Maria Callas マリア・カラス 伝説のオペラ座ライブ  その2

Maria Callas マリア・カラス 伝説のオペラ座ライブ  その2
 

 

彼女との運命的な出会いは、忘れもしない僕が29歳の夏、琵琶湖でのことだ。ヨット仲間と前夜からいつものロッジに泊り込んでいて、朝ラジカセをつけると、高音域の女性の歌声が流れ出てきた。その声は美しいというにはあまりに気高く、天から降ってきたのではないかと思えるほど霊妙だった。二日酔気味でまったく無防備なところに、天啓のように彼女は立ち現れたのである。僕の背中をゾワっとした戦慄が駆け上り、ついで雷に打たれたようなショックを受け、金縛りにあってしまった。それがどれくらいの時間だったか、わからない。曲が終わるとラジオ番組のアナウンサーは「マリア・カラスのノルマをお届けしました」と告げた。僕はすっかり彼女の声に篭絡されてしまっていた。

 

今になって思えば、ずいぶん遅い、一方的な出会いがしらの恋愛だったと思う。彼女はこの1ヵ月後には世を去ってしまう。それでもその後、イタリア・オペラのLPなどを買いあさり、彼女をディーヴァ(女神)とひたすら賛美し、僕の微熱状態はなおも10年以上は続くことになる。忘れがたい青春の音楽の思い出は、まあ誰にでもあることだろう。話をパリのオペラ座に戻そう。

 

休憩をはさんでの後半、この日圧巻だったのは、プッチーニの「トスカ」第2幕の上演だっただろう。聴衆はさらに熱狂し、奇跡のようなディーヴァの登場にすっかり心を奪われてしまっている。映画はイタリアオペラの代表作とも言うべき悲劇を2幕すべてを記録していて、30歳台の絶頂期の姿を伝える貴重な映像となっている。

 

物語の舞台は1800年6月、イタリアのローマ。恐怖政治を行う王政派に共和派が抗戦する統一前のイタリア。美貌の歌手、トスカに目をつけた王政派の警視総監スカルピアは、彼女の恋人を逮捕し、見せしめに激しい拷問を加え、トスカが自分に身を任せれば恋人を釈放しようと持ちかける。さもなくば、男は死刑だと攻め立てるのである。貞節と恋人の命の引き換えを迫られ、権力を持つ漁色家の横暴の前に進退きわまったトスカ。

 

ここで第2幕中最高の名曲、「歌に生き恋に生き」が歌われるのである。有名な曲なので、単独で歌われたりして、ご存知の方も多いだろう。この曲の美しさはたとえようもない。「歌に生き、愛に生き、人を助け、信仰に忠実に過ごしてきた私が、主よ、なぜこのようなひどい仕打ちを受けなければならないのですか」とカラスは絶望のどん底で切々と歌いかける。もう最後は泣いているようにしか聞こえない。観客も思わずもらい泣きする、そんな入神の演技だ。

 

ソプラノはカナリアのように美しく囀ればいいと言う時代もあっただろうが、ここでカラスが、ドラマティコといわれる声質で演劇性を深く掘り下げた。それによってオペラが声のディスプレイのショウではなく、演劇であることを改めて感じさせてくれるのだ。

 

このあと恋人は処刑のため引き立てられ、トスカと彼女を我が物にしたい警視総監のスカルピアの二人が残される。舞台は一挙に殺人の密室劇となる(またしても長くなってしまった。ここまで読んでいただいた方、有難うございます。続きは次回。これで終わりたいが・・)。