2021-07-26から1日間の記事一覧

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ㉑《最終回》 謎と言われる継体の実像を解き明かす

■古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ㉑《最終回》 謎と言われる継体の実像を解き明かす■ 5月(2020年)のGWのさなか、外出自粛の折り、宝塚のわが家のそばの「中山荘園古墳」に出掛けた。径が13メートルもの珍しい八角古墳だが、驚いたのはそこからの景色…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑳ピンク石の石棺は、参勤交代と同じ役割だ

■古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑳ピンク石の石棺は、参勤交代と同じ役割だ■ いよいよ継体の物語も最終回を迎えようとしている。大阪・高槻の今城塚古墳。1998年に、継体の遺体を収めた石棺の一部と見られる断片が発掘された。石の産地は九州の阿蘇山の近…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑲磐井の乱の裏の本質とは

■古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑲磐井の乱の裏の本質とは■ 継体が大和入りした時に、間髪をおかずに豪族へ発したのは、筑紫の磐井(いわい)の討伐命令だった。籠絡してやろうと手ぐすね引いて待っていた筈の、大和の豪族たちの甘い夢は打ち破られた。豪…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑱天下統一のための地政学

■古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑱天下統一のための地政学■ 前回の土地の問題を考えることによって、継体の思想と志向がハッキリ見えた。それは何かというと、「天皇専制による統一国家の実現」、である。しかも、「豪族より絶対優位に立って」、という条…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑰土地問題から継体の思想が見えた

■古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑰土地問題から継体の思想が見えた■ 継体は25代武烈の崩御のあと豪族たちに推戴され、再三固辞しつつも最後にやっと重い御輿を上げて王位を継承し、淀川沿いの樟葉に皇宮を構える。ご承知のように、大和には入らない。その…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える  ⑯継体は天皇と言うより事業家だ

(古代史を文献と古墳だけで考えると乾燥しがちなので、僕は両者の隙間に小説的な想像力の水分を注入し、ライブ感を復元しようと試みています) ■古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑯継体は天皇と言うより事業家だ■ 継体は「謎の大王」などと呼ばれ、ひとり…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑮継体天皇は入り婿だったのか?

継体天皇が越前から担ぎ出されて26代天皇に即位したのは、武烈天皇が若くして崩御したことに端を発する。武烈には男子も女子もいなかった。はじめ大連(おおむらじ)を務める大伴金村は、丹波にいる倭彦(やまとひこ)王を天皇候補として、使者を遣わす。と…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑭今城塚古墳はTVAのような地域開発だった?!

話が無茶振りで恐縮だが(笑)、TVAはアメリカのテネシー川流域開発(公社)のこと。1929年の大恐慌の折に大統領、フランクリン・ルーズベルトが経済対策として打ち出した「ニューディール政策」の一環で、ダム建設など、大型公共事業で不況・失業対策を…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える  ⑬樟葉の宮は製鉄工場を兼ねていた?!

継体天皇は樟葉を都としたが、樟葉を選んだわけは先ず第1に、石清水八幡宮がのちに建つ小山や河川など天然の要害に恵まれ、水路・陸路の要衝で、大和を睨んで進むもよし引くも可の、地政学的に極上のポジションにあったからだ。 次いで、2番目の理由として、…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える   ⑫沼地を黄金の稲穂が実る耕地に

継体天皇が都にえらんだ樟葉は、水・陸交通の要衝で、岬のように張り出す岩清水八幡宮の小山と、幾重もの河川が天然の要害になっている。それ故に地政学的に攻守を兼ね備えた軍事上も絶妙のポイントであることは、すでに多くの読者諸賢の同意を頂けただろう…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑪攻めるもよし、守るもよし、天然の要塞=樟葉

継体天皇は大和の豪族の懇請を受けて即位したものの、直ちに大和に入ることをしなかった。長らく樟葉(くずは)の近辺にとどまり、結局大和入りが実現したのは、20年ものちの事であった。これは謎とされ、その理由に大和に「抵抗勢力」があったためとされる…

古墳を巡り、継体天皇の謎を考える ⑩即位した樟葉宮の、絶妙な地政学

美術ファンには、つとにおなじみだと思うが、京都府の「アサヒビール大山崎山荘美術館」。モネの睡蓮や河井寛次郎らの民藝のコレクションなどの優品が見られるほか、イギリスのカントリー・スタイルと言えばいいのか、チューダー様式の質実美な建物が高台の…