古墳を巡り、継体天皇の謎を考える  ⑤鉄を運んだ海上の道

■古墳を巡り、継体天皇の謎を考える  ⑤鉄を運んだ海上の道■ 

鉄文明は朝鮮半島経由して日本列島にやって来た。それは間違いないだろう。その時期は古墳時代。ちなみに古墳時代とは、縄文、弥生時代につづき、3世紀半ばから7世紀末までの400年余を指す。青銅と鉄の伝来は日本へは時間差がないともされるが、少なくともこの古墳時代の末には、鉄が青銅をしのいで、青銅は祭司用に、鉄は農具・武具用にと、金属文明の変遷(あるいは使いわけ)があったと見ることが出来るのかもしれない。

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鉄は硬度、耐久度において青銅を遥かに上回るものだったから、鉄の農具は農作業を大幅に改善するだけでなく、水田の開拓、灌漑などに今日でいえばブルドーザーかユンボ並みのパワフルな力を発揮し、圧倒的な生産力革命を起こしたことだろう。大規模古墳という巨大な土木工事の成果自体がすでに、鉄の力の象徴と見做すことが出来るはずだ。また戦争における鉄の槍や鉄刀の威力も同様である。鉄の到来はそれ以前とは原理を隔絶する、文明上の巨大な潮流だった。

その鉄文明の恩恵をいち早く受け入れたのは、日本列島では九州北部、出雲、そして継体天皇が育った越前あたりではなかったか。というのも、日本海リマン海流が反時計回りに流れ、黒潮の分流である対馬海流と合わさって、北上する。これが鉄文明のもっとも効率的な海上ハイウェイなのだ。今でも北朝鮮の漁船が漂着したりする、あの潮の流れなのである(つづく)。

美術評論家/美術ソムリエ 岩佐倫太郎