⑤モナ・リザは、ミロのヴィーナスの再来か?

ダ・ヴィンチモナ・リザ》⑤

モナ・リザは、ミロのヴィーナスの再来か?

モナ・リザは、ミロのヴィーナスを下敷きにしていたーーと言うのが最近の僕の気づきです。誤解のないよう先にお断りしておくと、ミロのヴィーナスがエーゲ海のミロス島で農夫に発見されたのは1820年。当時のフランス大使が買い上げ、ルイ18世を経てルーヴル美術館の蔵品となった。なのでダ・ヴィンチは、ミロのヴィーナスを知りません。

でも見てください!2つの画像を(モナ・リザは比較のため左右反転)。両者のポーズには、1,500年以上の年月の隔たりを超えてなおかつ、審美的に同一の原理が流れているように感じられないでしょうか?

ミロのヴィーナスはギリシャの、「ヘレニズム」と呼ばれるいちばん成熟した様式を持つ、紀元前の彫刻です。優美に見えるのは、「コントラポスト」と言って片足に体重をかけ、逆の片足はかかとを浮かせ、そこから体を捻った立ち姿をしているから。上の写真は上半身だけですが、全体としてはS字になり、顔の向きも両肩の線よりもさらに捻じられています。

一方モナ・リザは、16世紀のルネサンスの作品です。作者ダ・ヴィンチはミロのヴィーナスこそ見ていないものの、同じ時代の優れたヴィーナス像はイタリアであまた見ている筈。ギリシャ好みのダ・ヴィンチとしてはジョコンド夫人をスケッチするとき、ヴィーナスを理想図としてポーズに無理めな注文を付けたのではないか。つまり、「右肩は後方に引いて、座ったままでも腰のラインも捻じって、ただし顔(目線)は、こちらに向けて」、と。そんな想像をします。

ではモナ・リザがなぜ、半身像なのか?これは、絵のイメージをイコンのマリア像に似せたかったのが理由だと思います。ダ・ヴィンチは《受胎告知》と同様、信仰はないが宗教画を隠れ蓑に使っています。

また、なぜ肩を後ろに引き、顔は逆方向に向けているのか?ここにもダ・ヴィンチのもう一つの作画上の思惑が窺えます。上半身を斜めにして肩幅を小さく見せ、逆に肘を外に張ると、前から見たとき三角形ができる。四角い絵の中に三角形を隠して埋め込むのは、構図に盤石の安定を与え、名画の条件となるーーそんな素朴すぎることは彼は「絵画論」でも言ってないし、あくまで僕の推測に過ぎません。ただ、ダ・ヴィンチを模写したラファエロは三角構図の重大性に気づき、すぐさま自分の聖母子像に取り込んで成功したのは事実です。

また、ミラノ出身のカラヴァッジオは、ダ・ヴィンチの《最後の晩餐》などの技を継承して、バロック様式を創始します。スペインのヴェラスケスやオランダのレンブラントフェルメールも17世紀、ダ・ヴィンチの肖像の技をテンプレートのように使って傑作を産み、バロックの黄金時代を開花させます。ダ・ヴィンチの絵は、鑑賞目的で描かれたのでなく、絵画を未来に伝える設計図です。それが《モナ・リザ》と言う絵の真実です。

さて19世紀に入って印象派の先駆けコローや、ポスト印象派ゴッホもまたダ・ヴィンチの末裔と言えます。中でも極め付きは20世紀のピカソ。奔放な天才と思われたピカソが恋人を描いた傑作《ドラ・マールの肖像》さえも、僕にはモナ・リザの引用に見えて仕方ないのですが、同意いただけますか?

思うにダ・ヴィンチこそは、古代ギリシャの美と科学精神を復活させたルネサンス最大の画人にして教養人。その射程は現代にまで及び、前後2,500年の歴史をカバーする点で、美術史上たぐい稀なる巨人と評価できるでしょう。書き足らないことも多いですが、またの機会に(モナ・リザのシリーズ全5回、完)。

 

岩佐倫太郎 美術評論家/美術ソムリエ

■はじめ2回くらいのつもりが思わぬ長さとなりました。最後までお付き合い頂き、ありがとうございます。途中、皆さまからのコメントにも励まされました。できれば5月末か6月に講演会を開きたいと、ただいま計画中です。