2021-07-01から1ヶ月間の記事一覧

大阪中之島美術館の建築内部が2021年7月1日、公開された

■大阪中之島美術館は2022年2月2日が開館予定。一足早く建築の内覧会に出かけて来ました■ 開館が待たれる「大阪中之島美術館」の建築が上がったとのことで、メディア向けの7月1日の内覧会に出てきました。もちろん絵もまだ掛かっていなくて、家具やシ…

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展 ⑥ゴッホ

■「炎の画家」ゴッホは、キリスト教と太陽信仰のはざまを行き来した哲学者でもあった■ 熱心なファンならご存知のことかもしれませんが、ゴッホの花瓶に挿したひまわりの絵は、7点あります。ただし現存しているのは6点。ほとんどが1888年の夏(一部は翌年1月)…

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展 ⑤モネ

■印象派の巨匠、モネのこの絵が、浮世絵の影響で生まれた、と言うと驚く人もいるかもしれない■ この10年ほど、僕は講演会やメルマガなどを通じて、「印象派は浮世絵の甚大な影響下に生まれた」、ということを熱心に語ってきました。最初の頃、講演でその話…

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展 ④フェルメール

■フェルメールの傑作、《ヴァージナルの前に座る若い女性》。見どころはどこだろう■ レンブラントと並んで、17世紀オランダの黄金時代を代表するバロック画家のフェルメールは寡作なことでも知られ、数え方にもよるが作品は世界で35点しかない。ロンドンの…

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展 ③ティントレット

■ルネサンスとは何か、その答えは、この《天の川の起源》が教えてくれる。■ ギリシャ神話の物語は、エロスと暴力性に満ちて骨太い。それゆえ、いつの時代も画家を魅了する。この《天の川の起源》は美術史的にも重要な名画で、作者はヴェネツィア・ルネサンス…

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展 ②クリヴェッリ《受胎告知》

■この画家も絵も、思わぬ放浪の運命をたどる。それにしても何と異端な《受胎告知》だろう!■ 大阪・中之島の国立国際美術館で、「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」が始まっている。下の絵のタイトルは《受胎告知》。入り口すぐ左にあって、高さは2メー…

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展 ①ウッチェロ《聖ゲオルギウスと竜》

■ウッチェロの《聖ゲオルギウスと竜》に、ヨーロッパ3千年の「物語」を見る■ 今日11月3日(2020年)から、大阪・中之島の「国立国際美術館」で、「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」が始まっている。一般にこうした企画展では、会場の最初の部分では、め…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ㉑《最終回》 謎と言われる継体の実像を解き明かす

■古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ㉑《最終回》 謎と言われる継体の実像を解き明かす■ 5月(2020年)のGWのさなか、外出自粛の折り、宝塚のわが家のそばの「中山荘園古墳」に出掛けた。径が13メートルもの珍しい八角古墳だが、驚いたのはそこからの景色…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑳ピンク石の石棺は、参勤交代と同じ役割だ

■古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑳ピンク石の石棺は、参勤交代と同じ役割だ■ いよいよ継体の物語も最終回を迎えようとしている。大阪・高槻の今城塚古墳。1998年に、継体の遺体を収めた石棺の一部と見られる断片が発掘された。石の産地は九州の阿蘇山の近…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑲磐井の乱の裏の本質とは

■古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑲磐井の乱の裏の本質とは■ 継体が大和入りした時に、間髪をおかずに豪族へ発したのは、筑紫の磐井(いわい)の討伐命令だった。籠絡してやろうと手ぐすね引いて待っていた筈の、大和の豪族たちの甘い夢は打ち破られた。豪…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑱天下統一のための地政学

■古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑱天下統一のための地政学■ 前回の土地の問題を考えることによって、継体の思想と志向がハッキリ見えた。それは何かというと、「天皇専制による統一国家の実現」、である。しかも、「豪族より絶対優位に立って」、という条…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑰土地問題から継体の思想が見えた

■古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑰土地問題から継体の思想が見えた■ 継体は25代武烈の崩御のあと豪族たちに推戴され、再三固辞しつつも最後にやっと重い御輿を上げて王位を継承し、淀川沿いの樟葉に皇宮を構える。ご承知のように、大和には入らない。その…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える  ⑯継体は天皇と言うより事業家だ

(古代史を文献と古墳だけで考えると乾燥しがちなので、僕は両者の隙間に小説的な想像力の水分を注入し、ライブ感を復元しようと試みています) ■古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑯継体は天皇と言うより事業家だ■ 継体は「謎の大王」などと呼ばれ、ひとり…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑮継体天皇は入り婿だったのか?

継体天皇が越前から担ぎ出されて26代天皇に即位したのは、武烈天皇が若くして崩御したことに端を発する。武烈には男子も女子もいなかった。はじめ大連(おおむらじ)を務める大伴金村は、丹波にいる倭彦(やまとひこ)王を天皇候補として、使者を遣わす。と…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑭今城塚古墳はTVAのような地域開発だった?!

話が無茶振りで恐縮だが(笑)、TVAはアメリカのテネシー川流域開発(公社)のこと。1929年の大恐慌の折に大統領、フランクリン・ルーズベルトが経済対策として打ち出した「ニューディール政策」の一環で、ダム建設など、大型公共事業で不況・失業対策を…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える  ⑬樟葉の宮は製鉄工場を兼ねていた?!

継体天皇は樟葉を都としたが、樟葉を選んだわけは先ず第1に、石清水八幡宮がのちに建つ小山や河川など天然の要害に恵まれ、水路・陸路の要衝で、大和を睨んで進むもよし引くも可の、地政学的に極上のポジションにあったからだ。 次いで、2番目の理由として、…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える   ⑫沼地を黄金の稲穂が実る耕地に

継体天皇が都にえらんだ樟葉は、水・陸交通の要衝で、岬のように張り出す岩清水八幡宮の小山と、幾重もの河川が天然の要害になっている。それ故に地政学的に攻守を兼ね備えた軍事上も絶妙のポイントであることは、すでに多くの読者諸賢の同意を頂けただろう…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑪攻めるもよし、守るもよし、天然の要塞=樟葉

継体天皇は大和の豪族の懇請を受けて即位したものの、直ちに大和に入ることをしなかった。長らく樟葉(くずは)の近辺にとどまり、結局大和入りが実現したのは、20年ものちの事であった。これは謎とされ、その理由に大和に「抵抗勢力」があったためとされる…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑩即位した樟葉宮の、絶妙な地政学

美術ファンには、つとにおなじみだと思うが、京都府の「アサヒビール大山崎山荘美術館」。モネの睡蓮や河井寛次郎らの民藝のコレクションなどの優品が見られるほか、イギリスのカントリー・スタイルと言えばいいのか、チューダー様式の質実美な建物が高台の…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑨船の埴輪を見ると、古墳にも波止場が必要だ

今から1,600年ほども昔の仁徳陵が出来たころの船なんて、小さな丸木舟じゃないの?!と多くの人は思うかもしれない。ならば桟橋や船着き場なども要らないだろう、とお考えになるかもしれない。しかし実際は、さにあらず。古墳時代の中期、どのような進…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑧巨大古墳のくびれ部の出っ張りは何?

【閑話休題】以前から気になっていたことがまた気になってきた。それは仁徳天皇陵などの大型古墳のくびれにある出っ張りのこと。これって、いったい何なんでしょうね。もし古墳を巨大な鯛焼きに見立てたなら、まあその鯛焼きのしっぽの付け根のハミ出したバ…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える  ⑦継体即位の真相は、鉄の力か!

島根半島にある出雲もそうだが、越前も九頭竜川の河口に天然の三国湊を擁して、日本海側の海岸で半島からやってくる船が安全に風を除けられる泊地たり得たことは、都市として成長する上で非常な幸運だった。この地を辺境と呼ぶのは当たらない。それどころか…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える  ⑥アレクサンダー大王が鉄を運んだ?

ところで人類の製鉄の歴史は古い。今のトルコのあたりにあった「ヒッタイト帝国」に始まるとする。少なくとも紀元前15世紀にはもう製鉄は盛んで、鉄と戦車の技術を独占する強国であったようだ。そのヒッタイト帝国が紀元前千年くらいには滅びてしまう。地中…