ゴッホの自画像は、隠されたイエス・キリスト像である、と言うと驚かれるだろうか

ことのほか自画像を好んで描いたゴッホ。いま試しに、ファン・ゴッホ美術館公認のウェブ・サイトで数えてみると、全部の油絵作品の約860点のうち、自画像はなんと32点!ことにパリに出て来た翌年の1887年は、集中的に自画像を描いています。モデルを雇うお金がなかったのも事実ですが、動機はそれだけではないもっと深いところにあります。

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いったい、この年、ゴッホの身に何があったか。想像するに、前年パリに来て浮世絵に出会い、自分の世界観を根本的に変えるほどの大カルチャーショックを受けた。《亀戸梅屋敷》など広重の模写をしたのもこの時。浮世絵のゴッホへの影響は、単なるエキゾティズムや平板な遠近法などの画法だけでは済みませんでした。宗教的な思想家でもあったゴッホは、「北斎漫画」や広重の「新撰花鳥尽」などを目にして、動植物や昆虫も生命として等価に扱われる汎神論的な世

界の豊かさにも激しく感受性をゆすぶられ、日本の精神性に憧れたに違いないのです。神経の被覆をむき出しにして生きているようなゴッホのことですから、一木一草も太陽をも敬う精神に感応し、それが《種まく人》や《ひまわり》などの作品に反映したのではないでしょうか。

弟への手紙でも、「あたかも己れ自身が花であるかのごとく、自然のなかに生きるこれらの日本人がわれわれに教えてくれることこそ、もうほとんど新しい宗教ではあるまいか」と書いています。

                           

さて、僕の論考はさらに進みます。ゴッホの自画像は自画像で済まない。僕の自説では、驚かれるかもしれませんが、「ゴッホは自画像を通じて、イエスを描いている!」なんです。

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《画家としての自画像》 1887/88年 ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)蔵 © Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation

 

ゴッホ偶像崇拝を否定するプロテスタントなので、ゴーギャンのようにお気楽に、《黄色いキリスト》のようなあからさまな聖像は描けない。伝道師として失敗した彼は、今度は絵画を通じて福音の種を播く宗教家になろうと決断したのではないか。しかし先駆者の常として彼もまた世に容れられず、絵は売れず苦しみのみが立ちはだかる。そんなときに、わが身もまたイエスのように、幾多の困難と迫害を乗り越え、仮りに身を亡ぼすとも、滅ぼすことによってイエスのように永遠を獲得できる、と自らを慰謝したのではないでしょうか。ゴッホの自画像は、覚悟をすでに胸に秘め、聖人に連なろうとする決断の表現であったとも理解できます。ゴッホとイエス二重写しとなって、実は隠された聖像を描いていた、と読める訳です。

                             

そうすると最晩年の自傷、そして自死事件も、磔刑によって死に、復活するイエスの生涯に、わが身をなぞらえた殉教だったと考えるべきではないか。そうすると辻褄が合ってきます。ベルギー在住の美術史家、森耕治先生の著作、「ゴッホ、太陽は燃え尽きたか」(インスピレーション出版)によれば、自死に使ったピストルは口径7ミリの護身用で殺傷能力は非常に低いものだったそうです。その玩具的な銃で自分の脇腹を撃った。僕はこの事実を知ったとき、ゴッホは緩慢な死を望んでいたのだと気づきました。なぜなら、その方が十字架の上で苦しみながら死んで行ったイエスに、より真正に寄り添う事ができると考えたからではないでしょうか。またその方が数々の名画や彫刻のピエタのように、哀悼に包まれた自分を生きながらにして感知できる、と思ったからではないでしょうか。  

                                                                                      

ゴッホ展(京都会場)は、3月4日まで。岡崎の国立近代美術館にて開催中。