【大阪中之島美術館 開館記念 超コレクション展】 アンドレ・ドラン《コリウール港の小舟》

■こんな色の洪水なら、溺れるのも楽しいだろう。

 

佐伯が死の半年前、パリ近くで描いた傑作の話は次回にさせていただいて、先に今展の目玉のひとつでもあるアンドレ・ドラン(1880-1954)の《コリウール港の小舟》について語ろう。僕自身も昔から別格的に好きな絵だが、どこに惹かれるかというと、やはりこの色彩の洪水だろう。子供がクレパス箱をぶちまけたように色が好き勝手に飛び跳ねて、もはや絵画というより音楽に近いかもしれない。

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ドラン 《コリウール港の小舟》1905 大阪中之島美術館

 

たしかに南仏の漁港を描いてはいるのだが、ここでは形態は二の次で、色が主役となっている。しかも色は必ずしも現実に忠実ではなく、画家の思う色に現実を塗り替えているのだと理解できる。その色遣いもよく見れば抑制が効いて、せいぜい赤、青、白、黄、緑の5色くらいの原色で、ひとつひとつの色には混色もグラデーションもなく、まるでタイルのモザイク画のように、太い筆で置かれた絵の具が並べられているのだ。

 

この絵を見て多くの人はモネやルノワール印象派の画家たちの、「筆触分割」を思い起こすかもしれない。外光を再現するために彼らは、大きな筆のストロークでカンバスに絵の具を並べる方法を開発したが、その技術の余韻がまだくすぶっている。またこの絵はスーラやシニャックらの点描画法を新しくしたものだ、と見ることもできるだろう。さらには原色の強烈な衝突に、ゴッホゴーギャンなどポスト印象派を受け継いでいるとの解釈も可能だ。これらの見方はいずれも当たっていて、ドランのこの作品には19世紀後半のおもな美術史がすべて流れ込んでいる。長い間、絵画は現実を説明する役割を担わされてきた。ところが写真機が登場して、姿を正確に写し取る役割をそちらに譲ると、絵画は初めて苦役から解放される。そのとき、われわれは絵とはこんなにも自由にこころの歌を歌えるのか、という事実を驚きとともに改めて目撃することになる。

    

さて前回の記事で佐伯がヴラマンクに絵を見せに行って「アカデミズム!」と大声で叱正された話を書いたが、じつはドランは、そのヴラマンクとは若い頃に出会って親しい画友となっている。またアンリ・マティス(1869-1954)をヴラマンクにも紹介したことから3者の交流が生まれる。掲げた画像にしても1905年のひと夏、ドランがマティスとスペイン国境の南仏の港町コリウールでともに過ごして描き上げたものだ。

 

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(参考図)ドラン《乾燥中の帆》1905 作品は会場にはありません。念のため。

 

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(参考図)マティス《開いた窓》1905 ※作品は会場にはありません。念のため。

 

彼らはその秋のサロン・ドートンヌに出品したが、この時に美術運動として名高い「フォービスム(野獣派)」が誕生する。というのも3人の作品群を展示した部屋だけが原色が咆哮するような異彩を放っていて、ある評論家が「まるで野獣の檻にいるようだ」と揶揄したからだ。しかし、フォービスム(野獣派)は19世紀の西洋絵画を集大成した20世紀最初の重要な美術運動として位置づけられる。それゆえドランの《コリウール港の小舟》はフォービスム誕生時の貴重な証拠品と言え、美術史的に見ても大阪市がこの絵を手に入れて所蔵する意義は極めて大きい。

 

開館記念「超コレクション展 99のものがたり」(大阪中之島美術館)は3月21日まで。

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岩佐倫太郎 美術評論家/美術ソムリエ