【メトロポリタン美術【メトロポリタン美術館展① ティツィアーノ 《ヴィーナスとアドニス》】

メトロポリタン美術館展① ティツィアーノ 《ヴィーナスとアドニス》】

 

大阪・天王寺の市立美術館に、ニューヨークのメトロポリタン美術館が所蔵する西洋絵画の名品65点がやって来ています。うち46点は日本初公開。東京は来年2月からです。「西洋絵画の500年」のタイトルに偽りはなく、このコロナの時期に珍しく質量ともにそろった国際的な企画展が成立したのは、奇跡的かもしれません。

 

メトロポリタン美術館では目下、天窓から自然光を取り込む照明工事を進めていて、その期間、貸し出されたとのこと。今や世界の美術館は天然光のもとで絵画を見るのがトレンドのようで、とくに屋外で描かれたバルビゾン派のミレーや印象派のモネなどは、LEDではなく自然光のもとで見るのがふさわしいという事でしょう。午前と午後、晴れた日と曇った日で絵が違ったように見えるなら、それは「青磁」の見方とも似て、たいへんしゃれた上質な試みだと僕も歓迎するところです。

 

さて、今回の展覧会、行ってみると予測していた以上に優品が多くて、圧倒されます。ルネサンスに始まり、バロックロココから19世紀後半のポスト印象派まで500年にわたる美術史を通観でき、しかもそれぞれの時代の基準作がしっかり揃っています。まあ、生きた美術の立体教科書と言えるでしょう。

f:id:iwasarintaro:20211231204801p:plainティツィアーノ・ヴェッチェリオ 《ヴィーナスとアドニス》 1550頃 メトロポリタン美術館

 

シリーズで何点かご紹介しようと思いますが、まず最初はこれ。16世紀のヴェネツィアルネサンスの巨匠、ティツィアーノの「ヴィーナスとアドニス」。ギリシャ神話にもとづく制作当時からの人気画で、同名のバリエーションがいくつも欧米の有名美術館に所蔵され、その代表的1点です。

 

話はご存知の方も多いでしょうが、アドニスは美と愛の女神ヴィーナスが愛した若いイケメンの恋人で、神ではなく人間です。狩りが好きで猟犬を連れ弓矢をもって出ようするが、ヴィーナスはなぜか不吉な予感がする。それで「行かないで!」と引き留めるが、はやる若者は聞く耳を持たない。果たせるかなアドニスは、猪の牙に突かれて一命を落としてしまうと言う、悲劇の物語です。

 

この絵がルネサンスらしい点は、どこにあるでしょう。描かれていないものを考えることで、逆に解ります。ここにはイエスもマリアも描かれていません。なあんだ、と思われるかもしれませんが、この時代にキリスト教の聖人を描かず、遠い昔のギリシャ多神教の神々を引っ張り出すなどとは、教会から見るとまことに背神的ともいえます。一神教に対してギリシャの神々を「再生」(ルネサンス)させた、人類史的にも分岐点となる歴史を象徴しています。

 

絵柄を見ても女神とはいえヌードの女性像、そして人間の若い男と絡むのですから、神はもう澄ました存在でなく、ほとんど赤裸々なまでに人間化されています。しかもこのルネサンス後期になると、女性美の表現もボッティチェルリの《ヴィーナスの誕生》に見るような健康美から、豊満な官能美に熟れてまいります。これがのちのバロックの巨匠、ルーベンスレンブラントに継承され、西洋美術史は発展と転生を繰り返しつつ進化します(つづく)。

 

岩佐倫太郎 美術評論家/美術ソムリエ