【オペラ日記】メリー・ウィドウ 2021年8月@兵庫県立芸文センター

【オペラ日記】
趣味のオペラ鑑賞も、昨年いらいのコロナ禍で機会が限られる。CDなどを聞いて無聊を慰めていたが、ようやくライブに出かけられたのは昨年末、シンフォニーホールで行われたガラ形式の「紅白オペラ合戦」。関西財界が文化振興にと例年力を入れている。ぼくの贔屓はソプラノの並河寿美(ひさみ)さんで、3年まえ堺の「フェニーチェ劇場」が開館するときに事前に音響実験が催され、そこにピアノの反田恭平さんらと一緒に彼女もやってきて、みごとな「蝶々夫人」を披露したのだった。
 
それを聞いて、僕はすっかりファンになってしまった。ともかくスケールが大きくて説得力がある。歌手は普通ならディテールを積み上げて、それをつないで全体を高めていこうという方法論を取るのかと思うが、彼女の場合、まず全体のデッサンが優先してしっかりしている。この人の個性は、欧米でも中国でもどこでも通用する、ユニバーサルな表現力や伝達力を持っているぞと大いに感心し、しばらくは彼女が歌う先々へ追っかけのようなことをしていた。その並河さんが、今年7月、兵庫県立芸術文化センター(西宮)恒例の佐渡裕芸術監督プロデュースの喜歌劇「メリー・ウィドウ」(陽気な未亡人)で、主人公のハンナを演じるのを知って出かけた。

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この喜歌劇(オペレッタ)は、1900年ごろのパリが舞台。東欧の小国で大富豪と結婚して未亡人となった主人公が、パリに出て蕩尽して派手に遊び暮らす。もしフランス人とでも再婚されたら、遺産はみんなフランスに持っていかれ、財政の台所の厳しい小国にとっては一大事。パリ駐在の大使としては、何とか未亡人を同国の男と再婚させたい。そうだ、大使館員のお前、彼女の心を射止めなさいと命令を下すーーとまあ、そんな金と色の絡んだ笑劇が、よくこなれた日本語のセリフで、美しい舞台美術を背景に無理なく展開し、歌手たちの美しい美声が宝石のように象嵌されていく。
 
そこに予備知識が無くて知らなかったのだが、何と落語の桂文枝師匠が狂言回しの役柄で登場したではないか。言葉も日本語のオペラになっているので、こんなことが可能なのだが、出だし、文枝師匠がいつもの番組のセリフ、「いらっしゃ~い」とともに唐突に現れて、ホールはたちまち笑いの渦。ついでちょっとした解説に入る。「この物語はねえ、ちょー大金持ちの老人と結婚したと思たら相手はすぐに死しんでしまう若い未亡人の話なんです。日本でもありましたな、和歌山の方で。何とかのドンファンていう人」(会場は爆)
「それで未亡人になった主人公の名は、ハンナと申します。覚えにくい人は、阪奈道路って覚えてもろたらよろしいです。阪奈道路のハンナ、これなら忘れません」(会場再び爆)
 
文枝師匠の最初からの巧みなツカミで、たちまちにして観客は緊張を解いてほぐれ、師匠はなおも自らのスキャンダルを自虐ネタにしてサービスするので会場は抱腹、爆笑。加えて宝塚の往年の美しいスターさんも出るわ、フレンチカンカンの踊り子もお色気満点で踊るわ、関西弁やギャグも連発されるわで、こんな楽しいオペラもあるのかと、僕も含め観客は肩肘の張らない満艦飾なオペレッタを存分に堪能した。
 
ところで金持ちの未亡人をめぐる色と欲の物語の舞台は、二組の恋物語を交錯させながら、陽気な笑いのうちに進行してメデタシメデタシの大団円にいたる。そのなかで聞きどころの象徴的な美しい曲は、作曲家レハールの「唇は黙して」だろう。聞いてみれば誰も知っているはずの歌だが、有名な愛の二重唱の甘美で哀切に満ちたメロディがオペレッタの基調となって、多くの観客に深い感銘を与えた。その証拠に最後には、ブラボーは時節柄叫べないものの、割れる拍手の中カーテンコールが熱狂的に何度も何度も繰り返された。観客と歌手と指揮者およびオケの熱気がぶつかり合って、一つになる瞬間!感染症流行の折ではあるが、みな久しぶりのナマのオペラに酔いしれたのではないか。僕も帰路についたものの、まだメロディの余韻が星雲のように渦巻いて頭の中を去らない。
 
オペラ入門には笑えるオペレッタの方が、深刻ぶって難解なものより良いかもしれないねえ。なお、8月1日のびわこホールの「カルメン」についても書くつもりだったが、つい長くなってしまったので次回にさせて頂く。