
この大理石に刻まれた高さ160センチの青年像は、ギリシャのアポロン神域から発掘された。日
本でも神社にお札を納めると言った風習があるが、紀元前の古代ギリシャ人は神殿に、美しい
若者の彫刻像を奉納したのだ。このような若い男性像を「ク―ロス」と呼ぶ。これは、人間の姿は
神から授かったもので、美しい人間の姿を神はことのほか喜ばれる、との考えである。
今回、展覧会に足を運んだ人は、2階の会場内でひときわ目立つこのク―ロスに、何らかの美的
な引力を感じるに違いない。それは一体なぜなのか。また、このような彫刻に向き合ったとき、美
術としてどう鑑賞したらいいのだろう。以下、僕の見方の手順とポイントである。
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まず離れてザックリと見たときに誰しも気づくのは、人体を3次元でリアルに再現できている事だ
ろう。プロポーションの良い体躯は決して筋肉ムキムキではないが、腹筋もちゃんと割れ、太腿も
半端でなく厚みがあり、たぶん古代オリンピックの勝者をモデルにしたのではないかと僕は想像
する。次に少し近づいて見ると、やはり容貌が端正で若々しいことも認めない訳にはいかない。
もし、長く伸ばして編んだ髪がなければ、そのまま今日の若者にも見えるだろう。ポロシャツなど
着たところを想像してもらえばいいのだけれど。
顔つきはオリエントが混じっているのか、ある種の精桿さが見て取れる。そしてさらに見ていくと、
ここが一番のポイントだが、彼の唇に浮かぶ「笑み」に気づかれるだろう。唇の両端を持ち上げて、
様式的なほほえみをたたえているのだ。これを古代の笑み=アルカイック・スマイルと呼ぶ。アル
カイックとはギリシャ語で始原とか太古を意味する「アルケ―」に由来する。
この辺を押さえておくと、この彫刻の美術史的な価値を推し量る決め手になる。と言うのは、これ
から以降、ギリシャの彫刻は祭祀性を離れて、芸術としての美しさや独自性を追求するようになり、
もはや意味のない笑いを漏らしたりはしなくなるからだ。日本で言えば大黒様の笑いのような、時
代的には古い精神に属する祭祀的な笑いを残している点が特徴だ。ちなみに紀元前6世紀の
この時代を、ギリシャ彫刻ではアルカイック期と呼ぶ。
さて、もういちど体の話に戻ると、体の造像は立体感としては十分表現がなされているけれど、
まだどこか正面を向いた謹直なポーズを取っている。したがって骨盤も水平だ。ここには紀元前2
世紀の《ミロのヴィーナス》に見られるような、ろうたけた体のひねりや表現的な誇張はまだない。
ギリシャはこの後、理想主義的な様式を確立するクラシック期という黄金時代を迎える。このクー
ロスはちょうどその前夜にいる。体はもうクラシックに限りなく近づいているものの容貌はまだ古代
的な笑みをたたえ、両者が一身の中で共存している。なので人類の美術の歴史の中で、祭祀と
芸術が枝分かれする、そのちょうど分水嶺を目撃する思いがするのだ。芸術が芸術の自意識に
目覚める前夜の、記念碑的な作品とも言える。ク―ロスの持つ美的引力と美術史上の重要性は
そこにある。
《ク―ロス像》前520年頃 アテネ国立考古学博物館蔵
©The Hellenic Ministry of Culture And Sports-Archaeological Receipts Fund
■展覧会の会期は、2017年4月2日(日)まで、神戸市立博物館にて。
美術評論家 美術ソムリエ 岩佐倫太郎