忘れがちなことですが、浮世絵は基本的に刷り物なので複製品です。それゆえ値段も安く、庶民の愛好する美術として江戸時代、大変な人気を博したわけです。また、幕末から明治にかけて、安価な浮世絵は海外にも大量に輸出されて、印象派など近代絵画を生む要因になったことは、もう多くの人が知るところではあります。そんな浮世絵ですが、特別な注文などで一品制作された肉筆画というのも存在します。
このばあい、浮世絵師は刷り物のように大衆人気やコストを考えずに済み、自分の描きたい世界を存分に表現して、画材などもたいていは贅沢することができます。僕が11月に旅した紅葉の街並みが美しい小布施(おぶせ)の町に残る北斎の作品も、そんな絶好の事例です。
メインの画像は、今は小布施町の「北斎館」に保存展示される、祭り屋台の天井画です。《怒涛図》と名付けられ、実際にはこの《男浪》と、ほぼ同様の《女浪》がセットになって見ることができます。華厳のように飛び散る波の華は、もう通常の写実を飛び越えて、宇宙的な曼陀羅のようです。外枠にも鳳凰が描かれていて、花が咲き乱れ生命が横溢する楽園の風景は、どこか宗教的な法悦感さえ備えているようにも感じます。北斎の最後の境地を示しているのでしょうかねえ。晩年、86歳の時の作品です。まあ、その高齢にして江戸から小布施まで旅する気力・体力にも恐れ入りますが、さらに驚くべきは絵に満ち満つるエネルギーの凄まじさ!全く枯れていません。ワビ・サビなど寄せ付けない、生命力の奔流と言いますか・・・。
北斎の年譜を振り返ると、彼のGREAT WAVEとして世界的にも知られる、「富獄三十六景」シリーズの《神奈川沖浪裏》が世に出たのが70歳を過ぎてから。
本当にこの人は遅咲きです。そこから10年以上たって、成功もし、自信も着けたであろう北斎は、小布施の豪商で文化人の高井鴻山に招かれて厚遇され、時には1年も滞在して、売れ行きも出版元の評価も気にしなくていい環境で自在な筆を振るいます。その結果、画境はさらに進化し、最晩年のこのような名画が生まれたものと思われます。
もう1点、同じく小布施町の「岩松院」(がんしょういん)という曹洞宗のお寺で、北斎肉筆のとんでもなく素晴らしい作品も眼にすることができました。《八方睨みの鳳凰図》。
畳21畳分もある巨大な天井画で、何処から見上げてもこの妖しくも美しい鳳凰が、見る人を睨み返すような、カルトなまでの奇想美に溢れた絵です。背中の緑は、五葉の松、胸元を飾るのは月桂樹。北斎自身が解き放たれて、鳳凰となって飛び立とうとしているのかも知れません。描いたのは何と88歳。その翌年、北斎は没します。となると、作品は自身の遺言かもしれないです。ちなみに、北斎の辞世の句というのが残っています。
ひと魂でゆく気散(きさんじ)や夏の原
(死んだら)幽霊になって、ひとつ夏野で遊んでみようか、といった意味です。北斎の歳の取り方は、死期を前にしても怯むところなく、それどころか最後までカラリと陽性な好奇心とエネルギーに満ちています。
美術評論家/美術ソムリエ 岩佐倫太郎