(2013年5月FBのNOTEへの投稿を再録) ヴェルディ「椿姫」を聞く

ヴェルディ「椿姫」を聞く
 

■音楽NOTE

 

CDプレーヤーが壊れて、新しいのを購入するまで、引っ越しの前後1か月ばかり音楽なしで過ごした。それだけに音楽に渇望していて、YAMAHAのプレーヤーが届いた時はうれしかったですねえ。音源はCDだけでなく、USBやサーバー、ネットラジオにも対応する。これまでため込んだCDも聞きたいし、PCオーディオも視野に入れたいわが身にとって、過不足のない製品。ファサードのアルミの梨地仕上げも上品、エッジや角の微妙な処理が端正で美しい。

 

早速、結線して真空管アンプを点灯する。さあ、最初に何を聞くか。じつはこれはもう心に早くから決めていたCDがあった。イタリアオペラ、ヴェルディの「椿姫」。僕の愛聴盤は、テノールディ・ステファノ。ソプラノがステッラ、指揮はセラフィン。

 

誰しも自分の音楽史には思い入れがあるでしょう。青春の記憶と重なってますから。僕の場合は29歳の時、日曜の朝、琵琶湖のヨットのクラブハウス。ラジカセ(懐かしい!)から流れてきたマリア・カラスの天上的な美声に心奪われ、すっかり籠絡されたのでした。

 

さてCDがトレイに乗って本機に取り込まれ、ややおいて清澄な聞き覚えのあるメロディが流れ始めた。悲劇なのでレクエイム的なメロディです。「椿姫」は美しい娼婦と貴族のお坊ちゃまの道ならぬ悲恋の物語。世の常として、父親は世間体から二人を引き離そうとする。愛する男への忠義立てで、娼婦(ヴィオレッタ)もいったんは身を引くのだが・・、と曲折があって、結局二人のわり無い仲が許されたときはすでに遅く、ヴィオレッタは肺病を病み、死の床で別れを告げる。

 

江戸の歌舞伎でもここまでやるか、とも思えるコテコテのお涙もの。原作はフランスの「三銃士」など書いた文豪デュマの息子。まあ、それだけにドラマツルギーもしっかりしている。またヴェルディの音楽的な構成も破たんがなく、その中に名曲が王冠の珠玉のごとく散りばめられ、コーラスも実に重厚でドラマティック。改めてヴェルディの華麗な天才ぶりに賛嘆の念を覚えた次第。

 

テノールディ・ステファノはあふれんばかりの天賦の才を存分に発揮し、純真にして無垢、かつ陽性。多情な官能性は隠しがたく、青年の一途な恋を歌うにはうってつけ。ソプラノのステッラは、同時代のカラスほど技巧は弄さないが、天声の美麗とでもいうのか、けなげで品位のある声質。セラフィンはヴェルディの特質をよく心得た老練な指揮ぶり。

 

部屋が変わったせいかどうか、東京で狭い地下のオーディオルームで聞いていた時より遥かに音像がしっかりして、眼に見える。その点は会心の欣事。まだ人生先は長いだろう。夜は読書に変えて、音楽の官能の世界に遊ぶのがこれからの楽しみになりそうな予感がしています。(20130511)