モーツアルトのオペラ、「ドン・ジョヴァンニ」はどんな物語か

モーツアルトのオペラ、「ドン・ジョヴァンニ」はどんな物語か】


今年の夏も期待通りの大盛り上がりだった佐渡オペラ。いよいよ明日(2023/7/23)で千秋楽と聞くと、一抹の寂しさを感じます。天才モーツァルトの妙なるメロディの楽園に遊び、歌手たちの美声やオケとの掛け合いに酔いしれた記憶が、まだ体内で夕日の残像のように残っているからです。

ところで、「ドン・ジョヴァンニ」って、いったいどんな物語だったのかーー。オペラを高尚なものと考えている人には意外かもしれませんが、実はずい分と「下世話」です。何しろ主人公が金持ちでハンサムな貴族であるのをいいことに、並外れた女漁りを繰り返し行状もフダ付きのワルで、時には強姦さえもいとわない。序曲のあと第2場では、ドン・ジョヴァンニは女性の屋敷に夜這いをかけ、父親に見つかって何とその父親を剣で刺し殺してしまいます。

物語の発端が陰惨な猟奇事件で、観客はいきなり心をぎゅっと鷲づかみされます。もし現代ならTVのワイドショーが喜んで連日取り上げそうなネタ。殺人、強姦未遂(既遂か?)、なお犯人は変装して逃走中、ですから。観客のそんな気持ちを知ってか、ドン・ジョヴァンニの従者は次々と歌でこの男の行状を暴露します。有名な「カタログの歌」がそれ。カタログとはこれまでに主人公がモノにしてきた女たちのノートです。ちなみに、「イタリアで640人、フランスで100人、スペインでは1003人・・・」(笑)などなどと、色を漁った戦果を延々と歌います。そのあと「田舎娘も貴婦人も未亡人も、ともかくスカートを穿いていれば、誰でもいいのさ!」と、もう従者もあきれてついて行けない、と嘆く色魔ぶり。

キリスト教の倫理からすれば、姦通はすでに罪。あまたの情交のみならず、殺人まで犯しているのですから、これはもう最後の審判では明らかに地獄行きでしょう。実際に物語の最後では、殺された父親が石像となって登場し、ドン・ジョヴァンニをおびき出し地獄の劫火のような炎で焼き殺す、残酷で悲劇的でカルトな劫罰の場面を用意しています。劇中の山場です。

外人組のカーテンコール 2023/07/16


オペラは貴族的で上品などと思っていたら真逆の、新聞の三面記事以上のまことに禍々しい物語でした。ただモーツァルトはその中に、男女何組かの愛の機微を挟み込んで、艶福な笑劇としても楽しめるようにしているので、ドン・ジョヴァンニの構成は悲劇と笑劇が手の込んだ入れ子状態になっています。劇を見て「やはり悪人の好色漢には罰が下った!」と溜飲を下げる見方も勿論可能ですが、ただ僕にはモーツアルトは最後に焼殺される多情でワルの殺人犯を、肯定して許しているようにも思えるのです。

若くして早死にする予感がすでにあったのか、次作の「コジ・ファン・トッテ」にしても同様に、人間の愚かさや欲望を裁こうとせず、モーツアルトの視線はどこか天上的な慈愛のまなざしと微苦笑、そして諦念を含んでいます。そのためでしょうか、こんな殺人と姦通と復讐の禍々しい歌劇が、同時に無垢の癒しの物語ともなりえています。