モネの「筆触分割」は、どのようにして生まれたのか? 「モネ――連作の情景」(中之島美術館)を見て

講演会の予告

6月9日(日)14時30~

(仮題) 「広重からモネ・ゴッホへ」~近代西洋美術はこうして始まった~

於:大阪大学中之島センター10F  佐治敬三メモリアル・ホール

主催:大阪大学理学部数学科同窓会 

協賛:民間企業及び講演会をサポートする有志の会 

(詳細は追ってお知らせします)

 

モネの「筆触分割」は、どのようにして生まれたのか?

 

大阪中之島美術館の「モネ連作の情景」は、予想どおり連日多くの美術ファンでにぎわっています。睡蓮、ロンドンの橋、積みわら、など連作の名作の数々が70点。僕の授業を受けた人たちには、下の《ヴェトゥイユの教会》も人気でした。この作品は、モネの描画法である「筆触分割」(ひっしょくぶんかつ)が、最も解りやすく示されている点でも貴重です。

「筆触分割」とは耳慣れない言葉かもしれませんが、印象派の画家が「平筆」で、色を混ぜずにタイルのように絵の具を並べて塗っていく手法です。絵の具は混ぜるとどうしても暗くなってしまいます。が、混色しないで違った色を並べることで、明るいままの風光が再現できます。「混色はパレットの上ではなくて網膜の上で行なわれる」(高階秀爾「近代絵画史」)という訳です。

では実際に《ヴェトゥイユの教会》の絵に超接近を試みて(係員に注意されない程度に)、「筆触分割」の様子を見ていきましょう。帯状に塗られたひとつひとつの色は意外にも、人間の眼で見たままの色ではなさそうです。たとえば川面に映る建物の影なども、モネは驚くほど明るい色を配し、暗く濁るのを抑えています。周りにも、色の帯が無造作に並んで、このままだと絵は雑然としてまだ未完成とも思えます。

ところが今度は思い切って後ろに下がって(PCの人はディスプレイから離れて)、同じ絵を見ると、あら不思議!眼前の景色は思いがけないリアルさで復元され、観る者は何か晴れ晴れとした感興さえ覚えることでしょう。これぞ我らが印象派の絵を見る愉悦です。

(参考図:今展には来てません)《ラ・グルヌイエール》1869メトロポリタン美術館 

(参考図:今展には来てません)《アルジャントウイユのレガッタ》1872オルセー美術館

さて、それでは「筆触分割」はいったいどこでどのようにして誕生したのでしょうか。今展には来ていませんが、参考図を2点掲げました。モネは印象派展を始める5年も前に、ルノワールとグルヌイエールと言うセーヌ川の水浴場を訪れ、水辺の水の煌めきをモザイク状に描き分けて、早くも「筆触分割」を始めています。その後アルジャントウイユに移住すると自信が深まったのか、「筆触分割」の技はさらに大胆になります。また、この頃に開発されたチューブ入り絵の具も、セーヌ水景の変幻極まりない姿を一瞬にして捉え定着するのに、大いに寄与した筈です。

斎 《富嶽三十六景》のうち《神奈川沖浪裏》1830‐34年頃

モネの「筆触分割」の起源は、日本の浮世絵にも求められるのではないかと言うのが、最近の僕の考えです。1867年のパリ万博の日本館で、当時26歳のモネ青年はおそらく北斎の《神奈川沖浪裏》を見たに違いない。わずか7版で刷るこの絵は、色数は限られ、版画なので混色もなく、深い青や浅い青、白などの波の色の並置が、反発しあうように煌めきあって、我らの網膜に溌剌と明るい鮮やかな光景を生みだすのに成功しています。「筆触分割」を先にやっているとも言えます。万博でそれを見たモネも、「これだ!」と激しく版画にインスパイアされて色彩分割を始めたのでは、と考えてみた次第。妄想に過ぎるでしょうか。ちなみに浮世絵のコレクターだったモネのジヴェルニーの遺邸には、いまもこの北斎の絵が残って、展示されています。

 

「モネ連作の情景」は5月6日まで

 

岩佐倫太郎 美術評論家/美術ソムリエ