➂モナ・リザは科学の時代の聖像(イコン)である。

ダ・ヴィンチ 《モナ・リザ》➂

モナ・リザは科学の時代の聖像(イコン)である。

注文を受けたはずの肖像画がなぜ、ダ・ヴィンチの手元に最後まで残ったのか?モナ・リザは2点あったのだとか説はいろいろですが、僕のストーリーをフィクションにするとこうです。

僕はモナ・リザの夫で、フィレンツェの冨商、ジョコンドとします。事業の絹織物商は順調で、15歳の貴族の娘を後妻に迎えて、家庭も円満。妻は早くも第2子を懐妊している。この幸福を永久にとどめプレゼントにすべく、僕はミラノから戻ったダ・ヴィンチ先生に妻の肖像画を依頼します。僕が理想としたイメージは、かつて大先生がミラノ城主の美しい愛妾を描いて大評判だった《白貂を抱く貴婦人》でした。

先生が納期を守らないのは有名でしたが、ある日、お弟子さんが不意に届けに来た絵を見て、僕はギョっ!となり、思わず叫んでしまいました。「妻はこんな婆さんじゃない、それにこの不気味な背景は何?」。「嫁には見せられんわ・・」と落胆。

とりあえず「顔をもっと若く、背景はナシにして」、と修正を伝えたものの、営業センスとは無縁の大先生なので手直しは無理かも・・・。お弟子さんも残金をもらえず落胆して、独りぶつくさ絵を抱えて帰路につきます。「先生、またやっちまいましたね。頼まれ絵なのに、すぐ自説を入れ込んで描いてしまうんだから。あ~あ、今夜は飲みに行きたかったのになァ・・」―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

ところでモナ・リザは、見落としがちですが、椅子に座っています。場所はなぜか半屋外のバルコニーみたいなところ。腕を肘掛けに置いて、手を重ねています。このつつましやかな座像のポーズは何を意味するのか?立像にした方が、靴やアクセサリーなど富裕のシンボルを描けてよかったのでは。

 

 

ダ・ヴィンチ《受胎告知》1472‐75 ウフィッツイ美術館

僕はそんな疑問をもって、それ以前の《受胎告知》の著名な絵をいくつか眺めていて、大発見をしました!どれもイエスの母、マリアはポルティコ(柱廊)のような半屋外で椅子に腰かけ、体を斜め前に向けています。これって図柄はモナ・リザとほとんど同一ではないですか。するとモナ・リザもまた受胎告知なのか!とすれば大天使の役はダ・ヴィンチ自身で、モナ・リザにこう告げているのでは。「御身は神や霊魂によらず、(真実にもとづいて)人の子を身ごもった。おめでとう」。モナ・リザが当時の妊婦のかぶるベールをしているのも、符合します。

モナ・リザは似顔絵でなく寓意画なんです。これは日本にはない西洋画独自の手法で、たとえば「勝利」とか「虚栄」などの概念を人物に置き換えて、あたかも歴史画のように表現するものです。顔が誰かに似るとかは不必要で、むしろ能面のようなのが望ましい。モナ・リザに眉が無いのも没個性にするためです。この寓意画の主人公は、ダ・ヴィンチの思想に、口角を上げた微笑で賛意を示している、とも理解できます。自画自賛かな(笑)。

宗教名画のしつらえを借りて、挑発的に宗教の時代の終焉を告げるモナ・リザ。寓意の思想は「真理」、もしくは「科学の勝利」でしょう。ダ・ヴィンチは古い聖像に変わって、新しい時代を祀るイコンを創作したのです(つづく、次回最終)。

 

岩佐倫太郎 美術評論家/美術ソムリエ