マティスと並ぶ野獣派(フォービスム)の旗手、ドランにも浮世絵の影響は見られる。

 

 

大阪・中之島の国際美術館で開催されている「プーシキン美術館展」。春に東京上野の都立美術館で開かれていたのが、巡回してきた。ロシアの詩人にして小説家の名を冠したモスクワの美術館が持つ、印象派やポスト印象派などを中心にした見ごたえある優品が並んだ。なかでも今回僕がいちばん実見したかったのが、この作品。アンドレ・ドラン《港に並ぶヨット》(1905年)。

油彩・カンヴァス ⒸThe Pushkin State Museum of Fine Arts, Moscow.

 

フォービスムの誕生を語るうえでとても貴重な作品。1905年、ドランはマティスとともに地中海のスペインに近い港町、コリウールに滞在して絵を描いた。二人は同じ年の秋のサロン・ドートンヌ展にこの地での成果を出品し、仲間のヴラマンクらと一緒の部屋に展示された。それらを見た評論家が、彼らの爆発して燃え上がるような色彩の使い方を見て、野獣(フォーブ)と名づけるのである。これがフォービスム(野獣派)の始まり。

 

この絵で見るべきは、フォークアート的な稚拙にも見えるデッサンの方では無くて(それも興味深いが)、すでにリアリズムから遠く離れた自在な色の使い方。色彩の跳梁と言ってもいいか。モネなど印象派の登場は確かに新しかったが、絵が自然の説明役であることはやめていない。まあ、それが印象派の限界でもあったのだが。それゆえこの反自然な色遣いは、当時の画壇を驚かせ、いつものことながら真に新しい時代の登場に、畏れと拒絶がない交ぜになったブーイングが沸き起こった。ところがいま、われわれがこの色遣いを見るとき、それを拒否したくなるほど不快に感じる人は少ないだろう。むしろ多くの人は自分の脳のどこかに、ある種の開放感や愉悦さえ覚えている筈だ。絵画における色が現実の再現に使われるのでなく、あくまでも画家の主観による新しい秩序に再構成されるのを、われわれ自身もどこかで歓迎しているフシがあるのだ。かくして時代は抽象絵画に向かっていく。

 

ところでマティスやドランの仲間で、やはり野獣派の一人であったヴラマンクは、ゴッホに私淑した人である。マティスと知り合ったのは、1901年、ゴッホの回顧展をパリの画廊に見に行って、そこで旧友のドランにマティスを紹介されてのこと。ヴラマンクゴッホの色彩への熱狂ぶりはその後、ドランにもマティスらと相互に影響を与えあい、上記の野獣派(フォービスム)の誕生につながる。そのゴッホは日本の浮世絵の影響によってオランダ時代の暗い色調を脱し、桃源的とも言える色彩世界を見出した人だから、そう思うとドラン、マティスヴラマンクらの野獣派もまた、ゴッホを中継して浮世絵につながっていると言える。日本の浮世絵の影響は、それくらい長い射程で理解されてしかるべきだろう。

プーシキン美術館展は、1014日まで。国立国際美術館(大阪/中之島)。

 

 

岩佐倫太郎・美術講演会のお知らせ 

 

ジャポニスムとは何かーー東京・講演会」 11月8日(木)、東京駅前の新丸ビル10F、「京都大学・東京オフィス」で17時より19時まで。https://www.facebook.com/events/218007072202096/

 

美術評論家/美術ソムリエ 岩佐倫太郎