「積みわら」の絵は浮世絵から生まれ出た、と言うと驚かれるだろうか?

                               モネ《ジヴェルニーの積みわら、夕日》65×92cm 1888‐89 埼玉県立近代美術館

いま大阪中之島美術館で人気開催中の「モネ 連作の情景」(2024年5月6日まで)に、3月26日から待望の1点が追加されました。《ジヴェルニーの積みわら、夕日》。埼玉県立近代美術館が持つ逸品です。積みわらの円錐形のフォルムの反復は、ほのぼのして童話の絵本のような趣もあります。

僕はこの絵を見たとき、広重の《亀戸梅屋敷》の背景の色を想起せずにはいられませんでした。と言うのは、どちらの絵も背景がパステルな色帯で横に3分割され、ちょうど3色旗のようになっているからです。モネの絵のばあい、下3分の1は草の緑、中ほどは実に美しいブルーの帯。セーヌ川河岸段丘が夕靄の中に消えようとしています。そして一番上はまだ暮れなずむ空がオレンジとピンクの楽園の光芒を放っています。モネは浮世絵にぞっこん惚れ込み自身もコレクターでした。同じ画家として、広重のグラフィックなセンスに憧れ、版画の《梅屋敷》の色分割を油絵で試したものと思われます。

広重 3色旗のような《亀戸梅屋敷》北斎 瞬間の美《赤富士》北斎《神奈川沖浪裏》

ほかにも《積みわら》の絵は浮世絵の直接的な影響が見られ、一瞬の光を射止める技は、おそらく北斎の朝日に輝く《赤富士》に学び、画中の幾何学的な三角形の繰り返しは、《神奈川沖浪裏》の波に由来すると考えられます。まあ、そもそも「連作」の手法が、日本の浮世絵の発明品ではありますが・・・。

ところでロシア出身の抽象画家カンディンスキー(1866-1944)が絵描きを志す前の若いころ、モネの《積みわら》のどれかの絵を見て、何を描いているのか解らなくて、ショックを受けた話はご存じですか。我々の風景画を見慣れた眼から見ると、なぜ解らないのかが逆に解らない。「積みわらでしょ?」と言いたくなりますが、実はこのギャップに印象派を理解するヒントが隠れています。つまり、当時の人にとって絵と言うものはギリシャの神々や宗教聖人を描いてこそ値打ちがある、仮に景色を描くにしても、それは戦争などの場面の写実的な説明であるべきーー。ところが、《積みわら》は重要な人物も物語も出てこず、ミレーのように農民への思い入れもない。ただ農村の風景の光学的な断片です。構図にルネサンスラファエロのような建築的に堅固な三角形もないし、ダ・ヴィンチのように律儀な遠近法もない。ここでは絵画が現実や物語を説明する役割を止めてしまって、画家は自由な自意識のままに、(脳内の)現実をキャンバスに移そうとしています。近代が始まっているのです。そのことをカンディンスキーはおそらく忽然と悟って、後に抽象画の創始者になります。

さて、この絵をこれ以上、言葉で語るのも虚しいかもしれません。味わい方としては、何か似つかわしい音楽を頭の中に呼び起こし、音楽の感興とともに作品を無心に眺めるのはどうでしょうか。おススメは、モーツァルトのセレナード、「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」。Bing 動画 あるいは印象派音楽ならドビュッシーラヴェルの「ボレロ」なども、伝統的な作曲のテンプレートに頼らず脱・構築な創作になっている点で、モネの画法と響きあいます。試してみてください(モネ 連作の情景、3回シリーズ、完)。

 

美術講演会の予告

6月9日(日)14時30~「広重からモネ・ゴッホへ」

大阪大学中之島センター10F  佐治敬三メモリアルホール

まもなく告知と募集を開始します。