Maria Callas マリア・カラス 伝説のオペラ座ライブ  その3(最終)2015年5月FACEBOOKのNOTEの再録

Maria Callas マリア・カラス 伝説のオペラ座ライブ  その3(最終)
 

 

歌舞伎などでもそうだが、舞台を締めるには悪役が良くなければならない。存在感たっぷりに憎々しいまでに悪の論理を振りかざし、非道な凄みある行動をする役柄が必要だ。そうしないとお姫様も王子様も引き立たず、芝居としての重心が定まらないのは、洋の東西を問わず同じである。

 

ちなみに、「トスカ」の悪役スカルピアは、ゴッビというバリトン歌手が勤め、実に好演している。僕も映像では初めて見たが、大きな鉤鼻といいでっぷり太った体格といい、権力をかさに漁色する悪代官役にはぴったりだ。 容姿以上に、この人は声もいいし、何より芝居上手なのである。特に目の使い方がうまい。トスカを脅すときの凶暴な目の輝き、あるいはトスカの体を獲物のように、欲望に満ちて撫で回すときの目線。記録映像のアップのおかげで舞台のドラマツルギーの濃さが、息苦しいまでに伝わって繰る。

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さて、警視総監スカルピアはトスカといまや密室で二人きり。その前に、トスカの恋人を絞首刑から銃殺に変えると宣言し、驚くトスカに「なに、空砲の見せ掛けの処刑だ」といい、部下には「例のようにやれ」と指示して部屋を去らせておいたのだ。恋人の命が救われるなら、もはやスカルピアの言うなりに身を任せるしかないのか!?チェスか将棋のように、敵は着々と駒をつめて迫ってくる。それも猫が捕まえた息も絶え絶えのネズミをもてあそぶように。苦悩する絶体絶命のトスカは最後の知恵を絞り、恋人と国外へ逃げるための通行証を要求し時間を稼ぐ。スカルピアは欲望を遂げたい一心で書記用のテーブルで紙に羽根ペンを走らせる。

 

その次の瞬間だ!惨劇に満ちたこのオペラの最大の見せ場が訪れるのは。 トスカはスカルピアが食事を食べかけていたテーブルの上に、鋭利なナイフがそのままになっているのを発見するのだ。 殺意と言うのは、この例でも見るようにわずか1秒もあれば起きるものなのだろう。それまで無垢で神を信じ、身を正して生きてきた歌手が、恋人を助けて生きのびたい一心で、思いもしなかった殺人を一瞬のうちに決意する。神を裏切るわけだ。この心理の動きをカラスも見事に表現して、見るものにゾクっとした戦慄を覚えさせる。

 

震える手でナイフを手にとり、背中に隠し、さあこれで、と通行証を持って喜色で寄ってくる男の左胸を深々とナイフで突き刺すのである。この間、歌は一切ない。観客はあらかじめわかっていたにもかかわらず、この密室の惨劇を息を止めて目撃させられる。僕も胸を万力で締められるように苦しく、できれば映画館の外に逃げ出したいほどだった。現代劇としてもとても優れている。

 

さて、幕が下りても、割れんばかりのコールが続く。カーテンの間から、カラスがゴッビと手を取り合って現れたとき、僕はうっかりお芝居であることを忘れて、「敵味方が手をつないでいる」と怪訝に思ってしまったほどだ(笑)。まあ、それくらい没入していたんだろう。この日、カラスの曲目も構成も完璧、歌の出来も上々だった。ソプラノとしてドラマティコの本分を見せつけた上に、女優としても並外れた才能が有ることを存分に示した。パリ・デビューを成功裡に果たしたというだけでなく、オペラ史上に金字塔となる一夜を刻んだといっていいだろう。

 

最後に、このときは上演されなかった第3幕のことを少し。トスカの恋人は実は見せかけの銃殺ではなく、こめられた実弾によって処刑されてしまう。当然ながら助けようなどといった気持ちはスカルピアにはハナから無かったのだ。悔やみきれないおのれの浅慮!トスカの後悔と絶望はいかばかりだろう。その間にもスカルピア殺しで、捕縛吏が屋上の刑場に上がってくる。トスカはもはやこれまでと、サンタンジェロ城からわが身を投げるのであった。この砦のような城はいまもローマのテヴェレ川に面して、サンピエトロ大寺院の至近に現存する(この項、完)