【カルメンは如何にしてカルメンになったか 2/2】

カルメンは如何にしてカルメンになったか 2/2】

 

元の小説を書いたメリメは、パリの富裕な家庭の出身で官吏としてもナポレオン3世重臣となり、文化財建築の保全に力を尽くし、考古学者でもあった作家でした。語学にも堪能で、古代ギリシャ語からスペイン語、ロシア語までマスターしていて、ツルゲーネフらロシアの小説を翻訳してフランスに紹介したのもメリメです。また年上のスタンダールとも仲が良かったらしく、二人ともブルジョワ階級の出身で、有能で役人としても出世を遂げる。そのうえで文学作品を多く残し、イタリアやスペインの辺境への旅や滞在を楽しんでいるのも共通します。二人が会ったときの話題は、おそらくイタリアやオリエンタルな周辺諸国の話、ロシア小説の動向、宮勤めの苦労などで、話は大いに盛り上がって楽しかったのではないかと想像しています。

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同時代の小説家のバルザックが、有り余る体力で当時の社会をパノラマ的に描き出し、世界模型を目指したのに比べて、メリメの話の展開は個人的でペダンティックロマン主義的というより写実的で、当時のインテリの異郷趣味が反映されています。さて、小説「カルメン」では、第1章は作者と思しき一人称の考古学者がカエサルの「ガリア戦記」を片手にセビリアへ旅行して、コルドバで案内人と馬2頭を雇い入れて、調査行を始めるところから始まります。その旅の冒頭で、すでに札付きのお尋ね者になっていたドン・ホセと出会うと言う伏線が引かれている。次に会うのは、ホセがカルメンを刺殺して自首し、処刑が決まった前日、僧院で懺悔僧に対面する合間を縫って、主人公がホセの告白を聞き取る体裁です。したがってここでは話者は、作者からホセに替わります。また最後に付け加えた第4章は、話とは直接連結しないロマ(ジプシー)の論考です。なお小説の展開の中では作者がたびたび表に登場して、案内をしたり読者に語りかけたりもしますから、これらはすでに一種のメタ・フィクションの先駆と見ることも可能でしょう。

 

メリメの小説の進行には伏線や因果を絡めた精密な美学があって、工芸品のように組みあがっています。例えばカルメンの黒髪と黒い瞳、闘牛の黒い牡牛、牛を刺す槍とホセのナイフの金属質な輝き、闘牛場の土を染める牛の赤い血とカルメンの流す絶命の血などは相互に照射しあって、まるでカレイドスコープを覗くようです。また死とカタストロフに向かって、粛々と物語が進むさまは、日本でいえば「忠臣蔵」のようなもので、その怖さはモダン・ホラーの心理劇のようにスタイリッシュで、メリメはすでに近代的な次世代の感性を備えていたと言えます。

 

さて小説のオペラ化にあたって、最も創造的に付加された部分は、ドン・ホセの田舎(バスク地方)の許嫁の登場です。これは小説には全くありません。ミカエラと言う名を与えられた許嫁は、セビリアに出てきてドン・ホセに故郷の母親の伝言を伝え、堅気の軍の仕事を続けて、暗に自分と結婚してくれるようにホセに懇願します。しかし田舎出の一途な青年はこの時すでに、放埓なジプシー女のカルメンにのぼせていて、真情あふれる忠告もなにも耳に入らない。ところがその恋の相手のカルメンは、やがて心を闘牛士のスーパースターに移して、ホセのことが鬱陶しくなる。まあこういう風に三角形ができないと、恋愛ものはドラマツルギーが成立して発展しませんのでね。

 

なぜ許嫁を新しく加えたのかについては、こちらの理由の方が大事だったかもしれませんが、カルメンは凄味の効いた役柄ゆえメゾ・ソプラノなので、オペラの構成上、お姫様的な可憐な声のソプラノが欲しいところです。そんな理由で、小説が歌劇に改変される際にソプラノ役を当て込んで、バスクの故郷の許嫁、ミカエラが創案されたと考えられます。実際、ミカエラ役にはソプラノの実力者が当てられます。第2のヒロインと言ってもいい、歌手にとってはおいしい役どころです。

 

逆に小説にはあったのに、オペラ化されたときに省かれた部分もあります。一番大きいのは、カルメンに夫がいたという事実です。ガルシアと言う名の隻眼のならず者ですが、刑務所に入っていた。それが出牢後ホセと出会い、ナイフによる決闘になってホセに殺されてしまう。この時、ホセの短刀はガルシアの喉元を突き刺し、骨にあたって折れてしまう。それでホセは殺したガルシアのナイフを自分のものにして、これがのちのカルメン殺しに使われる。こんな因縁話がオペラではネグレクトされるのは実に惜しいですが、まあ3,4時間で収めようとするとやむを得ないですね。

 

細かいところを上げればキリがないですが、この足し算と引き算が台本作家たちの大きな仕事でした。台本作者たちもよく心得ていて、おぞましい物語とは裏腹の子供などイノセントな歌声の合唱をいくつも挟みこむことによって、悲劇的な結末に至る物語を静々と進行させます。コーラスはだいたい囃し歌のようなもので、歌舞伎や文楽のお囃子とよく似ています。諸行無常を唱えるお経ともいえますが、中身は怖い死の予告であったり、ホセの恋敵の闘牛場での栄光を讃えるなど、実に効果的な役回りをさせています。それゆえオペラ「カルメン」においては、コーラスの出来もとても重要で、台本作家が小説を巧みにオペラに転化して成功したのは、セリフに変えてコーラス(レチタティーボ)にしたからともいえるでしょう。

 

カルメン」はオペラの人気ではたいていトップに来る演目ですが、改めて小説と対比しながら成功要因を振りかえると、まずソプラノの許嫁を登場させて人物構成を立体的にし、音楽空間の奥行きも深くしたこと。また、カルメンの夫の刺殺事件はネグることで話をカルメンとホセの愛憎にフォーカスして盛り上げ求心性を強くした。加えてお囃子のコーラスで筋の進行を予告してストーリーをより緊密に連結させた、と3点にまとめられるでしょう。本稿では、作曲上のビゼーの技巧や功績には踏み込みません。例えば、有名な「ハバネラ」がキューバ民族音楽の応用であるとかと言ったことです。この辺は音楽の専門家が、詳細な解説をしてくれることでしょう。

 

ともかく、この夏「カルメン」を見たおかげで、小説からオペラへの転換の作法を少し感得することができ、ついでに19世紀半ばの思潮やフランス小説界の事情も少しは解ってきた気がして、さらなる興味は尽きませんが、この辺でいったんカルメンと別れたいと思います。長文を読んで頂き感謝します。