(2015年のFBのNOTEを再録)Maria Callas マリア・カラス 伝説のオペラ座ライブ  その1

Maria Callas マリア・カラス 伝説のオペラ座ライブ  その1
 

 

家の近くの駅ビルに、5スクリーンの小ぶりなシネコンが入っていて、まあハリウッドの娯楽大作のようなものはやらないが、文芸路線と言うか、渋めのプログラムを組んでくれるので重宝している。先日、マリア・カラスのライブ・ドキュメントがかかっていたので出かけてみた。

 

映画は1958年12月、カラスが始めてパリのオペラ座にデビューし、ガラ・コンサートを行った時の記録。ぼくもこれまでファンである彼女のCDやLPは何百回と無く聞いているが、ライブ映像は始めて。

 

この時のマリア・カラスは、まさに30歳台半ばの絶頂期。ミラノのスカラ座やニューヨークのメトロポリタンでのデビューを相次いで成功させて、世紀の歌姫との評判は上がるばかりの頃だ。パリの聴衆も一度はその伝説の歌声を聴き、ひと目その姿を見んものとガルニエ宮オペラ座に詰めかける。映像に映った当時のパリのセレブリティたちは、フランス大統領始め、僕が顔を知ってる範囲でも映画俳優のブリジッド・バルドー、チャップリン、歌手のグレコ、詩人のジャン・コクトーなどなど。まことに華やかな雰囲気のなかでガラは始った。

 

舞台は、ヴェルディの序曲が済むと幕が上がり、いよいよカラスが登場する。男女のコーラス隊を扇状に背後に従えて、イタリアの作曲家、ベッリーニの傑作「ノルマ」を歌い始める。カラスの至純極まりない声。中でも2曲目の「清らかな女神よ」(Casta Diva)は彼女がその後も得意中の得意とした曲目で、「ノルマ」の中にあっても名曲中の名曲だろう。

 

物語は紀元前50年頃、シーザーのローマ帝国支配下にあるガリア地方。カラスの役どころは進駐してきた敵のローマの現地司令官と通じてしまうドルイド教の巫女の長、ノルマ。司令官は、ありがちなことではあるが、若い巫女に浮気して、子供まで作ったノルマを捨てる。ところがローマ帰還寸前に、司令官は捕えられる。こうなるとノルマは苦悩する。恋人を助けたい。でもそうすると恋敵の若い巫女を助けることになる。司令官からは若い巫女の助命を嘆願される。しかし巫女のリーダーとしての自身の立場もある。子供を危険にさらすわけにもいかない。自分が罪人として身代わりに死のうか?切羽詰ったノルマの苦悶はいよいよ激しく募る・・・。

 

さてこのときに歌うのが、「清らかな女神よ」である。追い詰められた彼女が、天上の月の女神にたいして、もうこれ以上ない穢れなき声で、救いを切々と乞い願う。僕は曲を瞑目して聴いているうちに、地上で祈ったはずのカラスの歌がいつしか天にのぼり、今度は霊妙なる歌声となって、滋愛に満ちた慰めの雨粒となって降り注いで来るのを感じた。清いだけではない、崇高さやえも言われぬ気品が一体となっていて、歌神(ディーヴァ)は確かにオペラ座に、そして宝塚のシネコンにも降臨したのである。僕も久々の彼女の、神が憑依したといってもいい美声に思わず落涙しそうになったのだが、広くも無い映画館では、ハンカチを目に当てる人がいたことも事実だ。

 

早くもこの出だしで、パリの人々もカラスに心を鷲掴みにされたことだろう。ギリシャアメリカ人の歌がどれほどのものか、と皮肉な気持ちで待ち受けていた誇り高いパリジャンもいただろうが、脱帽の思いだったはずだ。映像からは熱狂した当時の観客のようすが伝わってくる。ブラボーに加えて讃嘆の声のかたまりのような大きなどよめきが劇場を支配する。カラスは声質の美しさで合格したばかりか、オペラの役どころを的確に表現し、感情移入によってオペラがドラマとして陰影深く楽しめることを表現して見せたのである。

 

ついで、歌ったのはこれもイタリアのオペラ作曲家、ヴェルディの「イル・トロヴァトーレ」。中でも最も甘美でメロディラインが美しいと思われる「恋はばら色の翼に乗って」はおそらく聴衆を打ちのめしたことだろう。じっさい、この日のカラスのできばえは出色だった。彼女は愛する恋人のために死ぬ、といった曲はことさらにうまいし、もう右に出るものは誰もいない。曲が終わって、ブラボーの声があちこちで飛ぶ中、まだじっと立ち尽くすカラス。歌の余韻に自身もまだ耐えかねて、どこか涙を必死で抑えている風情もある。こんな姿を見ると、僕ならずとも彼女を愛してしまうのではないでしょうか。

 

大きな劇場の興奮したどよめきが続く中、舞台はいったん幕を下ろして休憩に入る。そして後半、僕は映像を見てはじめて分かったカラスの驚愕の才能を見せ付けられることになる(長くなるので、分割してつづく)。