(古いFACEBOOKのNOTEを再録)美術館の散歩者【世田谷美術館】白洲正子 神と仏、自然への祈り 東京展2/2

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(2011・5・7作成分)

 

日本人は仏教という舶来文化を受容して、ソフィストケートされ過ぎたきらいがありますが、仏教以前の日本人の精神の原型は、けっこう陽気で猥雑で爛漫だったのではないでしょうか。滝の映像を見ていてそんな気がしてなりません。

 

さて、この展覧会、那智の滝を拝んだら、次に見るべきは河内長野金剛寺の六曲一双の重文、「日月山水図(じつげつさんすいず)屏風」でしょう。室町時代の作とあるのですが、ニギッとしたバサラな気分も横溢して、すでに桃山の絢爛豪華を予兆させるものがあります。また、その後の光悦、光琳や江戸琳派の流れ、横山大観などもすでにここに含まれていて、那智の滝ではありませんが、日本の絵画のすべてが流れ出す源流を見る思い。日本の絵画史上、ちょっと桁外れの名画とも言える重要な1点です。

                     

ところで白洲正子にとって仏像と言えば、十一面観音。「十一面観音巡礼」は彼女が65歳の時の紀行本ですが、一昨年あたりからボチボチ仏像巡りをする我が身にとっても、いいガイドになっています。なんと4歳でお能に目覚めたという彼女の、変な言い方ですが憑依力というか、言葉をすっ飛ばして対象に直観的に没入する能力が、自由にあの世界への往還をなし、美と永遠を思慕する旅の魅力を潔い文体で伝えています。

 

今回の展覧会、本の構成に忠実によくぞ集めたり、と感心するばかりなのですが中でも必見は、法隆寺の十一面観音立像。さすがというべきか押しも押されぬ重文。隣には三重県の観菩提寺の太い鉈で刻んだようなやはり重文の立像が。この辺りが今展のビジュアル的な見せ場でしょう。

 

僕が思う十一面観音立像の魅力は、異国的な呪術性や物語り性もさることながら、いまにも動き出さんばかりに見える静の中の動のみなぎりです。3Dもアニメもない時代に、仏師は根源的欲求として像を動かしたかったのではないか。また、そういう気配があるのが僕にはいい仏像です。

 

また、神像も含め「座像」にいいものが多いのも、今展の魅力。話は変わりますが、白洲の写真を見るととてもおしゃれなスカーフをターバンのように卷いていたりします。これらのブランドはすべからくミッソーニだったとか。彼女の審美眼は、ヨーロッパのブランドの本質的な価値も見ぬいていたのでしょう。砧公園に桜が散るその日、国宝重文の含有率も高く、手抜きのない充実した美術展を見て満たされた気分で帰路に着きました。同時にこれからの人生の時間割に中に、仏像巡りが動かしがたい必然のように、テーマとして大きく浮上して来る予感を抑えることができませんでした(この項、完)。