【カルメンは如何にしてカルメンになったか 1/2】

カルメンは如何にしてカルメンになったか 1/2】

 

19世紀のフランスの小説家プロスペル・メリメ(1803-70)が、3度にわたるスペイン旅行を経て、小説「カルメン」を書いたのは1845年の事です。2年後には、ジプシーの考察を第4章として新しく加え、今の体裁にします。そこからおよそ四分の一世紀が経って、ジョルジュ・ビゼー(1838-75)によるオペラ「カルメン」が誕生!1875年の事です。小説をオペラ化して台本を書いたのはリュドウィック・アレヴィとアンリ・メイヤックと記録に残されています。ちなみにこの二人は役割り分担がはっきりしていて、片方が大筋を担当し物語の骨格を大きく作り、もう片方がディテールのセリフを担当して演出味を掘り下げたのだとか。文章を書く際の理想ですね。余談ながら、今度(2021年秋)の総裁選に出ないことになった番頭出身の日本の社長さんも、長老たちにお家を守れとばかり詰め腹を切らされましたが、こんなユニットを持っていたらその前に世間の評判も変わっていただろうにと、ちょっと気の毒に思えます。言論術とコミュニケーションのリテラシーは、今の政治家にとって最重要課題ですね。

 

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それはともかく、僕の「カルメン」の体験は、マリア・カラス一辺倒で30代の頃はそれしか知らなかった。オケはパリ・オペラ座管弦楽団、指揮はプレートル。今、youtubeで聞いてみても名盤です。最近の発見は、カルロス・クライバー指揮、ウィーン国立歌劇場管弦楽団、若いドミンゴがドン・ホセ、演出がフランコ・ゼッフィレッリで舞台美術も映画的に重厚です。ただ僕の好みを言えば、ちょっと上品すぎるかなと言うところ。全体に貴族的で高音域が華やか、野卑なドスの効いたところはありません。その辺、バランスが良くかつ重厚流麗なのはカラヤンウィーン・フィルの1963年のもの。カルメン役に黒人のプライスが出て好演しています。普段はカラヤンは敬遠しているのだけど、これはいけます。なぜカラヤンを敬遠するかと言うと、交響楽などの場合、彼一流のスタイリッシュな整形美がどうしても気になる。一皮めくると中身は虚無な感じがして、空(から)やん!と大阪人は何か騙された気分になってしまう(笑)。ただオペラだと、充填物がいろいろあるのでカラヤン風の録音技師的な商業的なまとめ方も苦にならないと言った次第であります。

 

脱線してしまいましたが、本題に戻って、カルメンは如何にしてカルメンになったか?二人の脚本家の話は致しました。そうしてオペラになって、パリのオペラ・コミック座で初演したのはいいが、評判はいまいち。思うに台本に説明のセリフが多く、当時の観客の習慣としてそんなにすべての時間をオペラに集中して観るわけではないので、小うるさかったんでしょう。当然改変の要望が出る訳ですが、惜しいかなビゼーは初演の3か月後に急死してしまいます。それでエルネスト・ギローと言う人が、セリフをレチタティーボ(叙唱)の歌形式に変えてより歌劇性を高め、それによって観客の負荷が軽くして、世に受け入れられて大ヒットするようになったという次第。また、不評の原因におぞましい殺人事件がテーマであることもあって、当時のハッピーエンドの好みからすると、相当抵抗があったと思われます。ただこれも19世紀後半の社会の写実主義の嗜好が進んで、オペラの世界でもオペラ・ヴェリズモと呼ばれる社会派オペラが19世紀末に生まれますが、その先駆として時代の空気が後押ししたと思われます。今日のカルメン公演は、だいたいこのギロー版に基づくようです。ただ一部にはセリフの多い復古的なのを使っているのも見かけます。

 

僕もびわ湖ホールでの今回の公演(ギロー版)を見たあと、自分が知っていたあらすじがオペラの解説で得たオペラの筋書きなのか、小説で知っていたのか判然としなくなって、改めてメリメの小説を読んでみました。文庫本で100頁に満たない薄い本です。読んでみて成程ねえ!と、小説はいかにしたらオペラになりうるのか、そのテクニックと言うか、改変のツボのようなものを垣間見た気がしました。そこを言いたいのが、緊急事態の延長で講演が延期になり、ぽっかり浮いた今日の時間を使って本稿を書いている僕のモチベーションです。ちょっと長くなりそうです。いったん今回はこれで切らせていただいて、2回に分けたいと思います。