(古いFACEBOOKのNOTEを再録)美術館の散歩者  【世田谷美術館】白洲正子 神と仏、自然への祈り 東京展1/2  

(2011・5・6作成)

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やはり桜が満開のこの季節、34年前のこと、同じ世田谷美術館で「青山二郎の眼」展が開かれ、稀代の数奇者、あるいは究極の遊民ともいうべき青山二郎の恐ろしいまでの審美眼にかなった美術品の数々が、光悦の蒔絵から中国陶磁、木喰の地蔵菩薩に至るまで一堂に展示されました。

  

まるで美のあらん限りの狼藉。ぶつかり合い挑発し合うキュレーションの妙に、僕らは陶然となったものでした。その時モノクロの大ぶりな写真パネルが展示されていて、そこには青山二郎小林秀雄が写っていました。

 

青山二郎は青山学院ともいわれ、小林や白洲正子をはじめ、文人たちに骨董の手ほどきをしたことでも知られていますが、その写真が面白いのは、文芸批評では当時飛ぶ鳥をも落とす勢いの小林が、青山の前で何やらかしこまって困惑した子供のような表情で、茶碗だかを眺めている様子。いっぽう青山と言えば、その後方に座って、嬉しげにニコニコしています。

 

 「小林君、お前さんは言葉に頼って、美を判断しようとしているが、言葉がないとわからないというのは、まだ小僧さんだよ!」などと言ったかどうか。ともかく、そんな消息を見事に伝える、いい味わいの写真でした。土門拳でしたかね。

 

   

ところで、小林の娘と白洲正子・次郎夫妻の息子は結婚し、白洲信哉が生まれます。最近メディアにも時々登場しているハンサム・ガイです。今回の企画展ではキュレーターを務め、おばあちゃんの世界観を孫として引き受けて、立体展示しました。入場者はまず最初は那智大社130メートルを越える大滝の映像の世界に招じ入れられます。

 僕も白洲正子が多分そうであったように、時を忘れてご神体の滝を眺めていました。そうするとどうしたことか、何やら朗らかで愉快な気持ちが沸き起こり、その気持ちを禁ずることができませんでした。

 

ふつう滝などスピリチュアルなものは、何となく重い雰囲気のシリアスなものになりそうに思うんですが、この時僕の心に生成した晴れやかな軽い気分は不思議でした。それはこの世界の輪廻に直接触れ、根源的なものを直感的に眺めたとき、我々がひきおこす気分の高揚でしょうか。ならば、インディアンもマオリもこんな直観を得ていたのではないかとも思いました。

                        

白洲正子があの世界に呼ばれた、原点ともいうべき世界をまず提示して、展覧会は観客を白洲の旅の世界にいざないます。実際、滝のある青岸渡寺は、西国三十三カ所の一番札所。我々もまた白洲とともに、もっとも日本を正しく旅した人の足跡を、絵画や十一面観音像などを訪ねつつ、追体験することになるのです(この項続く)。

                   

 【世田谷美術館白洲正子  神と仏、自然への祈り  東京展 5月8日(日)まで