「佐伯祐三-風景としての自画像」展(6月25日まで)大阪中之島美術館

大阪中之島美術館では、昨年2月の待望の開館いらい1周年を迎え、「佐伯祐三-風景としての自画像」展を4月15日より開催しています。佐伯祐三は、1898年、大阪・中津のお寺の次男坊として生まれ、府立北野中学(現北野高校)から東京美術学校に進み、学生結婚して一女をもうけるが、卒業後家族を帯同してパリに赴き、絵の修業を積み重ねます。途中いったん帰国するものの、再びパリに住み、肺病により現地で短い30歳の人生を閉じます。

今展で見る佐伯祐三の軌跡は、20世紀の初め、西洋美術と出会った日本人がどのようにして異文化の油絵を自らのものにしたのか、苦難と格闘の歴史がうかがえて、感銘深いものでした。ご覧いただいている画像は、1回目の渡仏時に自分なりの画風をようやく発見したと思われる、記念すべき珠玉のような1点です。

《壁》1925年 大阪中之島美術館

われわれはこの絵をどのように見て行くべきか。やはり最大の着目ポイントは、石造りの壁が絵の中に占める分量感の大きさでしょう。またそれを強調するように、絵の上辺なども空がわずかに覗いているだけで、写真のギリギリのトリミングのように見えます。加えて白い絵の具を混ぜて質感がよく描けているので、古ぼけたただの壁が目いっぱいに表情をもって見る者に迫ります。ちなみに壁の文字、MENAGEMENTS(=メナージュマン)とは引っ越し屋の意味。

また見落とさないでもらいたいのは、絵の奥に見える煙突とそれが吐き出す黒い煙です。なびく黒い煙が描かれることで、時間の止まった廃墟のような景色が、急に精彩をもって脈動し始めます。逆にもし煙がなかった場合を想像すると、その差は大きい!「画竜点睛」とはこのことでしょう。

1920年代半ばのパリは第一次大戦後の好景気に沸いて、ふつうの画家なら都市の賑わいや華美な風俗を描きたくなるところです。ところが佐伯は、ひと気のない裏ぶれた路地に、異邦人の鋭い観察眼でパリの匂いを嗅ぎ取り、憂愁と憧憬の混在する自画像のような風景画を成立させています。世紀末詩人のボードレールとも通じますね。

佐伯はこの絵を最初のパリ滞在で描き得たからこそ、「自分はやれるぞ!」と強い自負をもち、病身を押しての2回目のパリ行きを敢行したのだと思います。それくらい自信作なんです。というのも、この絵は画学生時代の印象派風でもなく、叱責を受けたヴラマンク風のフォービスム(野獣派)の荒々しい線や色のタッチでもなく、またパリの街を描くのにユトリロのような遠近法もなく、つまりフラットでケレン味たっぷりのグラフィックな、抽象画にも近い画面構成に成功し、そこに近代人の憂愁や孤独をも潜らせているからです。これは余人の追随を許さない境地。おそらく佐伯の血の中にある琳派や浮世絵など日本の伝統が、異国の刺激の中で思わず自噴したーーと考えるのが妥当だと思われます。

佐伯は自分の鉱脈を掘り当てた喜びと安堵をもって、作品にサインを書き入れます。それはどこにあるのか?画中を探してみてください。赤い字でUZO SAEKIとあるのが見つかるはずです。

岩佐倫太郎 美術ソムリエ/美術評論家