大阪中之島美術館 「佐伯祐三-自画像としての風景」 ②《ガス灯と広告》

1回目の渡仏で、《壁》を描き、自らのテーマとフラットな画法に自信を持った佐伯祐三。病身を周囲が心配していったん帰国したものの、自分の発見したスタイルへの自負を押さえきれず、逸る心で家族とともに、今度はシベリア鉄道経由で2度目のパリに着きます。1927年夏のことです。

 

その時の作品が下の《ガス灯と広告》です。これはもう作家も得心の究極の平面主義の傑作でしょう。ポスターが全面に貼り重ねられる街角の風景、しかもポスター壁のほとんどがアルファベットのカリグラフィ(文字)で埋め尽くされています。絵的な要素があるのは街灯のすぐ右にあるサンバの踊り子らしきものくらい。

佐伯祐三 《ガス灯と広告》 1927 東京国立近代美術館

 

カリグラフィについては、かつてゴッホが広重の浮世絵に憧れて、分からないまま漢字を装飾的に梅の絵の廻りに配したことを思い出します。

逆に佐伯のばあいは西洋の文字に異国への憧れと、同時に中に入って行けない拒絶感が交差する異邦人の感覚を巧みな距離感で描き、ジャズ的なまでにグラフィックな感覚の画面を成功させています。歩く人物にしてもことさらの存在感はあえて無くして、グラフィックに奉仕する素材として扱っている点が新しく、もうあと一歩で、抽象画の世界に踏み込むところまで来ています。

 

またこの絵を見るときに注目していただきたいのは、白の色使いの上手さです。白い色のポスターが分量感よく配され、全体に酸素を送るように絵画全体にフレッシュな生気を生み出しています。ではこの「白」はどこから生まれたのか。僕が思うに、心情的に親しさを感じていたユトリロです。疎外感や孤独を白い絵の具であらわすユトリロ作品は、佐伯を大いに慰め、同時に「閑寂な白」の色遣いを開眼させるものでした。また、ユトリロを通じて日本の伝統たる浮世絵や書などの余白の積極的な働きを、再発見したものだとも解釈できます。

 

最後に、画面を断ち割って、饒舌なポスターの氾濫を堅固に引き締める街灯にも注目しておきましょう。この街灯を見て僕は、画中に一本松を描いた浮世絵師の血が、佐伯にも流れているのではないかと想像せざるを得ません。ルネサンスいらいの西洋のアカデミズムにはなかった破格の構図です。

 

このように見ていくと佐伯はパリに出かけ、異国文化との格闘の中で自らの伝統的な美の源泉を掘り当て、西洋絵画を解体して余人にマネのできない形で再創造したと理解することができます。僕のように、佐伯の創造のルーツを日本の琳派や浮世絵に求める論考は、まだ見たことはありませんが、そう考えています。

 

大阪中之島美術館 「佐伯祐三―自画像としての風景」は、6月25日(日)まで

 

岩佐倫太郎 美術ソムリエ/美術評論家