北斎は波や滝など「水」を通じて地球の精妙と永遠に迫った、江戸最大の天才浮世絵師だ。
開催中のあべのハルカス美術館「北斎―富士を超えてー」。一昨日、小生も
それにちなんだ公開講座を兵庫の川西の朝日カルチャーセンターで開催させ
てもらった。おかげで会は補助イスを出すくらいの盛況ぶり。ご参加の皆様に
は改めて御礼申し上げます。
《端午の節句》文政7~9年(1824~1826)頃ライデン国立民族学博物館 《下野黒髪山きりふりの滝》天保4年(1833)頃 前北斎為一筆 大判錦 絵/西村屋与八37.0×24.5 東洋文庫
講座の前半はおもに北斎の年譜に沿って話を進めたのだが、面白いことに北斎
は60歳になるまでは大した仕事をしていない。腕はいいが頼まれ仕事をこなす
職人のレベルだったのではないか。上の左は60歳代半ばに入って、オランダ商
館の医師、 シーボルトの依頼で日本の風俗習慣を描いたもの。達者で西洋画の
遠近法もきっちり身に着けているものの、後年の削いで研ぎ澄ましたような天然
美への憧憬はまだ見られない。
北斎がようやく己の天分に目覚めるのは、驚くばかりだが70歳を過ぎての事だ。
《神奈川沖浪裏》などであまりに著名な「富嶽三十六景」も、《霧降の滝》に見るよ
うな「諸国瀧廻り」も、すべて70歳代前半の業績だ。版元の西村屋与八と組んだ
事も大きかったと思われる。また浮世絵の複製技術による安価な美術品の流通
体制も整備が進んだ。当時のかけそば1杯の値段、大判の絵でもかけそば2
杯と言うからと、庶民にも手の届く今日の雑誌のような存在になっていたのだろう。
加えて、「ベロ藍」と呼ばれた舶来の、蛍光的なまでに鮮やかな青色染料の流入も
北斎が江戸画壇の人気絵師になるのに、強い追い風だったに違いない。
今回改めて北斎作品を仔細に見なおして彼はSENSE OF WONDERの人だと
思った。理屈や絵の技術以前に、北斎はこの世界の成り立ちが不思議でならない。
わが地球を崇敬の念で眺め、驚きをもって感応している。その感動を表したくて波
や富士や滝を描く。感動こそが彼の創作のエネルギー源で、売りだけを考えたもの
ではない。そしてついには対象に没入し、永遠とも思える一体感を表現んしている
のだ。はじめ形態の面白みやデザインから入ったかもしれないが、一連の富士の
ような主観的なデフォルメに進み、最晩年にはイリュージョンと現実が混然一体と
なった画境に達する。満88歳で亡くなったが、本人はあと5年あれば神域に至る
ことができると語るほど、年齢とともに技量は冴え進化を止めない人だった。
北斎の没年である1849年に描いた作品が何点か、展覧会でも見ることができる。
虎と龍の2作品を挙げておくが、いずれも死を前にしながら晴朗で陽気なエネルギ
ーに溢れている。北斎の年の取り方、世の去り方に大いに憧れる。
《雪中虎図》嘉永2年(1849)正月 個人蔵、ニューヨーク 《富士越龍図》 嘉永2年(1849)正月11日または23日 北斎館
岩佐 倫太郎 美術評論家/美術ソムリエ
北斎展の公式サイト http://hokusai2017.com |
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◆端午の節句・著作権©Collection National Museum van Wereldculturen. RV-1-4482h ◆会期中、展示の入れ替えがある作品もあります。事前にご確認ください。 ◆後記◆ 出席された年配の方からメールを頂いたら、「定年後 20年、内外の美術を見て歩いているが、岩佐さんの話をもっと先に聞いておきたかった」とありました。僕も励まされます。 |
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