マティスもピカソも多くを北斎に負っている。北斎が分かれば近代絵画は分る。
朝日カルチャーセンターでの公開講座。10月14日。講義の後半は浮世絵が
印象派を生んだという話をさせて頂いた。初めての人にとっては奇異に感じる
かもしれない。いったい、浮世絵のどこが印象派絵画のどこに影響したのか。
いつもの講演会で語っているように、いくつかの重要なポイントが揚げられる。
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まず、風景そのものを画題にした(広重→モネ)。ヌード像は女神に限っていた
のが、タブーを破って娼婦さえもモデルにした(春画→マネのオランピア)。色彩
が爆発した(錦絵→ゴッホ)などなど、思想的にも技法的にも、浮世絵(春画を
含む)は西洋絵画に多大な影響を与えた。この辺のことは、大体ご存知だろう。
はじめは、「ジャポニスム」と名付けられた異国趣味の流行だったかもしれない。
だが、気づいて見れば、浮世絵は原理の中に、それまでの西洋美術を理論を
根底から覆す猛毒のような危険を内包していた。危険な猛毒とは何かというと、
ひとことで言えば、「視点の合成」と言えるだろう。浮世絵はルネサンス以来の
一転消失の遠近法などにこだわることなく、《神奈川沖波裏》に見る如く自由な
遠近術で風景を伸び縮みさせ、しかも《江戸日本橋》のように複数の眼の位置
で見たことを、平然と一枚の平面に表現していのだ。その毒の危険性をいち番
深刻に受け止めた画家は、西洋絵画の父と呼ばれることになるセザンヌだった。
《富嶽三十六景 江戸日本橋》 北斎1830-1833ころ 《籠のある風景》セザンヌ1888-1890ころ
僕の結論は、セザンヌの林檎は、北斎の富嶽三十六景と同じだ、と言う事だが、
徐々に説明させて頂こう。ここを理解して通過できれば、美術の見方はウンと
広くなってラクになり、マティスやピカソまで見渡せる地点に立つことができる。
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まず左上の《日本橋》。おなじみ《富嶽三十六景》の中の一点である。手前は人
や車の往来でにぎわう世俗的な日本橋の風景。やや見下ろすように描かれ
ていることにも注意をとどめておいて頂きたい。そして中景に、これぞ
政治権力の象徴、江戸城が鎮座する。その奥には富嶽=富士山が、聖なる
イコンのように控えている。聖、権力、俗が3点セットで揃っているが
何だか珍妙な紙芝居の絵のような不自然さを感じる。それに加えて、川端
にずらっと並ぶ倉庫群を見て読者諸賢は何か不自然さを感じないだろうか。
我らが見慣れた西洋絵画の遠近法=一点消失法とは微妙に違うのだ。
交点を結ばない奥行きの描き方
セザンヌは、言葉には決して残しはしなかったが、この東洋の絵画の中に犯しが
たい真理が含まれ、自分たちの進むべき未来が既に用意されている事に気づき、
密かに換骨奪胎を図ったと推測される。それがセザンヌの一連の卓上の果物の
絵だ。右上の絵でも、壺や籠、果物がてんでな視点から描かれ合成されている。
ルネサンスが金科玉条のごとくした一点透視による遠近法は、あっさりと崩れさり、
複数の視点が同時に存在する作画法が生まれたのだ。実際にこうしたことが始ま
ってみると、「これでいいのだ!」と脳内のリアリティを反映したこちらの方がむしろ
自然で心地よいことも認めざるを得なかった筈だ。もう元に戻れない地点にまでに
浮世絵は近代絵画を推し進めてしまった。最後にセザンヌの絵画上の子孫た
ちの画風がどんなにセザンヌに負っているか、つまりは北斎に負っているか事例
を2点挙げておこう。近代西洋美術の源流には北斎が居るのである(北斎、完)。
《金魚》 マティス1912 プーシキン美術館 《ドラ・マ―ルの肖像》 ピカソ 1937 ピカソ美術館(パリ)
↑異なる視点が同一平面上に、当たり前のごとく描かれている。
■岩佐 倫太郎 美術評論家/美術ソムリエ