2500年の美術史を巨視すると・・。大きな山はたった三山でしかない

こんにちは。ここに掲げた手描きの図は、講演や講義で僕がよく使う、美術の歴史=2500年を視覚化したものです。2500年の歴史というと、それではアルタミラの洞窟の絵などはどうなるんだ!との声も上がるかもしれませんが、それは何万年も前の石器時代のことなので、まあ原始美術の世界になってしまいます。我々が扱う近代美術史はギリシャに始まり、たった(?)2500年の歴史です。

f:id:iwasarintaro:20190902203254p:plainその中で、注目して頂きたいのは、主な美術運動は、大和三山ではありませんが、たった三つの山で表わせると言うことです。大づかみに言うと、紀元0年前後のギリシャ美術の時代、そして1500年前後のルネサンスの時代、三番目が印象派の時代です。僕は講演に参加された皆さんに、この図を基礎教養としてアタマに入れてくださいといつもお願いしています。自分が好きだと思って見ている絵が、美術史のどの山のどのあたりに位置するのか、前後のつながりはどうなのかなど、こうした図表で知るだけでも、見方も深くなって内外の美術館に出かけた時の楽しさが違ってきます。

 

ただ、こんな簡単な話ではいやだという人のために、もう少しだけ詳しく、解説を加えておきます。今日よく知られるギリシャ美術のスタイルは紀元前5、6世紀くらいには優に成り立っていて、ミロのヴィーナスは紀元前2世紀。のちのローマ人たちは美の規範をそのまま受け継ぎましたので、ギリシャとローマは一体として解り易くおよそ紀元ゼロ年の前後とした訳です。ここはリアリズムを越えた肉体の理想が追及され、神々の姿に託して美のモデリングが表現される、美術史の重要な最初の山です。

 

さて、その次に図の括弧でくくった、(ビザンチン)というのがありますね。これはキリスト教が認められローマの国教になって、宗教の布教と一体となった教会美術です。キリストやマリアの顔の聖像———イコンとよばれモザイク画も多い———が特徴的です。この千年以上も続いたビザンチン美術をなぜ山にしないのかというと、僕からすると西洋美術の暗黒時代、つまり美術の自律的な発展が許されず、宗教の広報係として厳格な縛りの中で教会に奉仕してきたものなので、山ではなく谷だと解釈しているからです(笑)。

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ミロのヴィーナス 紀元前130-100 アヤソフィアのキリスト ラファエロ《牧場の聖母》ウィーン美術史美術館 1506 

この千年変わらない美術が、やっと宗教の呪縛から自由になったのは、1500年を中心とするルネサンスの時代を待ってのことです。学校の教科書では、「文芸復興」などと習うだけですが、ルネサンスの時代とはひとことで言うと、神への疑いが始まり人間精神の自立が芽生えた時代。ボッティチェリの《ヴィーナスの誕生》などはキリスト以前のギリシャ多神教へ復帰して背神的ですし、キリストや聖人を描くときでさえも解剖学的にリアルで、より人間的な表情を持った描画へと変わっていきます。

 

ルネサンスは絵画だけでなく思想史とも一体的に理解すべきで、人類の思想の中で神への離反が初めて生まれ、科学に立脚した人間の精神の自立が始まります。そこからデカルトの「われ思うゆえにわれあり」も生まれるし、ニーチェに至って「神は死んだ」となり、即物的な科学精神は産業革命の源となります。われわれが西洋を理解しようとするとき、重要なのはこのところで、ルネサンスは近代精神の始まりの1丁目1番地としてそのまま今日と地続きな、人類の黄金時代だったと言っていいかもしれません。

 

ところがそれから400年たって、あれほど強力で人々を付き従えさせたルネサンス流絵画のリアリズムや遠近法は破棄され、印象派にとってかわられていきます。その主原因が日本からの浮世絵の流入にあるのはとても興味深く大事なところですが、長くなるので次回に(つづく)。

 

岩佐倫太郎 美術評論家/美術ソムリエ 

 

白鷹禄水苑文化アカデミー(西宮)での岩佐の連続講義は、2年目に入り、印象派からルネサンスと逆に歴史を遡って来て(その方が理解しやすいので)、いよいよ108日から「ギリシャ神話の基本」に入ります。多くの人がとまどう「旧約聖書ギリシャ神話かわからない」という部分も明快に分別して、ギリシャ神話のテーマを得意技にして帰って頂こうと思っています。

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