ゴッホの色彩はマティスに伝播したーー7/15(日)京都大学講演会にちなんで

f:id:iwasarintaro:20180522165948p:plain

読者の皆さま。以下は、京都大学時計台の講演会を7月に控えて、メールによる事前レクチャーを

兼ねています。お申し込みの方以外も気楽にお読み頂ければ幸いです。これはその3回めです。

 

ゴッホがパリに出て、浮世絵に出会って翻然と自己変革を遂げ、後世、カラリスト(色彩家)と呼ばれ

るようになったのは既に書いたとおりです。長らく200年以上も鎖国をして、戦争も無かった国、日本。

その享楽的なパラダイスから送られて来た浮世絵の版画が、プロテスタントであったゴッホの頑なな

氷のごときストイシズムを、太陽のように解かしたことは想像に難くありません。眼にした錦絵は色が

まばゆいばかりか、西洋が一生懸命磨いてきた遠近法やリアリズムを、見事に破壊していたのです。                                       

 

カラリストとは、もとはルネサンスの時代に、フィレンツェのデッサン中心の画法に対して、デッサン

よりも色に特徴があったヴェネツィア派の画家たち、ティツィアーノや上の右のティントレットらを指し

て言う言葉でした。ヴェネツィアが東方貿易の港であり十字軍の往還の基地でもあったことなどで

オリエントの影響を強く受け、アラブ的と言ってもいい濃厚な原色使いが流行したと考えられます。

ローマやフィレンツェより西の西洋的感覚は、旧約聖書の世界をほうふつさせるような古拙な色遣

いに、どうも過剰とも言える反応と評価を示しますねえ。

ところでゴッホのカラリストぶりは、どこが新しいかと言うと、彼の色がすでに色のリアリ

ズムを離れて、色で絵画独自の秩序を作り始めているという点です。彼は自然の色ではない

色を使って絵を描いても、絵画って成立するじゃないか!と言うことをゴーギャンとともに

早い時期に発見した人です。確かに印象派のモネなども、混色を嫌い本来の色ではない絵具

をキャンバスに並置して絵を描きます。ただしやはりそれは最終的には自然界のリアリズム

に奉仕するものです。ですが、ゴッホが例えば《日没に種まく人》(上の左の画像)などの

バックに、実際にありえない緑がかった空の色などを配するとき、我々はそれを太陽の黄色

と空の青の合成だろうと思いつつも、そこに出来上がった世界の新しい調和に思わず得心さ

せられ、同時にその平坦な画面構成も受け入れてしまうのです。

f:id:iwasarintaro:20180522170119p:plain

ヴラマンク 庭師 1904 年                     マティス 帽子の女 1905年

 

早すぎた芸術家の常として、ゴッホも生前は不遇で、売れた絵はたった1枚だけでした。それでも時

代が追いかけたのか、ゴッホの評価は急速に高まり、死後11年たった1901年には早くもパリで回

顧展が開かれます。これを見たヴラマンクはいたく感激して、「自分はこの日、父親よりもゴッホを大

切に思った」と伝説的な述懐を残しました。ヴラマンクは前年ドランと知り合い、意気投合して一緒に

アトリエを構えていましたが、この回顧展の時、ドランから、マティスを紹介されます。このようにして

3人は4年後、「サロン・ドートンヌ」(1905)に出品したところ、その激しい色彩と形態から「野獣」(フ

ォーブ)」と名付けられ、ここからフォービスムが生まれます。ゴッホの色彩感覚はヴラマンクに蘇えり、

その熱気がピンボールのように行き来して、ドランやマティスの色彩DNAを激しく叩いた、と想像して

います。ゴッホは、フォービスムの先駆でもあった訳です(つづく)。

★お申込みを受付中です!森耕治VS岩佐倫太郎 美術リレートーク  

 

■美術対談講演会@京都大学時計台

 

モネ・ゴッホマティスからピカソまで

浮世絵で始まる西洋美術

 

7月15日(日)14時から16時  京都大学時計台・国際交流ホール 100名

 

■17時からは時計台下のフレンチ・レストラン「ラ・トゥール」で立食パーティを開きます

(任意参加です)。

■会費 講演会のみ4千円、パーティとも1万円(含消費税)必要な方は領収書を発行します。

■お申込みはこのメールにご返信ください。追ってお振り込みの案内を差し上げます。

 

美術評論家/美術ソムリエ 岩佐倫太郎