【メトロポリタン美術館展③ ブーシェ 《ヴィーナスの化粧》】

メトロポリタン美術館展③ ブーシェ 《ヴィーナスの化粧》】

 

フランソワ・ブーシェ(1703-1770)は、18世紀のフランス王宮が生んだロココ様式を代表する画家です。今回日本で展示されている《ヴィーナスの化粧》は、ブーシェの作品群の中でも、とりわけ優れた作品のひとつでしょう。絵そのものはギリシャ神話的なこと以外、ことさらな説明も要らないと思いますが、官能性があって優美かつ装飾的なブーシェの際立った個性は、すぐさま伝わってきます。

この絵が生まれたのは18世紀半ば。フランスはルイ15世の治世で、王が公妾であるポンパドゥール夫人のために、セーヌ河畔の丘に建てたベルヴュー城の浴室を飾る目的で制作されました。

f:id:iwasarintaro:20211231210314p:plain

フランソワ・ブーシェ 《ヴィーナスの化粧》 1751 メトロポリタン美術館

ところでポンパドゥール夫人は大変な美人で、なおかつサロンの女王のような知性も備えた、才気煥発の人でした。後年は政治嫌いのルイ15世に替わって、オーストリアの女帝マリア・テレジアなどと手を組んで国際政治に介入します。また、テレジアは娘のマリー・アントワネットをフランスとの宥和のため、ルイ15世の孫であるルイ16世に嫁がせます。政略結婚です。フランス革命が起きたあと彼ら二人の悲惨な運命はもうご存知の通りですが、ともにギロチンにかけられるまで、ここから40年ほどまだ時間があります。

 

ロココはそんな歴史の時間帯の美術様式なので、ブーシェの絵にも難しい思想性や社会性などは無く、その前のバロックの時代に特徴的だったドロドロしたリアル性や大げさな演劇性なども、影を潜めています。あるのはただ静穏な心地良さや華やぎやファッション性だけ。これこそがロココの感覚なんですね。ひたすら心地よく、エロスだけがあって翳りがない、幸福のエアポケットでまどろむような絵画です。

 

ブーシェはパリに生まれた図案家の息子で、父から最初の絵の手ほどきを受け、若くしてずぬけた才能を発揮します。また勉学のためにイタリア留学をも果たし、絵の本場で歴史的な画法をみっちり仕込んで帰国します。それゆえ、フランスに戻るとすぐさま認められて「王立絵画彫刻アカデミー」の正会員となり、ルイ15世やポンパドール夫人の寵愛を受け、夫人の肖像画を描き、国王の首席画家となりアカデミーの院長を務めるなど、この上ない栄達を遂げます。

 

多くの人はフランスは芸術の大国で、美術の先進国と思われているかもしれませんが、じつはこの時代のフランスの美術界は、イタリアに遅れを取っていました。そのため美術文化の振興は国を挙げておこなわれ、17世紀にフランス古典主義のニコラ・プッサンがイタリアに学んで、アカデミーの基礎を作ります。18世紀のブーシェはそれを受け継ぐとともに、この時のパトロンであるフランス王室の好みに技法や画題を改変して、ロココという新潮流を担い、フランスの美術を世界の本流に押し出します。それ以降フランスは、19世紀前半にはアングルらの新古典主義ドラクロアらのロマン主義派などを産み、美術界をけん引するようになるのです。

 

 

■開催概要 https://met.exhn.jp/outline/

 

 

岩佐倫太郎 美術評論家/美術ソムリエ