ショパンのピアノ・ソナタ第2番を聞き比べる(2018年2月FBのNOTE投稿分を再録)

ショパンのピアノ・ソナタ第2番を聞き比べる
 

 

 【ノート◆ショパンにまつわる長文】2019・02

 

 2015年の、つまり最新のショパン・コンクールの優勝者である、韓国人ピアニスト、チョ・ソンジンの今年1月のシンフォニー・ホールでの公演には、僕も忘れがたい感銘を受けた。とくに個人的には、後半のショパンのピアノ・ソナタ第3番の演奏が素晴らしかった。この第3番はショパンの中でも気力体力の充実した時代の、ある意味ショパンらしからぬ晴朗かつ堅牢な構築性を持った究極の名曲だと思う。ショパン特有のキャッチ―な泣き節と言うか演歌的なメロディー・ラインはほとんど影を潜め、ピアニストは取り付く島がなくて演奏に困るのではと、素人は余計な心配までしてしまう。

 

 ところが、チョ・ソンジンのばあい、ショパン・コンクールで優勝しただけのことはあって、その時と同様、この難曲を作曲家へのリスペクトを怠らない悠然たる透明な演奏でショパンの精神をインタープリートしながら、いつの間にか自分の力量を浸透させ、ついにはショパンの魂にじかに触れるようなところまで聴衆を連れて行くのである。今のショパン・コンクールは、ヴィルトオーソ(名人芸)的な演奏ではファイナルに残れず、このチョのような演奏家としての立ち位置が求められているように僕には思える。この夜のチョは、それだけでなく、活動拠点をパリからベルリンに移し経験も精進も積んだのだろう、曲の解釈にも自信があふれていて、大阪の観客は僕も含めて、まだ23歳と若いピアニストの支配下に快くひれ伏したような次第なのだ。

 

 そうこうしていると、広島の三原でチョを聞いた僕の高校同期の楽友からも、「凄かった、神が降臨した!」と感激冷めやらぬメールが来た。それによると広島でも同じ曲目だったらしく、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」の提示部でいきなり心を鷲づかみにされたまま後半のドビュッシーへ移り、さらにショパンのピアノ・ソナタ第3番に進んだというのだ。ここでも余りの圧倒感に演奏が終わってもしばらくは聴衆は拍手をするのを忘れていて、ようやく我に返って時間差の大きい拍手が始まったのだそうだ。まあ、こんなことがあるから、コンサート通いはやめられず、性懲りもなくホールに足を運ぶんだけれど。

 

 前振りが長くなったが、いよいよピアノ・ソナタ第2番の話題に進ませて頂く。この曲は、チョのこの前のジャパン・ツアーでは弾いていないので念のため。ショパンのピアノ・ソナタが3曲しかなく、しかも1番は習作的なものなので、実際にショパンを代表するソナタは第2番と第3番なことは音楽ファンの方はよくご存じだろう。僕も第2番は沈鬱なメロディの「葬送行進曲」と呼ばれる部分が記憶にあるだけで、全体はよく知らない。ともかくチョの第3番がコンサート会場であんなに素晴らしかったので、ついでながら彼の第2番をyoutubeで聞いてみようと翌日から検索を始めてみた。だがなかな出てこない。ネット情報のおかげで、第3楽章だけが1837年に出来上がっていて、その2年後に、前後に3つの楽章を付け加えて、4楽章のソナタ形式の曲にしたと言うことが分かった。確かにいま全体として通しで聞くと、第3楽章だけが無理に象嵌された感じも否めない。

 

 その第3楽章の特異性を文章で語るのは難しいところもあるが、ともかく、いきなり低音部の、それこそ死神が地獄から行進してくるような不穏な二つの音の繰り返しで始まる。この足音のような二つの音は全体を通しても流れ続け、全体の基調音となっている。ところがである。この楽章での展開部においては、暗さとは裏腹なショパン特有の華麗なる激情がほとばしり出て、ロマンティックな盛り上がりを見せるのだ。多くの解釈は、これは死に対す恐れの表現とか、悲しみの咆哮であるとされる。

 

 さあ、ここから僕が通例の理解に違和感を感じるところなんであるが、この華麗な激情の吐露をどう見るのか?本当に「死の恐れと悲しみ」だろうか。いったい誰の死を悼んでいるのか、その前後の年譜を見ても誰か特定の近親者の死があったわけではない。それで、これは大国ロシアに蹂躙される祖国ポーランドの悲しみを謳いあげたもの、と言うまことしやかな解釈もよく流布しているが、どうだろう(ロシアに対するポーランドの独立蜂起はだいぶ前の1830年に起こり、鎮圧され失敗に終わっている。すでにショパンは「革命」と題す練習曲も作っているではないか)。また、これもネット情報だが、ショパンは題名に「葬送行進曲」などとつけていない、たんに「行進曲」としただけだと言うことも判明した。

 

 となると、いよいよ僕はこの曲を、弾き手も聞く方も「葬送」の言葉に引きずられて何かレクイエムのように誤解してはいないかと思い始めてきたのである。僕がこの曲の展開部の華麗なる激情のほとばしりを聞いて感じるのは、「鎮魂歌」や「葬送歌」どころかむしろ、「恋歌」であると思うのだ。葬送歌もしくは鎮魂歌と、恋歌では真逆だ。

 

 念のため、この第3楽章を作った1837年前後の年譜を調べてみた。この年は、ショパンにとってどのような年であったか。彼は27歳、音楽界で成功を遂げ、ドレスデンに住むポーランド貴族の自分より10歳ほども若い娘に求婚していたが、ショパンの病弱な健康状態を気遣う相手の親から結婚に反対されて破談になった年である。そんな折にリストの愛人から紹介を受けたのが、男装の麗人にして小説家のジョルジュ・サンドだった。始め、ショパンは彼女のことが気に入らなかったらしい記録があるのだが、翌年の1838年には、もう二人は世間の目から逃れるようにして地中海のマジョルカに逃避行をしている。と言うことは1837年中に二人が恋仲になったと見ることもできるだろう。もしそうならば、6歳年上の大人の女性を初めて愛したショパンの純で一途な恋心がこの部分に現れていると見ることはできないか。二人はその後も親密な関係を維持し、ショパンの数々の名作も多くは彼女のフランスのノアンにある別荘に滞在して書かれている。のちにピアノ・ソナタ第2番としてまとめられたこの曲も、また数年後に生まれる第3番も、例に漏れない。

 

 そうなると、第3楽章の出だしからずっと流れる「不吉な死の足音」のような基調音は何かということになる。僕はこれは確かに、ショパンの自分の死への恐れであると思う。と言うのはもともと体が弱く、26歳の時にも喀血を見ているから、おそらく肺病だったのだろう。もうこれ以上ないと思われる愛を得ながら、それが明日には自分の死によって失われるかもしれない・・。恋愛の初期の絶頂期にありがちな、愛を失う畏れをショパン特有の過剰な空想癖で満たして、燃え上がるような喜びと背中合わせの、自己憐憫とともに表現したのが、この出だしから始まる足音のようなメロディではないか。

 

 ちなみにこの曲の第3楽章に続く第4楽章の曲風も、一風変わっている。僕は好きなのだが、まるでフリー・ジャズのような現代性をもった脱・構築の作曲法なのである。第3楽章の自分の思い入れを、照れるかのように混ぜっ返し、解体と自己韜晦を試みているのではないかと僕には思えるのである。次の時代が早くも紛れ込んでいる、ともいえる。

 

 まあ、そんなことをあれこれ思いつつ、youtubeチョ・ソンジンのが見つからないまま、いろんなピアニストのピアノ・ソナタ第2番を、とくに第3楽章に聞き耳を集中して聞いてみた。ぼくの好きな辻井伸行もちょっとここでは大人しいかな。では、リストのハンガリー狂詩曲を実に生臭く埃っぽく弾ける女流のアルゲリッチはどうか、と期待して見たが、そうでもない。ホロヴィッツも解釈は葬送のようだ。そして、中国のユンディ・リを聞いたとき、僕はやっと自分の好みの解釈のピアニストに出会ったと思ったのである!彼の第3楽章の展開部(サビの部分)の弾き方は、断然きっぱりと情熱的で、他のピアニストとはこの部分では全く違っていた。ユンディ・リの才能に初めて気づいた思いだ。

 

 ところでユンディ・リは2000年の第14回ショパン・コンクールの優勝者で、チョが優勝した17回目のコンクールでは審査員を務めるまでになっている。審査の途中で欠席したりして何かと話題に事欠かないが、この一件でぼくの好きなピアニストの一人にランクされた。僕はもし彼に会って質問することができたら、聞いてみたいと思うのだ。第3楽章をどんな気持ちで弾いているのかと。ひょっとして彼は恋の名手かもしれないなとも思うのである。

 

 チョのピアノ・ソナタ第2番もようやく見つかった。なんのことはない、灯台下暗しと言うのか、前日公演会場で買い求めたショパン・コンクール優勝のCDのなかに入っていたのだ。まことにおマヌケではある。それを袋から出したのはいいが、いきなりPCで、いかにアクティブ・スピーカーにつないでいるからと言って、デスクトップで聞くのはさすがに憚られた。それで別室の大型のオーディオで試聴して見た。さすがにピアノの音の響きは全く別物だ。ハンマーで叩かれた鋼鉄の細いロッドが、即物的な金属音を発したのち振動して震え、音はやがて減衰しながら空間に消えていくのがよく判る。それを美しい音色と取るのは脳の働きがなせる作用だ。僕はサビの部分にことさら耳を立てて曲を聞いてみたが、いかにも全体にチョらしく、おっとりと弾いている。それだけに葬送とも恋情とも判別しがたいが、前者と理解して弾いていると見るのが普通だろう。ま、僕の期待とは少し違ったが、まだこの時は21歳の若者だ。コンクールの予選を通るためにも慎重な表現をしたのかもしれない。あと十数年もすれば、この若者も間違いなくピアノのマエストロになっている事だろう。その時もう一度、ショパンのピアノ・ソナタ第2番を聞いてみたいものだ。

 

◆後記◆書き始めたらずいぶんと長い4千字を越えるノートになってしまいました。自分の現時点での私的なメモであり、また僕の楽友たちへのメッセージのつもりではありますが、最後まで読んでくださった方がいたら、本当にありがとうとお礼申し上げます(2018・02・19)。

 

ユンディ・リ ショパン ピアノソナタ第2番→https://www.bing.com/videos/search?q=%e3%83%a6%e3%83%b3%e3%83%87%e3%82%a3%e3%83%aa%e3%80%80%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%91%e3%83%b3%e3%83%94%e3%82%a2%e3%83%8e%e3%82%bd%e3%83%8a%e3%82%bf2%e7%95%aa&view=detail&mid=520F6CBD29DFC5DA37D9520F6CBD29DFC5DA37D9&FORM=VIRE