古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ②仁徳天皇陵

■古墳を巡り、継体天皇の謎を考える②仁徳天皇陵

 

こちらの写真は仁徳天皇陵。僕がまだ東京住まいだったころの記憶で、大阪出張で飛行機に乗ると、堺あたりでは機は伊丹着陸に備えて相当高度を下げ、こまごまとした市街地の上を飛ぶことになる。そのとき、機窓から仁徳天皇陵が目に入ると、森閑とした古墳の威容が間近に迫って、ハッと胸打たれるのを感じたものだった。なぜ惹かれるのか。大きさは日本の古墳の中でも一番。長さが486メートルもあって、世界遺産になるのも当然と頷けるが、大きさ以上に魅惑的なのは「前方後円」のデザイン。

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いったいいつ誰が発明したのか。巨大なテルテル坊主か鍵穴を思わせるような円と四角のシンプルな組み合わせ。ポップな雰囲気もあるが、この造形はあまりに独立しすぎて、時代をさかのぼっても類例がないし、朝鮮南端を除けば、他国にも近似例がない。歴史のある時期に現れ、衰退して廃れるのも早いので、幻のように不思議なデザインなのだ。しかも外周は、まるで荘重な鏡の額縁のように、幾重かの環濠が取り巻く。中の墳丘は今や鬱勃たる森になって、周囲の現代の家並みやせわしない交通網からは隔絶され、緑の浮かぶ島のようにも見える。ちなみにこの緑濃い森は、自然に任せてこうなったのではなく、明治20年に古墳を覆う笹を刈って、19万本もの松、杉、樫などの苗木を植えたことによる。古墳は5世紀の初めから半ばにかけての築造とされるが、ここだけは周りと違う悠久の時間が別途、保存されて漂っているようにも思えるのだ。

ところで、仁徳天皇陵と前回に書いた応神天皇陵は百舌鳥・古市古墳群の中でも、大きさで1番と2番。しかも被葬される(宮内庁の治定)仁徳と応神の2人の天皇が、親子である事をどれだけの人が知っているだろう。また、どちらが親でどちらが子かお分かりだろうか?(つづく)