古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑮継体天皇は入り婿だったのか?

継体天皇が越前から担ぎ出されて26代天皇に即位したのは、武烈天皇が若くして崩御したことに端を発する。武烈には男子も女子もいなかった。はじめ大連(おおむらじ)を務める大伴金村は、丹波にいる倭彦(やまとひこ)王を天皇候補として、使者を遣わす。ところがその時の迎えの兵の物々しさを勘違いして、「自分を殺しに来たのか?!」と恐れ、逃散してしまったと言うのである。

継体がその次に即位要請を受けるのだが、その時の様子を日本書紀で見て見よう。意訳も交えて現代文に直すと、先ず大和では大連の大伴金村が、「継体は慈愛の心があって、人物だ」と推挙する。やはり大連の物部麁鹿火(もののべの あらかい)達が、「賢者は彼くらいのものですよ」と賛同し、こうして越前三国へ盛儀の使者を派遣する。このとき継体は、既に天皇であるかのように、静かに堂々と部下を従えて待ち受け、一同を感服せしめる。先の倭彦王逃亡のエピソードは、この場面を立派に引き立てるため演出的に書かれたのか。ちなみに日本書紀は、継体に好意的である。編纂を命じた天武天皇からすると、継体は直系の先祖、王朝開祖と言う訳だから、美化して盛っているのは当然と言えば当然ではある。

 

ところで、継体はすぐには返事をしない。この辺はディール(交渉術)なのである。軽はずみな受諾をしたら足元を見られる。いったんは使節を盛大な土産とともに大和に返したのだろう。焦れた大和の豪族は、今度は継体と親交のある河内馬飼首(かわちのうまかいのおびと)を使者に立て、改めて即位の懇請をする。数日待たせてようやく、皆の真意は分かったと剣や鏡など天皇の象徴を受け取り、即位を決心。そのあと樟葉宮に進み、それでもなお受諾を固辞しながら、満場一致の推挙を確認したのち即位した、とある。

 

大和に入らず樟葉にとどまったのは、危機意識だ。基本的に継体は大和の豪族たちを信用していない。歴代天皇の権力争いや暗殺に関与し、折あらば寝首を掻きかねない油断ならない連中だ、と思っている。

 

我が身と一族のより安泰を確保するために、継体が重ねて打った手は、婚姻による血統の純化だ。即位後ただちに先皇武烈の姉である手白香皇女(たしらかのひめみこ=系統図の赤字)を皇后に迎える。妹という説もあるが、いずれにせよ父は賢仁天皇で仁徳の直系、母は仁徳系が枝分かれした雄略の血を引く。つまり系統図でご覧いただくように、手白香皇女は応神以降の正統極まりない血を一身に集めている。地方に土着した傍系皇族の継体にとって、自らの皇統の血を本流に近づけて純化するには、彼女を皇后にするのが不可欠だった。

 

f:id:iwasarintaro:20210726162402j:plain

思うに継体が即位を渋ったのは、「僕なんかでいいのでしょうか?」と言った謙遜ではなく、実際は手白香との婚儀を即位の条件として突きつけたのではないか。大和の豪族さんよ、その御膳立てが出来るかね、できるなら要請が本物だと認めよう、と。「血の純化」も重要なドクトリンなのである。事実、自分の息子でのちの安閑・宣化天皇にも、皇后には仁賢の皇女の姉妹を娶らせ、豪族の血を遠ざけている。サザエさんのマスオさんの様なホンワカした「入り婿」的な存在ではなく、婚姻は一族の生き延びを賭けた究極の選択だった(つづく)。