暑中お見舞い申し上げます。      2023年 盛夏

暑中お見舞い申し上げます。 2023年 盛夏

滝の水しぶきとイリュージョンで、しばし涼感をお楽しみください。

歌川国芳 《坂田怪童丸》江戸末期

巨鯉(きょり)と取っ組み合いの相撲を取っているのは、ご存じ(坂田の)金太郎です。歌川国芳《坂田怪童丸》。相手が熊でなくモンスター級の巨大な鯉というのが珍しいですが、この物語は古い中国の、「鯉が龍門(ドラゴン・ゲート)を超えると、たちまち龍になる」という説話に基づいています。今も昔も庶民は、滝を登る鯉に立身出世の物語を見出し、願望を投影させるのでしょう。この幻想には、中国ならではの荒唐で肉感的な感覚も見出せます。それが江戸時代の日本にも流布して、鯉は男児の立身出世のシンボルともされるようになります。端午の節句に、男の子のいる家庭が鯉のぼりを庭に飾るのもその表れ。おそらく画題としても当時の人気で、北斎のばあいも自分の幻想趣味の嗜好によほど合致したのか、鮮やかな《鯉の滝登り》の絵を決めています(下の絵)。

葛飾北斎 《鯉の滝登り》江戸後期

また金太郎伝説については、平安時代にはすでに出来ていて、山奥に生まれ育った心優しい怪力の少年が取り立てられ、都で出世するという国産の出世譚。童話としてもポピュラーで、尚武の象徴ながらどこか日本のものはほのぼの感がありますね。

鯉と遊ぶ《坂田怪童丸》の図像は、この日中の出世願望の二つの物語が最強の組み合わせとして、江戸末期の浮世絵師、歌川国芳によって発明され、ひとつの話に合成されたのでしょう。200年余りの鎖国を経てガラパゴス的に爛熟する江戸文化。人々は平和な時代こそ怪奇や幻想や残酷を求めます。この絵も、芝居や草紙の物語を好む江戸人に、喝采とともに迎えられたと僕は推測しています。白く抜いた左下の窓のような部分には、物語が文字で解説され、読む雑誌の役割も果たしています。

《坂田怪童丸》の絵のディテールについて言うと、画像が色鮮やかで魅力的に感じるのは、切り絵のように混色のない色面が分割されて分配されているからです。またこれも浮世絵が版画だから当たり前ではありますが、色数も少ないので見る側の負荷も少なく、明快な輪郭線があるのも近代人の眼と脳にはとても小気味よいものです。フラットに徹した画面構成でグラマーに画像情報を詰め込み、カルトな力強さもあり、店頭にディスプレイして売られた時つい手を出したくなるインパクトも備えています。これはもうすでに、西洋のバロック絵画の域を超越しているかもしれません。西洋の画家たちは、このような新しい絵画原理におそらく虚脱に近いショックを受け、ルネサンスいらい墨守してきたアカデミズムの画法を脱ぎ捨て、やがて印象派を誕生させることになったと僕は考えています。

 

岩佐倫太郎  美術評論家/美術ソムリエ