古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ①応神天皇陵

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■古墳を巡り、継体天皇の謎を考える①応神天皇陵■

 

 

大阪府世界遺産の百舌鳥・古市古墳群仁徳天皇陵に次いで2番目に大きい応神天皇陵に過日、高校時代の仲間と出かけた。長辺の長さは425m。墳丘の底地面積は、ピラミッドよりもまた秦の始皇帝陵よりも広大だ。姿も美しいが、一体何ゆえにこのような墳墓を作ったのか。二重の環濠は何を守ろうとしているのか。古墳はなぜ時代とともに小さくなっていくのか。朝鮮半島の南部にも点在する前方後円墳はいつ誰が作ったのか・・。などなど疑問は尽きない。

 

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僕は近年、天皇の系譜の中で継体天皇26代)に興味を持ってきた。というのも皇室の系譜は25代の武烈天皇でいったん直系の血筋が途絶え、後継者が無くなる。それで適格者を捜して、この古墳に祀られる応神天皇まで5代も遡り、そこから枝分かれした継体が福井から連れて来られて、26代として擁立される。ちなみに応神の長男(実際には4男らしい)は仁徳。継体は仁徳の弟の家系の血筋をひき、今日の皇室に途切れることなくつながっている。

でも、なんか苦しくないか。武烈が若くして死んで子が無かったからと言うのだが、それにしても5代も遡れば有資格者は数百人に広がることだろう。大和周辺にも直系男子は事欠かなかったのではと思うが、なぜ福井の辺境から呼ぶことになったのか?その理由は、自分の仕事部屋のコルクボードに貼ってある皇室系譜を見ていて、閃くものがあった。空中写真と地図は、国土交通省(つづく)。

 

美術評論家/美術ソムリエ 岩佐倫太郎