この名画はなぜ名画なのか① ミレー

これまで小生の記事は、その都度の美術展をとりあげ、絵の見方を提供してきました。今年はそれに加えて、「テーマをもった美術シリーズ」を配信します。最初のテーマは、「この名画はなぜ名画なのか」。例えばダ・ヴィンチの有名作品でも、「教科書に載るくらいだから、凄いんだろう」と思うだけで、実はちゃんと味わえていないことも多いものです。どこがいいのか、なぜ凄いのか、超有名な名画を毎回1点づつ取り上げ、背景や思想、僕の見方なども織り込みつつご案内する予定。よろしくお願いします。

 

この名画はなぜ名画なのか①ミレー《落穂ひろい》 

オルセー美術館 84cm×112cm ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875)

 

 さて第1回は、19世紀フランスの画家、ミレーです。画像は、小学生でも知っている有名な《落穂ひろい》ですが、多くの人はこの絵を土に生きる敬虔な農民の貧しくも美しい労働風景である、とおおむね理解しているのではないでしょうか。ところがもし《落穂ひろい》」が、旧約聖書を下敷きにしていることを知れば、「農民画家」などと評されるミレーの見方が一変します。

ミレー 《落穂ひろい》 1857

 

旧約聖書と重なる世界】

どうしても日本人が西洋絵画を見るときに、面倒なので宗教を無視しがちですが、ノルマンディーのキリスト教信仰の篤い農家に生まれたミレーが絵を描くときには、根底に聖書が横たわっています。《落穂ひろい》の発想は、旧約聖書の「レビ記」(成立は紀元前4,5世紀)からも窺えます。レビ記には古代ユダヤの戒律として、「穀物を収穫するときは、畑の隅まで刈り尽くしてはならない。収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。…これらは貧しい者や寡婦となった者のために残しておかねばならない」とあります。

また、同じく旧約聖書の「ルツ記」には、夫が死んだのちも婚家を去らず、姑に孝養をつくす未亡人ルツの物語が出てきます。ルツは、姑の遠縁の裕福な男、ボアズの畑で(権利として)落穂拾いをして、健気に義母と暮らしを支えます。その姿を見たボアズはルツに好意をもち、ふたりは結婚し子をなす。その子孫が4代下って、ダヴィデ。ご存じミケランジェロの彫刻にもあるように、石をもって敵将を倒した勇敢な羊飼いの少年です。ダヴィデは出世してイスラエル王となり、その子が有名なソロモン王。そこからぐっと時代が下がってマリアと結婚することになるヨセフが生まれます。その子イエスはマリアが処女懐胎したとされるので、ヨセフは養父にはなりますが家系がつながります(またヨセフもダヴィデの血流の末裔とする宗派もあるようです)。ともかく、この絵を聖書的に見直すと、落穂を拾っている農婦の誰かがイエスの家系の先祖。つまりこれはイエスのご先祖の姿を描いた絵と考えても可笑しくありません。しかもミレーは、旧約聖書新約聖書をつなぐ世界を、バルビゾンの村で再創造しているのです。欧米のキリスト教徒たちにとっては、たいへん功徳に満ちた有難い絵に違いありません。

《落穂ひろい》 遠景(部分) 豊かな村人は豊作の小麦の獲り入れに大わらわ

 

【聖なる赤と青の色も利用】

ミレーは写実風な絵の中に聖書の物語を埋めて二重の意味を持たせ、人々の宗教的な記憶を喚起し、評価を高めることに成功しました。とても戦略的です。遠景の豊かな村人たちの収穫に対比すれば拾う麦の穂もわずかで、農婦たちの貧しさをいやがうえにも強調しているのも見どころでしょう。構図やデッサンの技については申し分のない完璧さです。

ミレー《ジャガイモを植える人》 1861ボストン美術館 服の色に注目

また色では、全体に土っぽい色調なのに、農婦の頭巾や衣服の「赤と青」だけが目立ちます。フランス国旗のようですが、これはイエスやマリアのお決まりの聖衣の色。聖色の持つ力をミレーは、ほかの絵でも意図的に使っています。さあ、これでミレーのイメージが変わったでしょうか(次回はミレーの《春》)。

 

白鷹禄水苑文化アカデミーの岩佐の講座ごあんない

月に一度、講義をしている「白鷹禄水苑文化アカデミー」でも、4月から同じタイトルで講義をしていきます。ただしこちらはルネサンスから始まって、バロック、浮世絵、印象派ときちっと時代を追って、わずか12枚の名画で美術史の骨格が身につくカリキュラムを組みました(ニューズレターのコンテンツとは関連したりしなかったりします)。詳細は下のハイパーリンク(HP)を開いてみてください。

2023年前期 絵の見方・美術館のまわり方 「この名画はなぜ名画なのか」 ―ダ・ヴィンチからフェルメール、ピカソまで、大傑作だけでわかる美術史― - |生粋の灘酒 白鷹株式会社 (hakutaka.jp)