岩佐倫太郎(美術評論家) 講演会@大阪大学のごあんない

コロナ禍も収まり、控えていた講演会活動を2年ぶりに再開いたします。テーマは「広重からモネ・ゴッホへ」。浮世絵がルネサンスを破壊して、モネやゴッホらの新しい近代美術をいかにして生んだのか。東西文化の生々しい交流の美術史を多くの画像を見ながら追体験します。また、7月からあべのハルカスで開かれる「広重展」の解説も加えて日本美に源流に迫り、美術を見る眼を広く深く養います。

 

日時  6月9日(日) 【講演会】14時30分―16時20分

会場  大阪大学中之島センター10F 佐治敬三メモリアルホール

会費  3,800円

 

どなたでも参加して頂けます。講演会会場は最大110名。満席も予想されますので、お申込みはお早めにどうぞ。満席になり次第、募集は打ち切らせて頂きます。

 

お申込 受付中!お名前と人数を記し、下記にご返信ください。お座席を仮予約いたします。  iwasarintaro.jimukyoku★gmail.com  

★を半角の@に変えてお送りください。お問い合わせも同様です。

 

お支払 振込み制にさせて頂いています。お申込み頂いたメールアドレスに、振込先の銀行の口座番号を直接お知らせします。そのあと2週間以内にお振込み頂くと、ご参加は自動的に確定いたします。

事務量を減らすため、受講票は発行せず、入金のお知らせも致しませんが、どうかご了承ください。

お振込金額;3,800円 (手数料はご負担ください)。

 

 

(以下資料)

講演会の開催にあたって下記の皆さまから趣旨へのご賛同と応援を頂きました。

 

岩佐倫太郎講演会を応援する【個人サポーター】 (50音順)

 

井口勝文   建築家 INOPLΛS 都市建築デザイン研究所主宰

川村信子   画家 アトリエ川村絵画教室主催

北澤孝太郎  東京工業大学大学院 特任教授

高城修三   作家

田久保雅己 (株) 舵社 Sea Dream編集長 海洋レジャービジネス・コンサルタント

 

辰馬朱滿子  白鷹禄水苑文化アカデミー プロデューサー

田中敏則   大阪府立住吉高校同窓会 監事(本部役員)

中島健一郎  ジャーナリスト 元毎日新聞常務取締役

中塚治徳   大阪大学理学部数学科同窓会長

原田憲一   至誠館大学前学長、比較文明学会前会長

 

日野輝和   (株)雲州堂代表取締役 (一社)茨木カンツリー俱楽部 理事

兵丹一雄   ニューアートZERO会 副会長 加藤登紀子倶楽部座長

松山たかし  象の森書房代表/編集・発行人  俳句作家

南 清璽    作家

村岡靖泰   ステンドグラス作家 GLS―M主宰

 

民間の協賛各企業による【企業サポーター】

 

これまでの小生の講演など美術活動にご賛同いただき、民間団体や企業各社様か

らも「サポーター」のお申し出を頂いています。まことに有難く、深く感謝申し上げ

ます。

ご厚志は、大阪大学ほか学生、院生の招待に充当するほか、懇親会でのワインなど

飲料の無償提供にも使わせて頂きます。社名、団体名は追って発表いたします。

 

学生無料招待枠を設けています。申込み先と同じメールアドレスでお問合せ・お申込みをしてください。事務局がお受けしてお座席を準備いたします。

 

 

岩佐倫太郎 美術評論家/美術ソムリエ (告知の有効期限2024年5月末日)

 

「積みわら」の絵は浮世絵から生まれ出た、と言うと驚かれるだろうか?

                               モネ《ジヴェルニーの積みわら、夕日》65×92cm 1888‐89 埼玉県立近代美術館

いま大阪中之島美術館で人気開催中の「モネ 連作の情景」(2024年5月6日まで)に、3月26日から待望の1点が追加されました。《ジヴェルニーの積みわら、夕日》。埼玉県立近代美術館が持つ逸品です。積みわらの円錐形のフォルムの反復は、ほのぼのして童話の絵本のような趣もあります。

僕はこの絵を見たとき、広重の《亀戸梅屋敷》の背景の色を想起せずにはいられませんでした。と言うのは、どちらの絵も背景がパステルな色帯で横に3分割され、ちょうど3色旗のようになっているからです。モネの絵のばあい、下3分の1は草の緑、中ほどは実に美しいブルーの帯。セーヌ川河岸段丘が夕靄の中に消えようとしています。そして一番上はまだ暮れなずむ空がオレンジとピンクの楽園の光芒を放っています。モネは浮世絵にぞっこん惚れ込み自身もコレクターでした。同じ画家として、広重のグラフィックなセンスに憧れ、版画の《梅屋敷》の色分割を油絵で試したものと思われます。

広重 3色旗のような《亀戸梅屋敷》北斎 瞬間の美《赤富士》北斎《神奈川沖浪裏》

ほかにも《積みわら》の絵は浮世絵の直接的な影響が見られ、一瞬の光を射止める技は、おそらく北斎の朝日に輝く《赤富士》に学び、画中の幾何学的な三角形の繰り返しは、《神奈川沖浪裏》の波に由来すると考えられます。まあ、そもそも「連作」の手法が、日本の浮世絵の発明品ではありますが・・・。

ところでロシア出身の抽象画家カンディンスキー(1866-1944)が絵描きを志す前の若いころ、モネの《積みわら》のどれかの絵を見て、何を描いているのか解らなくて、ショックを受けた話はご存じですか。我々の風景画を見慣れた眼から見ると、なぜ解らないのかが逆に解らない。「積みわらでしょ?」と言いたくなりますが、実はこのギャップに印象派を理解するヒントが隠れています。つまり、当時の人にとって絵と言うものはギリシャの神々や宗教聖人を描いてこそ値打ちがある、仮に景色を描くにしても、それは戦争などの場面の写実的な説明であるべきーー。ところが、《積みわら》は重要な人物も物語も出てこず、ミレーのように農民への思い入れもない。ただ農村の風景の光学的な断片です。構図にルネサンスラファエロのような建築的に堅固な三角形もないし、ダ・ヴィンチのように律儀な遠近法もない。ここでは絵画が現実や物語を説明する役割を止めてしまって、画家は自由な自意識のままに、(脳内の)現実をキャンバスに移そうとしています。近代が始まっているのです。そのことをカンディンスキーはおそらく忽然と悟って、後に抽象画の創始者になります。

さて、この絵をこれ以上、言葉で語るのも虚しいかもしれません。味わい方としては、何か似つかわしい音楽を頭の中に呼び起こし、音楽の感興とともに作品を無心に眺めるのはどうでしょうか。おススメは、モーツァルトのセレナード、「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」。Bing 動画 あるいは印象派音楽ならドビュッシーラヴェルの「ボレロ」なども、伝統的な作曲のテンプレートに頼らず脱・構築な創作になっている点で、モネの画法と響きあいます。試してみてください(モネ 連作の情景、3回シリーズ、完)。

 

美術講演会の予告

6月9日(日)14時30~「広重からモネ・ゴッホへ」

大阪大学中之島センター10F  佐治敬三メモリアルホール

まもなく告知と募集を開始します。

 

 

モネの「筆触分割」は、どのようにして生まれたのか? 「モネ――連作の情景」(中之島美術館)を見て

講演会の予告

6月9日(日)14時30~

(仮題) 「広重からモネ・ゴッホへ」~近代西洋美術はこうして始まった~

於:大阪大学中之島センター10F  佐治敬三メモリアル・ホール

主催:大阪大学理学部数学科同窓会 

協賛:民間企業及び講演会をサポートする有志の会 

(詳細は追ってお知らせします)

 

モネの「筆触分割」は、どのようにして生まれたのか?

 

大阪中之島美術館の「モネ連作の情景」は、予想どおり連日多くの美術ファンでにぎわっています。睡蓮、ロンドンの橋、積みわら、など連作の名作の数々が70点。僕の授業を受けた人たちには、下の《ヴェトゥイユの教会》も人気でした。この作品は、モネの描画法である「筆触分割」(ひっしょくぶんかつ)が、最も解りやすく示されている点でも貴重です。

「筆触分割」とは耳慣れない言葉かもしれませんが、印象派の画家が「平筆」で、色を混ぜずにタイルのように絵の具を並べて塗っていく手法です。絵の具は混ぜるとどうしても暗くなってしまいます。が、混色しないで違った色を並べることで、明るいままの風光が再現できます。「混色はパレットの上ではなくて網膜の上で行なわれる」(高階秀爾「近代絵画史」)という訳です。

では実際に《ヴェトゥイユの教会》の絵に超接近を試みて(係員に注意されない程度に)、「筆触分割」の様子を見ていきましょう。帯状に塗られたひとつひとつの色は意外にも、人間の眼で見たままの色ではなさそうです。たとえば川面に映る建物の影なども、モネは驚くほど明るい色を配し、暗く濁るのを抑えています。周りにも、色の帯が無造作に並んで、このままだと絵は雑然としてまだ未完成とも思えます。

ところが今度は思い切って後ろに下がって(PCの人はディスプレイから離れて)、同じ絵を見ると、あら不思議!眼前の景色は思いがけないリアルさで復元され、観る者は何か晴れ晴れとした感興さえ覚えることでしょう。これぞ我らが印象派の絵を見る愉悦です。

(参考図:今展には来てません)《ラ・グルヌイエール》1869メトロポリタン美術館 

(参考図:今展には来てません)《アルジャントウイユのレガッタ》1872オルセー美術館

さて、それでは「筆触分割」はいったいどこでどのようにして誕生したのでしょうか。今展には来ていませんが、参考図を2点掲げました。モネは印象派展を始める5年も前に、ルノワールとグルヌイエールと言うセーヌ川の水浴場を訪れ、水辺の水の煌めきをモザイク状に描き分けて、早くも「筆触分割」を始めています。その後アルジャントウイユに移住すると自信が深まったのか、「筆触分割」の技はさらに大胆になります。また、この頃に開発されたチューブ入り絵の具も、セーヌ水景の変幻極まりない姿を一瞬にして捉え定着するのに、大いに寄与した筈です。

斎 《富嶽三十六景》のうち《神奈川沖浪裏》1830‐34年頃

モネの「筆触分割」の起源は、日本の浮世絵にも求められるのではないかと言うのが、最近の僕の考えです。1867年のパリ万博の日本館で、当時26歳のモネ青年はおそらく北斎の《神奈川沖浪裏》を見たに違いない。わずか7版で刷るこの絵は、色数は限られ、版画なので混色もなく、深い青や浅い青、白などの波の色の並置が、反発しあうように煌めきあって、我らの網膜に溌剌と明るい鮮やかな光景を生みだすのに成功しています。「筆触分割」を先にやっているとも言えます。万博でそれを見たモネも、「これだ!」と激しく版画にインスパイアされて色彩分割を始めたのでは、と考えてみた次第。妄想に過ぎるでしょうか。ちなみに浮世絵のコレクターだったモネのジヴェルニーの遺邸には、いまもこの北斎の絵が残って、展示されています。

 

「モネ連作の情景」は5月6日まで

 

岩佐倫太郎 美術評論家/美術ソムリエ

 

「モネ連作の情景」大阪中之島美術館より 

《睡蓮》の向こうに、光琳の《燕子花かきつばた》を見た

 

印象派を代表するフランスの画家、クロード・モネ(1840‐1926)の連作展が、東京展(上野の森美術館)のあと、大阪の中之島美術館にやってきています。展示作品は70点で、全てがモネ。海外や日本の美術館からも傑作が集まりました。「連作」にテーマを絞った展示は新鮮で、モネ・ファンなら必見でしょう。

中でもモネの代名詞ともいえる《睡蓮》のシリーズは、見ごたえのある作品が来ています。僕がとくに注目したのは、ロサンゼルス・カウンティ美術館の所蔵する《睡蓮》です。たくさんの睡蓮の花が咲き乱れる楽園風景とは違って、これは珍しく黄みを帯びた白い睡蓮が、ひっそり慎ましく2輪咲いているだけ。僕もかねて対面したいと願ってきた作品です。睡蓮の極限まで単純化された美しさには格別な愛着を覚えます。モネの自然を見るまなざしの深さに、惹かれました。

ところで美術ファンの皆さまは、モネの印象派としてのデビュー作が散々な不評だったことをご存じでしょうね。その絵は1874年、パリの第1回印象派展に出品した《印象、日の出》。朝もやの港に、オレンジ色の太陽がヌッと出る、ただそれだけの墨絵を思わせる絵です。何の中心主題もなく、重大な登場人物も、事件もなく、タッチも粗略。西洋画のそれまでの概念を逸脱しています。これを見た評論家は、「これは絵と言うより単なる印象に過ぎない」と揶揄し、そこから蔑称的に「印象派」が生まれたのでした(ご注意:この参考画像は、今展に来ていません)。

モネ《印象・日の出》1872 マルモッタン・モネ美術館(パリ)

苦節10年と言いますが、2輪の《睡蓮》は、そこから20年以上も後の作品。ようやく世間の理解が追い付いて、経済的にも安定し、ためらいのない思い切ったフォルムの潔さは、自信の表れでしょう。ただそんな経緯など知らなくても、われわれ多くの日本人にとってモネは親密に感覚が通じ合う作家ではないでしょうか。モネは浮世絵の影響で知られますが、僕は今回さらにその奥に、光琳ら「琳派」からのインスピレーションを発見した気がしました。蓮の花は単純化されてすでに琳派模様のようで、このまま和装や漆器のデザインなどに反復利用できそうです。

モネは単純なリアリズムを突き抜け、「一即多」とでも言うべき世界に進んでいて、シンプルな象徴で多くを語っているのです。参考図像は尾形光琳の国宝《八橋蒔絵螺鈿硯箱》(やつはしまきえらでん すずりばこ、東京国立博物館)です。試みに両者を較べてみてください。琳派印象派の作品がお互いに、時代や洋の東西の違いを超えて、呼び交わしあっているようには感じられないでしょうか。

印象派は、ターナーの風景画やミレーの屋外写生の手法などを取り入れて西洋美術が自律的に発展して生まれた、との考えもあります。ただし僕が考えるに、絵画はエビが脱皮するように自力で変身を遂げることはまずありえなくて、この時のモネのように異文化との混血があって初めて、新しい生命を得るものです。印象派には、われわれ日本人の先祖の感性も、美の源流として流れていることを知るべきでしょう。

 

岩佐倫太郎 美術評論家/美術ソムリエ

「モネーー連作の情景」展は、5月6日まで

⑤モナ・リザは、ミロのヴィーナスの再来か?

ダ・ヴィンチモナ・リザ》⑤

モナ・リザは、ミロのヴィーナスの再来か?

モナ・リザは、ミロのヴィーナスを下敷きにしていたーーと言うのが最近の僕の気づきです。誤解のないよう先にお断りしておくと、ミロのヴィーナスがエーゲ海のミロス島で農夫に発見されたのは1820年。当時のフランス大使が買い上げ、ルイ18世を経てルーヴル美術館の蔵品となった。なのでダ・ヴィンチは、ミロのヴィーナスを知りません。

でも見てください!2つの画像を(モナ・リザは比較のため左右反転)。両者のポーズには、1,500年以上の年月の隔たりを超えてなおかつ、審美的に同一の原理が流れているように感じられないでしょうか?

ミロのヴィーナスはギリシャの、「ヘレニズム」と呼ばれるいちばん成熟した様式を持つ、紀元前の彫刻です。優美に見えるのは、「コントラポスト」と言って片足に体重をかけ、逆の片足はかかとを浮かせ、そこから体を捻った立ち姿をしているから。上の写真は上半身だけですが、全体としてはS字になり、顔の向きも両肩の線よりもさらに捻じられています。

一方モナ・リザは、16世紀のルネサンスの作品です。作者ダ・ヴィンチはミロのヴィーナスこそ見ていないものの、同じ時代の優れたヴィーナス像はイタリアであまた見ている筈。ギリシャ好みのダ・ヴィンチとしてはジョコンド夫人をスケッチするとき、ヴィーナスを理想図としてポーズに無理めな注文を付けたのではないか。つまり、「右肩は後方に引いて、座ったままでも腰のラインも捻じって、ただし顔(目線)は、こちらに向けて」、と。そんな想像をします。

ではモナ・リザがなぜ、半身像なのか?これは、絵のイメージをイコンのマリア像に似せたかったのが理由だと思います。ダ・ヴィンチは《受胎告知》と同様、信仰はないが宗教画を隠れ蓑に使っています。

また、なぜ肩を後ろに引き、顔は逆方向に向けているのか?ここにもダ・ヴィンチのもう一つの作画上の思惑が窺えます。上半身を斜めにして肩幅を小さく見せ、逆に肘を外に張ると、前から見たとき三角形ができる。四角い絵の中に三角形を隠して埋め込むのは、構図に盤石の安定を与え、名画の条件となるーーそんな素朴すぎることは彼は「絵画論」でも言ってないし、あくまで僕の推測に過ぎません。ただ、ダ・ヴィンチを模写したラファエロは三角構図の重大性に気づき、すぐさま自分の聖母子像に取り込んで成功したのは事実です。

また、ミラノ出身のカラヴァッジオは、ダ・ヴィンチの《最後の晩餐》などの技を継承して、バロック様式を創始します。スペインのヴェラスケスやオランダのレンブラントフェルメールも17世紀、ダ・ヴィンチの肖像の技をテンプレートのように使って傑作を産み、バロックの黄金時代を開花させます。ダ・ヴィンチの絵は、鑑賞目的で描かれたのでなく、絵画を未来に伝える設計図です。それが《モナ・リザ》と言う絵の真実です。

さて19世紀に入って印象派の先駆けコローや、ポスト印象派ゴッホもまたダ・ヴィンチの末裔と言えます。中でも極め付きは20世紀のピカソ。奔放な天才と思われたピカソが恋人を描いた傑作《ドラ・マールの肖像》さえも、僕にはモナ・リザの引用に見えて仕方ないのですが、同意いただけますか?

思うにダ・ヴィンチこそは、古代ギリシャの美と科学精神を復活させたルネサンス最大の画人にして教養人。その射程は現代にまで及び、前後2,500年の歴史をカバーする点で、美術史上たぐい稀なる巨人と評価できるでしょう。書き足らないことも多いですが、またの機会に(モナ・リザのシリーズ全5回、完)。

 

岩佐倫太郎 美術評論家/美術ソムリエ

■はじめ2回くらいのつもりが思わぬ長さとなりました。最後までお付き合い頂き、ありがとうございます。途中、皆さまからのコメントにも励まされました。できれば5月末か6月に講演会を開きたいと、ただいま計画中です。

➃モナ・リザは、なぜ顔を7:3にしているのか。

ダ・ヴィンチ 《モナ・リザ》➃

モナ・リザは、なぜ顔を7:3にしているのか。

僕は前回、「モナ・リザとは受胎告知図である」、と書きました。モナ・リザは妊婦で、「科学の時代の真実が、ここから生まれる」ことを、寓意的に表わしています。伝統画を隠れ蓑にして科学思想を巧妙にプロパガンダし、同時に科学技術としての絵の描き方(=絵画論)を、実際に教えるものです。このように考えると、いままでとは全く違うモナ・リザ像が見えてきます。

例えばモナ・リザの顔の描き方も、実は絵の教科書です。頬やあごに見られるリアルで自然な立体感は「スフマート(=煙)法」と言って、ダ・ヴィンチの大発明です。筆先で微小なドットを重ねながら、ぼかしたような膨らみを実現する技法。輪郭線と言うのは科学的には存在しないものなので使いません。

ほかにもダ・ヴィンチは、2次元に描かれた絵を立体的に見せるため、《最後の晩餐》では究極の「透視図法」を、《受胎告知》では背景の色を緑から青に変化させる「空気遠近法」をテンプレート的に示しています。

また、モナ・リザは顔を7:3にしてこちらを見ていますね。これも後世の画家のスタンダードとなる驚くべき発明です。肖像というのは、それまでローマ金貨なら皇帝の顔は真横向き、ビザンティンの宗教画なら聖人は正面、というのが相場でした。聖母子像でマリアが幼子を見つめ、幾分か顔を斜めにすることはあっても、モナ・リザのように大胆に、顔を横に振った肖像の例はまずありません。

一体なぜこんな描き方をダ・ヴィンチはしたのか?それは彼の数多くの解剖経験から来ていると僕は考えます。人間の頭部を図像で詳しく説明しようとすると、斜め上からがいちばん立体的で説明しやすい。ちなみにサイコロに例えると、真横や真上からだと、6面のうち1面しか解りません。サイコロが何たるものか画像で示すには、斜め上から3面を描いたとき、いちばん情報量が多い筈です。それと同様の理由で、ダ・ヴィンチはこの角度を選んだと思います。人間を見る視線がどこか宇宙人的です。

そのダ・ヴィンチモナ・リザを描くときの関心事は、もしかして美しい頭蓋骨を描くことにあったのでは?若いころ、《ウィトルウィウス的人体図》という名の、有名な人体の比例図を描いたダ・ヴィンチのことです。おそらく頭蓋に関しても、頭頂の丸み、顔の幅と長さ、鼻の長さの割合など、彼の中の理想の黄金比を、モナ・リザに投影したのではないでしょうか。とすれば、骨の上の容貌や表情などは、2次的な関心だったかもしれません。それでも、もしわれわれがモナ・リザの絵に何らかの威厳ある美しさを認めるなら、それは顔の背後にある頭骨のプロポーションが優れて、かつ頸骨とのつながりも解剖学的に正しいことを、直感で感知するからではないかと思っています。

今回で終わる予定が、宿題が残りました。モナ・リザの半身はなぜ斜めを向いて描かれているのか?この重大な秘密を次回、目からうろこで種明かしをします。そしてここから西洋美術史が流れ出ることを俯瞰的にお示しして、完結したいと思います。

 

岩佐倫太郎 美術評論家/美術ソムリエ

 

■西宮の蔵元、白鷹が運営するアカデミーで、月1回の講義をしています。この4月からはテーマが「日本美」。鳥獣戯画源氏物語絵巻雪舟水墨画琳派など時代順に学んで、われわれの身体に流れる美意識の伝統を訪ね、再発見するシリーズです。お問い合わせは、下記URLからどうぞ。

2024年前期 絵の見方・美術館のまわり方 いまこそ、「日本●美」に還ろう! - |生粋の灘酒 白鷹株式会社 (hakutaka.jp)

 

 

➂モナ・リザは科学の時代の聖像(イコン)である。

ダ・ヴィンチ 《モナ・リザ》➂

モナ・リザは科学の時代の聖像(イコン)である。

注文を受けたはずの肖像画がなぜ、ダ・ヴィンチの手元に最後まで残ったのか?モナ・リザは2点あったのだとか説はいろいろですが、僕のストーリーをフィクションにするとこうです。

僕はモナ・リザの夫で、フィレンツェの冨商、ジョコンドとします。事業の絹織物商は順調で、15歳の貴族の娘を後妻に迎えて、家庭も円満。妻は早くも第2子を懐妊している。この幸福を永久にとどめプレゼントにすべく、僕はミラノから戻ったダ・ヴィンチ先生に妻の肖像画を依頼します。僕が理想としたイメージは、かつて大先生がミラノ城主の美しい愛妾を描いて大評判だった《白貂を抱く貴婦人》でした。

先生が納期を守らないのは有名でしたが、ある日、お弟子さんが不意に届けに来た絵を見て、僕はギョっ!となり、思わず叫んでしまいました。「妻はこんな婆さんじゃない、それにこの不気味な背景は何?」。「嫁には見せられんわ・・」と落胆。

とりあえず「顔をもっと若く、背景はナシにして」、と修正を伝えたものの、営業センスとは無縁の大先生なので手直しは無理かも・・・。お弟子さんも残金をもらえず落胆して、独りぶつくさ絵を抱えて帰路につきます。「先生、またやっちまいましたね。頼まれ絵なのに、すぐ自説を入れ込んで描いてしまうんだから。あ~あ、今夜は飲みに行きたかったのになァ・・」―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

ところでモナ・リザは、見落としがちですが、椅子に座っています。場所はなぜか半屋外のバルコニーみたいなところ。腕を肘掛けに置いて、手を重ねています。このつつましやかな座像のポーズは何を意味するのか?立像にした方が、靴やアクセサリーなど富裕のシンボルを描けてよかったのでは。

 

 

ダ・ヴィンチ《受胎告知》1472‐75 ウフィッツイ美術館

僕はそんな疑問をもって、それ以前の《受胎告知》の著名な絵をいくつか眺めていて、大発見をしました!どれもイエスの母、マリアはポルティコ(柱廊)のような半屋外で椅子に腰かけ、体を斜め前に向けています。これって図柄はモナ・リザとほとんど同一ではないですか。するとモナ・リザもまた受胎告知なのか!とすれば大天使の役はダ・ヴィンチ自身で、モナ・リザにこう告げているのでは。「御身は神や霊魂によらず、(真実にもとづいて)人の子を身ごもった。おめでとう」。モナ・リザが当時の妊婦のかぶるベールをしているのも、符合します。

モナ・リザは似顔絵でなく寓意画なんです。これは日本にはない西洋画独自の手法で、たとえば「勝利」とか「虚栄」などの概念を人物に置き換えて、あたかも歴史画のように表現するものです。顔が誰かに似るとかは不必要で、むしろ能面のようなのが望ましい。モナ・リザに眉が無いのも没個性にするためです。この寓意画の主人公は、ダ・ヴィンチの思想に、口角を上げた微笑で賛意を示している、とも理解できます。自画自賛かな(笑)。

宗教名画のしつらえを借りて、挑発的に宗教の時代の終焉を告げるモナ・リザ。寓意の思想は「真理」、もしくは「科学の勝利」でしょう。ダ・ヴィンチは古い聖像に変わって、新しい時代を祀るイコンを創作したのです(つづく、次回最終)。

 

岩佐倫太郎 美術評論家/美術ソムリエ