「モネ連作の情景」大阪中之島美術館より 

《睡蓮》の向こうに、光琳の《燕子花かきつばた》を見た

 

印象派を代表するフランスの画家、クロード・モネ(1840‐1926)の連作展が、東京展(上野の森美術館)のあと、大阪の中之島美術館にやってきています。展示作品は70点で、全てがモネ。海外や日本の美術館からも傑作が集まりました。「連作」にテーマを絞った展示は新鮮で、モネ・ファンなら必見でしょう。

中でもモネの代名詞ともいえる《睡蓮》のシリーズは、見ごたえのある作品が来ています。僕がとくに注目したのは、ロサンゼルス・カウンティ美術館の所蔵する《睡蓮》です。たくさんの睡蓮の花が咲き乱れる楽園風景とは違って、これは珍しく黄みを帯びた白い睡蓮が、ひっそり慎ましく2輪咲いているだけ。僕もかねて対面したいと願ってきた作品です。睡蓮の極限まで単純化された美しさには格別な愛着を覚えます。モネの自然を見るまなざしの深さに、惹かれました。

ところで美術ファンの皆さまは、モネの印象派としてのデビュー作が散々な不評だったことをご存じでしょうね。その絵は1874年、パリの第1回印象派展に出品した《印象、日の出》。朝もやの港に、オレンジ色の太陽がヌッと出る、ただそれだけの墨絵を思わせる絵です。何の中心主題もなく、重大な登場人物も、事件もなく、タッチも粗略。西洋画のそれまでの概念を逸脱しています。これを見た評論家は、「これは絵と言うより単なる印象に過ぎない」と揶揄し、そこから蔑称的に「印象派」が生まれたのでした(ご注意:この参考画像は、今展に来ていません)。

モネ《印象・日の出》1872 マルモッタン・モネ美術館(パリ)

苦節10年と言いますが、2輪の《睡蓮》は、そこから20年以上も後の作品。ようやく世間の理解が追い付いて、経済的にも安定し、ためらいのない思い切ったフォルムの潔さは、自信の表れでしょう。ただそんな経緯など知らなくても、われわれ多くの日本人にとってモネは親密に感覚が通じ合う作家ではないでしょうか。モネは浮世絵の影響で知られますが、僕は今回さらにその奥に、光琳ら「琳派」からのインスピレーションを発見した気がしました。蓮の花は単純化されてすでに琳派模様のようで、このまま和装や漆器のデザインなどに反復利用できそうです。

モネは単純なリアリズムを突き抜け、「一即多」とでも言うべき世界に進んでいて、シンプルな象徴で多くを語っているのです。参考図像は尾形光琳の国宝《八橋蒔絵螺鈿硯箱》(やつはしまきえらでん すずりばこ、東京国立博物館)です。試みに両者を較べてみてください。琳派印象派の作品がお互いに、時代や洋の東西の違いを超えて、呼び交わしあっているようには感じられないでしょうか。

印象派は、ターナーの風景画やミレーの屋外写生の手法などを取り入れて西洋美術が自律的に発展して生まれた、との考えもあります。ただし僕が考えるに、絵画はエビが脱皮するように自力で変身を遂げることはまずありえなくて、この時のモネのように異文化との混血があって初めて、新しい生命を得るものです。印象派には、われわれ日本人の先祖の感性も、美の源流として流れていることを知るべきでしょう。

 

岩佐倫太郎 美術評論家/美術ソムリエ

「モネーー連作の情景」展は、5月6日まで