【メトロポリタン美術館展④最終回 セザンヌ 《リンゴと洋ナシのある静物》】

メトロポリタン美術館展④最終回 セザンヌ 《リンゴと洋ナシのある静物》】

 

大阪展は来年1月16日まで。東京展は2月9日から。国立新美術館(六本木)で。

 

左は青い洋梨、右には赤い林檎が机に無造作に置かれている。何という事は無い、画家の故郷の南仏のありふれた日常風景でしょう。「静物画」だから当たり前なんですが、ここでは神話や宗教上の秘跡も、声高なドラマも起きていません。平穏な時間が淡々と流れるだけです。この絵を眺めながら多くの人が、幸福や安堵を感じるなら、それは極めてまっとうな鑑賞の仕方だと言えます。

f:id:iwasarintaro:20211231210856p:plainポール・セザンヌ(1839-1906) 《リンゴと洋ナシのある静物》 1891-92 メトロポリタン美術館

 

ところがこの絵は、表向き平和ですが、じつは爆発物のような危険な魅力を内蔵しています。それは多分この絵が、「多視点」の原理で描かれていることによるでしょう。「多視点」とは聞きなれない言葉かもしれませんが、その逆は皆が良く知る「単一視点」です。単一視点は眼の位置が一定で、手前のものは大きく、遠くへ行くほど小さく描き、ついに一点に収斂します。鉄道の2本のレールが遠くで一点に結ばれるようなものです。これはダ・ヴィンチらのルネサンスが発明した原理で、西洋は平面を3次元に見せるために、この幾何学的な方法を黄金律として19世紀半ばまで墨守してきたのです。

 

それからするとこのセザンヌのリンゴの絵は「多視点」で描かれ、それゆえルネサンスの原則を破っています。まず机がヘンです。本来なら机は台形のように描かないと遠近感が出ない筈なのに、奥の方をむしろ大きく、末広がりにしています。さらに天板の右側面もよく見ると、直角になっていない。それに机のばあいは上から見下ろしているのに、後ろのグレーの壁は、下から見上げている。当時のアカデミーの先生なら激怒するような、視点が混在した伝統無視のありえない描き方なんです。結局この絵は、一点収斂でなく、人間が対象を見たいくつもの視点を合成して、2次元の画布に表現しているのです。

 

「私は林檎ひとつでパリ中を驚かして見せる」とは若いセザンヌが放った有名な自負の言葉ですが、いったいこんな斬新な「多視点」の画法をどこで学んだのか。セザンヌは秘密にして他言しませんでしたが、彼の多視点の元は、日本の「浮世絵」であると僕を含め今では多くの人が考えています。

f:id:iwasarintaro:20211231211247p:plain葛飾北斎 《富嶽三十六景 江戸日本橋》 一点には収斂しない多視点の組み合わせ画法

 

北斎の「富嶽三十六景」にしても広重の「東海道五十三次」でも、浮世絵は印刷物として売れるために多視点を開発し、風景の遠近法を任意に伸び縮みさせて組み合わせ、情報量の多い、最もインパクトの強い画面を再創造しています。鋭敏なセザンヌは日本の開国で大量に流入した浮世絵を見て、絵画は現実の忠実な説明役でなくていい、画家はもっと自由に自分の世界を表現すればいい、という事に気づき、密かに換骨奪胎したと思われます。

 

さて、浮世絵からセザンヌが取り入れた多視点の画法は、印象派、ポスト印象派を流れ、ついにはピカソらのキュビスム(立体派)を誕生させます。キュビスムの本質は対象を「多視点」で捉え、幾何学的な面に分割し、画布に再合成することなので、この事実は特に驚くにはあたりません。この辺の美術の教養を理解しておくと、西洋画の見方

がいっそう深く楽しくなります。

 

■美術展HP みどころ|メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年 (exhn.jp)

 

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岩佐倫太郎 美術評論家/美術ソムリエ